第55話 瑪瑙菖蒲

 主人に命じられ、夕星ゆうづつはしなやかな足で跳躍すると、頭を振りかぶり角を突き立ててきた。さっきは気がつかなかったが、その角の切っ先は恐ろしく尖っている。あの勢いで角に当たれば、最悪串刺しだ。

 葵は角の先端部から目を離さないようにして、慎重に二撃目を避ける。避け様、葵は夕星の横腹を思い切り錫杖で殴りつけた。それにひるんだ夕星の隙をついて、九尾が右手のひらを広げて出現させた青い炎の玉で攻撃する。だがそれぐらいの攻撃ではビクともしないどころか、さらに激昂させただけのようだった。

 夕星は蹄を踏み鳴らすと、何を考えたのかいきなり角を橋へ突き立てた。次の瞬間、角が熱されたような赤みを帯びたかと思うと、角が刺さった箇所から大きな爆発が巻き起こる。

 角が突き立てられていたのはちょうど橋の中央。爆発の衝撃で均衡を崩された橋は、木片を飛び散らせながら中央部分を陥没させる。さらに二度目の爆発で橋は完全に己を支える力を失った。メキメキいやな音を立て、夕星が角を突き刺した部分から真っ二つに裂け始める。

 九尾はとっさに安全な回廊の方へ飛び移ったが、反応が一瞬遅れた葵は斜めに傾いだ橋の上で足を滑らせた。重力には逆らえず、ずるずると橋を滑り落ちて行く。

 夕星は器用にも、落ち行く橋の大きな木片から木片へと軽やかに飛び跳ねながら葵の方へ近づいてきていた。さすがに空中戦は不利だ。葵は飛べない。

 天狗のように翼があったらと、歯ぎしりする思いにかられながら、葵はなんとか橋の欄干を掴んで少しでも地面に激突する時間を遅らせようとする。だがこうしていても地面に落ちて死ぬか、串刺しになって死ぬかの二択である。それならばと、葵は一か八かの思いで迫ってきた夕星の首元へ飛び移った。

 いきなり首にしがみつかれた夕星はびっくりして首をめちゃめちゃに振り、葵を振り落とそうとする。だがこちとら振り落とされるわけにはいかない。少々不格好ではあるが、葵も死に物狂いで首に回した両腕に力を込める。

 夕星は首を振りながらも自分の足場だけは確保することを忘れなかったらしい。木片から木片へ飛び移りつつ、最後に一際高い建物の屋根の上に飛び降りる。

 しめたと思い、葵はパッと腕を離して屋根の上へ転がり込んだ。瓦が衝撃でガラガラと音を立てる。

 夕星は葵の姿を視界にとらえた途端、前足を高くかかげ、葵めがけてうち下ろしてきた。体を横に転がしてそれを避けた葵は、崩れた体勢のまま錫杖を振るい、瓦にめり込んだ夕星の前足を薙ぎ払う。

 ぐらりと夕星の体が揺らいだ。その横っ腹に、葵は神通力で風を纏わせ、攻撃力を何倍にも高めた錫杖を渾身の力を込めて叩き込む。至近距離から繰り出された攻撃をモロに食らい、夕星は屋根から地面へ叩き落とされた。間髪を容れずに葵は止めを刺しに、自らも屋根から飛び降りる。だが、振り上げ打ち込んだ錫杖は夕星の角によって阻まれた。夕星は体を横たわらせてはいたが、頭をもたげてとっさに防御したのだ。

 葵は一旦後ろへ飛び下がり、距離をとった。だが、体を起こした夕星の強烈な地面の蹴りによって一気にその距離を縮められた。

 一呼吸する暇もなかった。目前に角の先端が迫ってくる。とっさに錫杖を盾代わりに使ったので串刺しは免れたが、体に響いた衝撃は重かった。両足に力を込めて踏ん張ったが、いかんせん体格が全く違う。そのまま押し切られ、葵は背後の建物に体をめり込ませられる羽目になった。だが夕星はそれだけで終わらせるつもりは毛頭ないらしい。葵が必死になって角を錫杖で受け止めていると、角が先ほど橋を爆破させた時と同様に赤みを帯び始めていた。

 このままでは爆死は免れない。内心焦りを覚えたが、ここで死ぬつもりなど葵には毛頭なかった。押し相撲の原理でわざと錫杖に込める力を緩め、それに引っ張られて前のめりになりかけた夕星の隙をつき、体を下に滑らせる。そのまま夕星の腹の下をくぐりぬけた葵の背後で、爆発音が響いた。

 どうも爆発を引き起こす本人にはその爆発の威力は効かないらしく、夕星は平然として立っている。しかし、葵が腹の下をくぐり反対側に出たおかげで、今夕星は葵に完全に背を向ける形になっていた。この機会を逃すわけにはいかない。

