第97話 墓参り

 その後、葵たちは頭領の庵から退出した。その際に、頭領から正式に京介、沙羅、九尾の御山での滞在も認められ、客人である四人(楓を含んで)には急ごしらえではあるが寝泊まりする部屋も与えられた。

 楓は御山で一晩逗留してから、明日の朝、太陰三山へ御山の頭領が行くことを伝えに帰ることになっている。頭領が御山を出発する日取りは、他の天狗たちとよくよく話し合い、紫紺の襲撃に備えるための諸々の準備が整ってから出発日を決めることとなった。


 葵は、天狗の里を京介たちに案内してから、客人用の部屋に彼らを送り届け、一人外へ出た。日はもう遠くの山の端にかかっていて、あたりが闇に閉ざされるまでもう間も無くだろう。葵は別に客人でもなんでもないので、客室で寝るわけにもいかない。襲撃で館が吹っ飛んでから、年老いた天狗や、病気や怪我、妊娠でもしていない限り、天狗たちは皆外で寝ている。そんな中で葵だけが客室で寝るわけにもいくまい。


「よ、葵」


 ポンポンと軽く肩を叩かれて、葵は振り返る。予想通りそこには五色の顔があ

った。


「どこ行ってんだ。もう日も暮れる。あっちで飯炊いてるから早く行こうぜ。じゃないとわんぱく小僧どもに全部食われちまう」


「ああ、いいよ俺は」


 そう言った葵に、五色は目を丸くする。


「どうした?腹減ってないのか。それかどっか具合でも……」


「いや、そういうわけじゃない。ただ、まだ椿丸やみんなに挨拶できてなかったから、先に済ませておこうと思って」


「ああ、そういうことか」


 五色は、ふっと寂しげに笑った。


「ちゃんと、挨拶してこいよ」


「ああ」


 五色に見送られ、葵は歩き出した。御山の天狗達が眠る墓所へと。


 

墓所へ着いた頃には、すっかり日は山の向こうに隠れてしまっていた。だが、今宵は月の明かりが明るかったので、そこまで不自由はない。


 ここの墓所には、あの夜の襲撃で死んだ天狗達が埋葬されている。両手でなんとか踏ん張ったら持ち上がりそうなくらいの大きさの墓石が並び、その墓石の一つ一つには丁重に花が供えられている。墓石の数は、葵が御山を出発する前に訪れた時よりも増えているようなだった。退魔の効果がある五芒星の陣の光を浴びた後遺症で、苦しんでいた天狗達がいたが、彼らのものなのかもしれない。


 葵は、その一つ一つに黙祷を捧げた。あの夜、葵のすぐ隣にいた、竜丸や茜たちの墓も、あまり話をしたことのなかった天狗にも、分け隔てなく。やがて、椿丸の墓の前まで来た。他の墓同様、墓前には桃色の花が供えられている。月の淡い光に照らされて、夜の暗がりの中に、花はひっそりと、しかし可憐に咲いていた。


「椿丸。ただいま」


 葵はそっと囁くような声で呼びかけた。墓の前で話しかけることによって、死者に声が届くのかはわからないが、それでも話しかけずにはいられない。


「俺は……元気にしてるよ。今日御山に帰ってきたばかりなんだ。……外の世界で仲間もできた。紫紺にも……会ってきたよ」




『要するに、もっと外の世界を知って視野を広げろってことだ。そうすりゃあ、自分が飛べない事に悶々とする事もないんじゃねえか?』



 まるで本当に聞こえたかのようだった。思い出そうとして思い出したわけでもないのに、椿丸がかつて葵に放った言葉が鮮やかに脳裏に蘇り、葵は不思議な心地になる。

 ああ言われた時は、たまたま葵の虫の居所が悪くて椿丸にきつく当たってしまった。



『つまり、出てけって事か?御山から』



『だから、もう独り立ちできるような年になったんだから、そろそろ俺に出て行って欲しい。そう言いたいんだよな』



 椿丸へ向かって放ったひどい言葉も次々と思い出された。椿丸がそんなことを思って、葵に外の世界を見てこいと言ったわけではないことくらい、今も、あの時だってわかっていた。わかっていたのに、人間だから、飛べないから、そんな子供じみた理由でイライラしていたから、椿丸に向かって八つ当たりしてしまったのだ。


 椿丸が生きていたら、葵の旅の話をどんなに面白そうに聞いてくれただろう。そして葵に、どんなことを尋ねてきただろう。初めて出会った人間の女の子、森神の住む森、立派なお社のある平地の街、どこまでも広がる草原の海を泳いでいく鹿の群れ。火山の地下にある華やかな街。目も眩むほど巨大な都。中には椿丸が行ったことのある場所もあったろう。行ったことのなかった場所もあったろう。たくさんたくさん話したかった。誰よりも椿丸に聞いて欲しかった。誰よりも椿丸と話したかった。なのにどうしていないのだろう。どうして死んでしまったのだろう。どうして……。


