第117話 策

 浮き上がった体は、黒いとぐろを巻く竜巻の中を通り抜け、強い上昇気流によって一気に山に生える木々の背を越す。このままではあっとういう間に遠くへ吹っ飛ばされてしまう。こんな上空から落下すれば、よほどの運がない限り死ぬ。気絶させる程度にしておくなど言っていたが、とんだ嘘じゃないか。


「葵!!」


 不意に、竜巻の中で声が聞こえ、宙に投げ出された足が誰かに掴まれた。上へ吹き上げられる体の動きが縄で引っ張られたようにクンッと止まる。驚いて自分の足を掴む手の先を見ると、背中の翼を広げた五色がいた。


「五色!」


 嬉しくなって思わず親友の名を叫ぶ。五色もニッと笑い返すが、すぐに彼の体も竜巻の力には抗えず、二人して竜巻の腹の中から吐き出され、目もくらむような高さにまで吹っ飛ばされた。視界がぐるぐると回り、天と地が幾度も入れ替わる。全く定位置に定まろうとしない視界と体は脳を揺さぶる。いつの間にか足を掴んでいたはずの五色の手の感触も消え、体は突風に吹かれながらも徐々に高度を下げてゆく。


「葵!」


 また声が聞こえた。横から伸びた二本の腕に、肩と足を支えられて、落ちてゆく感覚がふっと消える。だが体に叩きつけてくる風までは消えない。竜巻と化したグフウの懐からは脱したはずなので、これは空の高い位置を駆け巡っている風だろう。


「五色、悪い、また助けられた」


 黒い翼を広げ、飛行する五色の顔を見上げる形で、葵は礼を言う。五色は「全く」と呆れた顔をした。


「てか、なんだよこれ。式神が竜巻になるなんて聞いてないぞ」


「すまん。無月にこれをやらせないようにしていたんだが」


 葵は首を動かして、はるか下方にいるはずの無月の姿を探す。


「すぐ戻らないと。無月を野放しにはできない。あいつがここの天狗達を滅ぼすつもりなら、ここはもうじき火の海になる」


 葵を抱きかかえ、五色は不安そうに翼をバサバサと羽ばたかせて、竜巻が発生した箇所の上空を旋回する。


「火の海って、あの夜の御山にみたいに、なるかもしれないってことか」


 緊迫した様子の五色の問いに、葵は「ああ」と頷く。


「五芒星の陣が空に浮かべば、もう止められない」


 五芒星の陣。当初は紫紺にしかあれは出せないと思っていたが、鬼の国の戦いで、最後の最後で菖蒲があれを出していた。だからきっと、無月にもできるはずだ。


 不安な表情で、五色が口を開く。


「でも、それならなぜ早くその何とかの陣ってのを出さないんだ。狗賓は早朝の時点ですでに死んでた。そんなに前からウラの領域に入ってたなら、俺たちに気付かれる前に出すはずだろ。そしたらすぐ終わる……。あの日の御山みたいに。それをしなかったってことは、何か他に目的があるんじゃないのか」


「他の……?」


 葵はしばし考えた。彼らの目的は、あやかしを滅ぼすこと。すべてはそのために行動している。御山を襲撃したのも、久渡平で罪のないあやかしの子を殺したのも、鬼の国で龍神の牙を狙ったのも。


「……まさか」


 これまでの彼らの行動を思い起こし、あることに思い当たった葵は息を飲んだ。五色が「おい、何か心当たりあるのか?」とせっつく。葵は自分の思考を整理しながら、ゆっくりと言葉に変換する。


「無月は、太陰三山のウラの領域にある何かを、手に入れようとしているのかもしれない」


「何かって、何だよ」


「……わからない。けど多分、あやかしを滅ぼすために必要なものだ。龍神の牙のように、あやかしを屠る強力な武器が、ここにはあるのかもしれない」


 かつて、紫紺の仲間である瑪瑙菖蒲は、大昔あやかしを殺しまわり、世の理を捻じ曲げ天に討たれた龍神の牙を刀身に込めた退魔刀・龍神の牙を手に入れようと、鬼の国を襲った。菖蒲と同じく、紫紺の仲間である無月が同じことをしに来たとしても不思議ではない。


 葵は言葉を続ける。


「もしそうなら、その何かを手に入れられたらまずい。鬼の国の時みたいに、めちゃくちゃにされる」


「どっちみち、俺たちのやることは変わらないな」


 五色の言葉を受け、葵は「ああ」と同意した。


「俺たちは、無月を止める」


「でもどうやる。あの風になる式神、厄介だぞ」


 五色のいうことはもっともだ。グフウを攻略しない限り、無月には勝てない。都での出来事が呼び起こされる。九尾なら狐の姿になればあの巨体で風を凌げる。沙羅なら離れたところから弓を打って消し去ることができていた。だが今、二人とも葵のすぐ側にはいない。知らせるのにも時間がかかる。その間に無月がおとなしくしてくれる保証はない。


