第106話 お疲れ九尾

「ああ、腹たつ。全く歯がたたねえ」


 白亜との稽古、続いて頭領への挨拶を済ませた葵は、五色を連れて廊下を歩いていた。あれから何度も白亜に向かっていったが、全部返り討ちにあい体中打撲と擦り傷だらけである。全身痛くてたまらなかった。


「明日もこれやるんだな。憂鬱だな」


 五色はげっそりした顔でぼやいた。こちらも葵と同じくらいボロボロである。おかげで挨拶しに行ったら頭領にひどく心配された。


 そんな状態の二人が部屋へ戻ると、すでに沙羅と楓の姿があった。


「あ、おかえり」


 そう言った沙羅は、うつ伏せになった状態で、楓に脚をほぐされているところだった。


「脚痛めたのか?」


 葵が尋ねると、「脚というか、まああちこち」と沙羅は苦笑する。


「普段あまり動かさないところを動かしたから、ちょっと痛くなって。でも大丈夫よ。大したことじゃないから」


 そう言って、沙羅は楓にありがとうとお礼を告げてから体を起こした。


 ちょうどその時、九尾と京介も部屋に戻ってきた。

 京介はいつも通りだったが、九尾は異様に不機嫌な顔だった。部屋にいる五色をちらと見て、「なんでここにいるんだこいつ」と無言の圧力で五色を一睨みし、壁の隅に寄りかかって座る。それを見た五色がゴクリと生唾を飲み込むのが、隣の葵にもわかった。随分九尾に恐れをなしているようである。


「九尾?」


 沙羅が心配そうに首をかしげると、九尾はハッとした顔で沙羅の顔を見つめた。珍しく動揺した九尾を見て、沙羅は「疲れたのね」と柔らかく息を吐いた。それから楓へ声をかける。


「ねえ、楓ちゃん、九尾にもしてあげて」


「うん、わかった」


「何をする気だ」


 なぜか手を前に出して九尾を触ろうとしてくる楓を見て、九尾は後ずさる。だが、すでに壁の隅に背をついているので、逃げ場所などどこにもない。沙羅はニコニコしている。


「さっき私もやってもらっていたの。疲れた体にすごく効くのよ」


「俺はどこも疲れてない。……おい何をする」


「はいはい嘘ですね」


 半ば無理やり体を押さえつけられ、楓に肩を揉まれ始めると、まあいいか、という顔をして九尾は鎮まった。


「俺も後でやってもらいたなあ」


 五色がそういうと、楓は「承知」とそれに答える。

 そんな光景を横目で見ながら、葵は京介へ声をかけた。


「そっちはどうだったんだ」


「うん、だいぶしごかれた。白虎丸も疲れて形代に戻ってるよ」


「いやそうじゃなくて」


 葵が目線を送ると、京介は合点がいったのか「ああ」と声をあげた。


「なるほどそっちね。やっぱり葵も気にしてたんだ。予想通り、左京さんは元土御門一門の陰陽師だったよ。本人がそう言ってた」


「紫紺のことは話したのか?」


「いや、それは全然」


 京介は腕を組む。


「でも……多分何かを知っていると思うんだ。あの人」


「何でそう思うんだ」


 尋ねると、京介は「ただの勘だよ」と笑った。


「第六感的なやつだね。まあ、そのうち聞き出せたら聞くよ。……それにして

も」


 と、京介は葵を頭の先からつま先まで眺める。


「随分手厳しくやられたみたいだね。あちこち擦り傷だらけだし。なんか青いアザもいっぱい……」


「ジロジロ見るなよ。てか京介だって」


 そう言って、葵は京介の額を人差し指でぐりぐり押さえてやった。


「たんこぶできてんぞ」


「ちょ、痛い痛い!」


 悲鳴をあげる京介をからかうように、葵はぐりぐりし続ける。


「ほれほれ」


「だから痛いって」


「二人とも静かに」


 うるさくしていると、最終的に沙羅に叱られた。いい加減ふざけるのもやめて葵がそちらを見ると、さっきまで楓に肩を揉まれていたはずの九尾が目を閉じていた。


 近づいてみると、どうやら寝ているようだ。すうすう寝息が聞こえてくる。


「だいぶ疲れてたみたい」


 沙羅が心配そうな声をあげ、葵と五色を見やった。


「ねえ、九尾とは一緒に稽古したのでしょう。そんなに大変だったの?九尾がこんな無防備に人前で眠るなんてことないもの」


「いや、九尾は俺たちとは別だったよ」


 葵は首を横に振り、九尾だけ別の部屋へ行くよう白亜に言われていたことを話す。沙羅は「ふうん」と顎に手をあてがった。


「一体何があったのかしら。ここに帰ってきた時もなんだか不機嫌そうだったし」


「起きたら本人に聞いてみたら?」


 横から楓が口を挟んだが、沙羅は「ダメよ」と肩をすくめた。


「多分話さないと思う。九尾って、自分一人で背負いこもうとすることがあるから」


 その時、壁にもたれて寝ていた九尾が寝返りを打った。ちょうど部屋の隅になったところで寝ていたので、反対側の壁にごつんと頭をぶつける。それでも起きなかった。皆の心配をよそに、気持ちよさそうに寝息を立て続けている。


 沙羅は膝を打って立ち上がった。持ってきていた手荷物の中から羽織を一枚取り出して、それを九尾に被せてやる。


「そっとしといてあげましょう」


「そうだな」


 沙羅の言葉に賛同してから、葵はしばし九尾を見つめた。九尾は幼子のように体を丸めて眠っている。全くの無警戒だ。こんなに隙だらけの九尾を見るのは初めてだった。


「ねえ」


「うん?」


 めいめい部屋の中で好き勝手にくつろぎ出す中で、沙羅が葵に小声で囁いた。


「九尾のことは心配だけど、私ちょっと嬉しいの」


「嬉しい?」


「ええ」


 沙羅は九尾を見つめる。


「九尾って、あまり人に頼ったり甘えたりしないから。こうやって、普通に疲れて、眠って……、そんなこと私と二人でいた時は全然なかった。疲れたそぶりは見せても、こんな風に、人前で安心仕切った顔で寝落ちしちゃうなんてことありえなかった。今そうしてくれるのって……、ここにいるみんなのことを、少しは頼ってくれてるってことなのかなって」


 沙羅の顔はとても優しい表情をしていて、葵は返事をするのも忘れてしばしぼ

うっとしていた。自分も少し疲れているのかもしれない。沙羅は、葵が返事をしないことを気にかけず、「なんて」とクスリと笑う。


「ちょっと考えすぎかな。単に今までにないくらい疲れているだけかもしれないし」


 そのままうんと伸びをすると、「私も今日は疲れちゃった」と言いながら、厠にでも行くのか、部屋を出て行ってしまった。それを見送る葵の耳に、九尾が寝言を言うのが聞こえてきた。


「……まつ……ば」


 松葉、誰だろう。葵は怪訝な顔をして、九尾の寝顔を見つめた。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る