 わかりきっていることなのに、考えずにはいられない。なぜ、どうして。椿丸だけじゃない。どうして罪もない天狗達が、あんな一方的に殺されなければならなかったのか。


 都で会った紫紺の顔が脳裏に浮かぶ。あの男が、あやかしと人間、どちらか一方の数が激減すればこの世の理が崩れることを知らぬわけはないだろう。それなのに、自分の理想を追い求めてあやかしを根絶やしにしようとしている。神にでもなったつもりかと葵は思う。あの自身に溢れ余裕に満ちた態度、いつかあいつの鼻っ柱をへし折ってやる。


 葵は決然とした口調で、また椿丸の墓前へ話しかけた。


「俺は必ず、土御門紫紺を倒す。椿丸、安心して草葉の陰で見といてくれよ。俺はちゃんと、立派にやるよ」


 相変わらず、葵の言葉に頷く声はどこからも聞こえなかったが、葵は満足して腰をあげた。

 その時、すぐ近くの茂みがガサゴソと揺れた。続いて走り去る足音が聞こえる。葵は驚いて周囲を見渡した。狐狸の類かと思ったが、何か妙だ。足音が四足獣のそれではない。


「まさか……」


 口の中でつぶやくと、葵は音がした方へ見当をつけて走り出した。


「椿丸なのか……?」


 久渡平で沙羅の魂鎮めに立ち会った際、葵は死んだ者の霊魂を見た。だから今では、死者が魂となって現世に現れることもあるということを知っている。沙羅は、生者は死者の声を聞くことができないと言っていたが、それでもよかった。こちらの言うことが向こうに伝わってくれるのならば。


「椿丸!!」


 葵は無我夢中で木立の中を走った。確かに誰かがいる。何かが、葵から逃れるようにして走っている。


 京介たちや御山の天狗ならば、わざわざ葵から逃げようとしなくてもいいはずだ。不思議と葵の頭には、不審な侵入者ではないかという考えは出てこなかった。墓の前だったからなのかもしれない。死者である椿丸に声をかけていたからなのかもしれない。沙羅の魂鎮めを見ていたからかもしれない。それが、死者の霊魂かもしれないなどと思ってしまったのは。

 

 願わくばもう一度、会いたかった。一度として口に出したことはなかったが、父と仰いだあの天狗に。


「椿丸?」


 葵から逃れる者の立てる音が、ふつり、と途絶えた。


「椿丸、なのか」


 葵も走るのをやめて立ち止まった。

 視線の先に、銀色の薄い膜のような月光に身を包まれて佇む、一つの人影があった。月光のせいなのか、あるいはその人影そのものが発しているのか、夜の闇の中で、それはキラキラと輝いて見えた。


「椿丸じゃ……ない?」


 葵は眉をひそめる。

 明らかに、その人影は椿丸のものではなかった。椿丸にしては背が小さすぎるし、第一背中に翼も生えていない。


「残念ながら違うね」


 月の光の中で、人影がふっと笑った。

 声変わりが来る前の少年のような声だ。よくよく目を凝らして見ると、確かに子供だった。葵よりもその背丈は頭二つ分小さい。


「……誰だ?お前」


 見たこともない少年だった。だが、敵だとは思わなかった。それがなぜなのか、葵にはわからなかったが。

 

少年は「お前、だなんて失礼なやつだね」とおかしそうにクスクスと笑った。失礼なやつだと言いながらも、怒っているわけではなさそうだ。

 少年は葵の方へ足を踏み出し、近づいてきた。次第に月光の膜が剥がれ、少年の姿が露わになる。


「……?」


 喋り方や声音から、てっきり少年だと思っていたのだが、露わになった姿を見て、葵は戸惑った。整った顔立ちが、愛らしい少女のように見えたからである。


 しかし、その顔が作る表情は生意気な少年のものだ。肩の上でバッサリ断ち切られた、所々白髪の入り混じる黒髪のおかっぱ頭は男にも女にも取れる。服装は妙で、こちらも男の着るものなのか、女の着るものなのか、葵にはよくわからなかった。


 夜空の一等明るく輝いている場所を写し取ったかのような色をした服は、胸元で交差し、膝上まで伸びてふわりと広がっている。その下にも何かを履いているようだったが、葵にはそれが何という衣服なのかわからない。どっちにしろ、上の布も下の布も短いので、膝小僧より上の位置から、白い素足が露わになっている。肌の色は随分と血色が悪く、葵は少し心配になったが、そんな心配をよそに、少女のような、少年のような不思議な子供は、突然舞うようにポーンと飛び上がると、くるんと宙で回転して、葵の目と鼻の先に着地して見せた。どう見ても、只人ではないことだけは確かだった。

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