第74話 道中

 雲ひとつなく晴れ渡った青空の下、葵たちは、都へ続く街道を歩いていた。

 街道には、葵たちの他にも様々な人の姿がある。

 山の幸がいっぱいに積まれた荷車を牛に引かせる者。背中に大きな荷物を背負った旅人。奇抜な格好をした旅芸人らしき集団。中には立派な栗毛の馬にまたがった、役人らしき男の姿もある。

 京介の話によれば、都を中心にして、こうしたいくつもの街道が東西南北に伸びているそうだ。今葵達が通っている街道は、西から都へ入る街道。人々の間ではそのまま西街道と呼ばれている。西街道の他に、北街道、南街道、東街道という主要な四つの街道があり、その街道の間を縫うようにして、さらに小さな街道が伸びている。これら街道には都を目指す者、都から去る者がひっきりなしに行き交うため、街道の途上にはいくつもの宿場町が発展しており、大変賑やかだ。

 最初葵たちは、獣姿の九尾の背に跨って悠々空の旅をしてきたのだが、人の目がたくさんある街道付近では九尾の背を降りて、他の旅人と同じく徒歩で都を目指している。空を飛ぶ大きな化け狐の姿を目撃した人々の騒動を、回避するためだ。

 そして今、いくつかの宿場町を通り過ぎること三日。葵たちは都まであと一息というところまで来ているのだった。


「この調子でいけば、都には日が暮れるまでには着けるね」


 先頭を歩く京介が、ちょうど中天を過ぎようとしている太陽をまぶしそうに見上げながら言った。

 葵は京介の言葉を受け、自分が今歩いている道の先に目をこらした。さすがにここからでは都は見えないが、この道の先に都があることを考えると気持ちが高ぶってくる。

 最初、葵は京介とともに紫紺の後を追ってまっすぐ都へ向かうはずだった。しかし、紫紺の式神・黒鳥の急襲を受けて予定を変更せざるを得なくなり、都へ向かうのは先延ばしになった。その都へ、今ようやく近づいて来ている。

 葵には都がどんな場所なのか想像もつかない。これまで久渡平の久渡の町や、美村鹿の鬼の国といった大きな町を見てきたが、都はそれ以上に大きな町だという。今都にいるという紫紺のことを考えると複雑な気持ちになるが、葵は純粋な好奇心からまだ見ぬ都に思いを馳せていた。


「ねえ、葵も都は初めてなの?」


 隣を歩く沙羅に尋ねられ、葵は歩きながら「ああ」と頷く。

 そういう沙羅はどうなのかと思って尋ねてみると、彼女もまた初めてだと言った。


「国許にいた時には、都へ行くことになるなんて思ってもみなかったわ。物見遊山のために行くんじゃないけど、ちょっと楽しみ」


「そういえば、国許はどこなんだっけ。まあ、言われても、俺は地理に疎いからピンとこないかもしれないけれど」


 口にした通り自分の地理の疎さに苦笑しながら葵が聞くと、沙羅は「多津瀬たつせというところよ」と答えた。


「都からはずっと離れた場所にあるの。山深いところなのだけれど、多津川と言う清流が流れ込んできていて、とても綺麗なところなのよ。夏になると、その多津川のほとりで華やかな祭りが行われるの。普段はのどかなところだけれど、その時ばかりは各地から旅芸人や祭り専門の商人が集まって、とても賑やかになるのよ」


 故郷を語る沙羅の顔は幸せそうだった。故郷が好きでたまらないと言った表情をしている。葵にとっても、自分が育った御山は何にも代え難い大好きな場所だ。御山がどんな場所か尋ねられたら、きっと今の沙羅のように話すだろう。


「多津瀬か。そんないいところなら、いつか俺も行ってみたいな。その時は沙羅に案内を頼むよ」


 実際、沙羅の話を聞いていると興味が出てきたので葵がそう言った途端、沙羅の表情に陰りがさした。何かいけないことを言っただろうかと葵が思っていると、沙羅が口を開いた。


「それは、ちょっと無理かも」


「無理?」


「ええ。このことは、葵と京介にはまだ話してなかったわね……」


 その言葉にすぐ前を歩く京介も、怪訝な顔をして振り返る。

 沙羅は言葉を続けた。


「実は私、故郷から追放された身なの。だから、もう二度と故郷に、多津瀬へ帰ることはできない」


 沙羅は努めて明るく言おうとしている様子だったが、追放という思わぬ単語に葵はとっさに言葉が出てこなかった。追放、つまり沙羅は故郷から追い出されたということ。よほど悪いことでもしでかさない限り、そんなことにはならないはずだ。だが、彼女が悪事を働くような人間には見えない。だから葵は、余計に戸惑ってしまった。葵の戸惑いを感じたのか、沙羅は「ごめんね」と笑った。


「急にこんな重い話になって。でも心配しないで。追放された時は苦しかったけれど、今になって考えれば、おかげで私はこうして広い世界を見て回れているんだから。これはこれで満足よ」


 そう言うと、沙羅は元気に走り出した。前を歩く京介を追い抜いてから立ち止まって、くるりと葵たちに振り向いてみせる。いつだったか、桜の君から預かり、沙羅に渡した薄紅の着物の袖が、彼女の動きに合わせてふわりと揺れた。


「ねえ、この道の先に都があると思うと、ちょっとドキドキしてきたわ。京介は地元だから当然として、九尾は行ったことあるの?」


 重い空気になったのを感じ取ってか、沙羅は話題を変えようとしているようだった。

 沙羅の気持ちを汲み取ったのかどうかはわからないが、九尾は面倒くさそうな顔をしながらも、葵の後方で「大昔にな」と答えた。


「封印される前のことだから、あまり当てにするなよ。あと後ろ向きに歩くな。こけるぞ。お前どんくさいから」


 九尾が最後まで言ったか言わないうちに、後ろに転がっていた小石にでもつまずいたのか、沙羅は「うわっ」と悲鳴をあげて地面に尻餅をついた。それを見た九尾が、そら見ろと言わんばかりに鼻で笑う。


「大丈夫?」


 一番沙羅に近い京介が、腰をかがめて親切にも右手を差し出した。


「だ、大丈夫……びっくりしただけ」


 恥ずかしかったのか、沙羅は顔を真っ赤にしながらも、差し出された京介の右手を取って体を起こした。

 すぐそばを歩いていた他の旅人の何人かが、後ろ向きに歩いていた沙羅が尻餅をついたのを目撃していたのか、愉快そうに笑った。それから、不貞腐れた様子の沙羅に睨まれ、「失礼」と言って緩んだ口元を引き締める。

 だが、今のですっかり重い空気は吹き飛んでしまっていた。

 立ち上がった沙羅は、お尻についた砂埃を叩き落とすと、コホンとわざとらしく咳をした。それから拳を空へ突き上げる。


「と、とにかく、都、都が楽しみだわ!張り切っていきましょう」


「張り切りすぎてまた尻を打たないようにな」


「うるさいっ」


 九尾の余計な一言に声を荒げる沙羅。その言葉で沙羅が尻餅をついた光景が頭に浮かび上がってしまい、葵も思わず吹き出してしまった。すると、京介も葵につられたのか遅れて吹き出す。それを見た沙羅はまた顔を赤くして「もう!」と叫んだ。


「みんなして笑わないでよ!!もう知らない」


 ぷんと起こってしまって、先へずんずん歩き出した沙羅をなだめるのには、この後随分と時間を要する羽目になった。

 





 

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