「せめて、あの風を物ともせずに進めたらな……」


 不意に溢れた五色の言葉に、難しい顔をしていた葵は「それだ」とパッと表情

を明るくした。


「それだよ。それ。九尾や、沙羅みたいに打ち消す必要はない。ものともせずにあの風の中を進めりゃあいいんだ。何かなかったか?そういう天狗の飛行術が」


 五色も思い当たることがあったのか、「ああ、あれか」と目を丸くする。


「どんな嵐の中でも飛ぶっていう、高等飛行術」


 だがすぐに、五色は残念そうにため息をついた。


「でもあれは至難の技だぞ。よほど風を読む力に長けてないと無理だ。御山の天狗でも、できてたのは三人。いや、椿丸さんが死んで、もう二人か。確かーー」


 五色は葵の様子を伺い、葵が先を促すので言葉を続けた。


「赤ん坊のお前を椿丸さんが見つけた時は、ひどい嵐の夜だったらしいな。風が狂ったように吹き荒れてて、その中を、椿丸さんが赤ん坊の葵を抱いて、飛んで帰ってきたって話。今じゃ御山で語り草になってる。あの人が一番嵐の中を飛ぶのが上手かったって。それを俺が……イヤイヤ無理だろ」


 五色がゾッとした顔をしたので、葵は「いや、真似ごとくらいならできるかもしれないぜ」と言ってのけた。


「はあ!?お前何言って」


「よほど風を読む力に長けてないと無理って言ったよな。じゃあそれができればいいんだろ。幸い俺たちは、修行のおかげでだいぶ五感を研ぎ澄ませるようになってきた。特に五色、五感を研ぎ澄ませる時のお前の集中力は俺より上だ。その五感を使って風を読む」


 五色はしばらく夢に浮かされたような顔で葵の説明を聞いていたが、にわかに我に帰り、「いや、だから、そんな一朝一夕でできるもんじゃないから」と慌ててまた否定する。葵は「じゃあ」と次の案を打ち出す。


「神通力をうまいこと使えないかな。五感を活用してさ」


 葵や天狗の使う神通力は、風に関連することが多い。ものに風を纏わせ殺傷威力をあげたり、小さなつむじ風を生み出したり。あれだって、多少風を読む能力はいる。周囲の風の流れを読み、それを集めて、神通力として応用するのだ。


 葵は手を突き出して、流れてくる風を感じた。目を閉じ、もっとそれを感じようとする。特に、手のひらに当たる風の動きに集中する。いつも神通力を使うときよりも、数段丁寧に。手の指の隙間から溢れる風を、指と指をピタリと合わせることで遮断し、逃す風を極力減らす。いつもはそうして貯めた風を武器に纏わすくらいしかしてこなかった。だが、もっと活用方法はあるはずなのだ。そう、例えば。


「武器じゃなくて、自分に纏わす」


 集めた風を解き放ち、葵は五色と自分の体に纏わせた。普段は武器に纏わせることで、相手に与える被害を大きくさせることに使っているのを、自分の肉体に纏わせることで攻撃ではなく防御壁を作り出す。そうすることで、吹き付けてくる風が新たに出現した別種の風の流れに逃がされる。


 容赦なく吹き付けていた上空の風がピタリと止み、五色は歓声をあげた。


「お前葵!どうやったんだよこれ。これならさっきの竜巻の中でも平気なんじゃないか」


「余裕さえあればできるかもな」


 葵はぐっと拳を作り、会っているかどうかはわからないが無月のいるはずの方向を見やる。


 攻撃から防御へ。白亜は、陽の気質の方が強い葵たちのことを、防御よりも攻撃を得意とすると言っていた。だが、無月と風と化したグフウの前では葵たちの攻撃では歯が立たない。ならばこれまでないがしろにしてきた防御の方を、考えればいい。


「これに攻撃とかも加えられたら、陰陽の均衡とやらも、整うのかもな」


 自分の成長に手応えを感じながら、葵は言った。だが、すぐにそれをやるというのも無理だろう。ここまで出来ただけでも上出来だ。


 五色はというと、葵の新しい神通力の使い方にすっかり興奮してしまったようだ。


「御山じゃ武器に纏わせたり、旋風を作ったりくらいしか教わらなかったけど、まさかこんな使い方もできたとはな。さすがだ、葵!」


 自分のことのようにはしゃぐ五色に、葵ははにかむ。


「もっと風を感じられたら、精度ももっと上がるはずだ。五感を極限まで使えば、できることは増えるかもな。それに関しちゃお前の方が向いてるさ。さて、あとは本当にこれで、グフウを突破して無月を吹っ飛ばせるかだな」


「葵、俺もいいこと思いついた」


 五色の顔を見ると、彼はいたずら好きの悪童のような顔で笑みを浮かべた。葵も似たような笑みを返し、二人の少年ははるか地上を見晴るかす。

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