 しかし葵が反撃に移る前に、彼方から空を切る音が近づいてきた。はっとしてその方向を見ると、三日月型の斬撃がまっすぐに飛んできている。それを視界に捉えた瞬間、葵の真横に斬撃が被弾した。地面が抉れ、その衝撃波で葵は吹っ飛ばされる。だがゆっくりしている場合ではなかった。慌てて体を起こす葵の頭上を、右を、左を斬撃が雨あられと降り注いでくる。


「葵」


 不意に名を呼ばれ顔を上げると、斬撃の嵐の中を、白虎丸に乗った京介が駆け抜けてこちらに近づいてくるのが見えた。

 白虎丸が葵の前で立ち止まると、京介は早く背中に乗れと目で合図する。葵が急いで白虎丸の背に飛び乗る間、襲い来る斬撃の嵐から葵達を守ってくれていたのは九尾だった。

 葵が無事乗ったのを確認して、九尾は白虎丸が駈け出すと同時に自分も後を追って駆け出した。

 駆け出した方向は斬撃が飛んでくるのとは真逆の方向。つまり今京介達は斬撃から逃げている。

 葵はそれに気づいて「おい」と声を荒げた。


「お前ら、あの女の相手してたんじゃなかったのか。」


「相手してたけど、葵が橋ごと落っこちてそれどころじゃなくなったんだよ。」


 京介に返され、葵はムッとする。だが相手は事実を述べているだけなので反論の余地もない。


「葵を助けに行こうとしたら邪魔されて、少しは戦ってたけどさ。どっちみちああして龍神の牙を振り回されてたら、そばに近寄れもしないよ。だから今は一旦退却中。」


「退却してどうするんだよ。」


「それを今から考えるのさ。」


 葵と京介を乗せた白虎丸は、狭い路地裏へと飛び込んだ。その時にはもう斬撃は飛んできていなかった。しかし、遠くの方で町が破壊される音が鳴り響いてくる。あの女が龍神の牙を使って破壊し回っているのだろう。

 葵は一息つくために白虎丸の背から降りると、狭い路地裏に腰を下ろした。


「龍神の牙もそうだが、あの鹿みたいな式神も厄介だぞ。角で爆破してくる。」


 額に滲んだ汗をぬぐいながら葵が言うと、京介は顎先に手をあてがってうなった。


「鹿の式神に、爆発ね。それに瑪瑙家。」


「なんか思い当たることでもあるのか?」


 葵が尋ねると、京介は「まあね。」と曖昧な返事を寄越した。

 その隣で家屋の壁にもたれかかっていた九尾が、「なら早く言え。」と少し不機嫌そうに急かす。


「わかったわかった。今から言うってば。彼女の正体がわかったんだ。多分、彼女は瑪瑙菖蒲めのうあやめだ。」


「誰?」


 率直な疑問を口に出した葵に対して、京介は小さくため息をつく。


「そりゃ葵が知ってるわけないよ。都の陰陽師だもの。でも僕は知ってる。直接会ったことはないけど。鹿の式神を操り、その式神が爆発系の技を得意としてる瑪瑙家の女性といったら、瑪瑙菖蒲をおいて他にいない。」


「有名なのか?」


「史上最年少で陰陽寮入りしたからね。そりゃ有名だよ。でもまさか、そんな彼女が紫紺の仲間だったとは。」


「驚いてたってしょうがねえよ。」


 それまで口をつぐんでいた白虎丸が、口を挟んだ。


「相手が誰であれ、今はどうやって菖蒲を止めるか考えねえと。」


 もっともな意見に京介は「そうだね。」と頷く。


「どうにかあの斬撃と式神をかいくぐって、彼女に直接攻撃を届かせるすべがあるといいんだけど……。葵と九尾は、何か良い策思いつかない?」


「誰かが囮になれば良い。」


 九尾が冷ややかな表情で答えた。


「真正面から突っ込むのはまず無理だ。さっきやろうとしたが、どうしても飛ぶ斬撃に邪魔される。だから、菖蒲が囮に躍起になっている隙をついて、残りの奴で背後から叩く。」


「囮作戦だね。うまく引っかかってくれるかな?」


「それはやってみなければわかるまい。問題は誰が囮になるかだ。」


 九尾の言葉に一瞬一同を沈黙が覆った。

 囮になれば、あの恐ろしい斬撃と一人で立ち向かわなければならない。それをやるのは恐ろしく勇気のいることだ。

 葵は自分がやると手を挙げようかと思ったが、三度も九尾や京介に斬撃から救われている身では、自分に囮が務まるかは正直自信がない。歯がゆい思いに駆られながらどうしようかと考えていると、京介が手を挙げた。


「僕がやるよ。この中なら僕が一番適任だ。正確に言うと、僕と白虎丸だけどね。」


「良いのか?」


「うん。僕らなら、斬撃を避けることは白虎丸が集中すれば良いし、どうしても避けられない斬撃は僕が防げば良い。葵と九尾だと、どっちも一人でやらなきゃいけないでしょう?」


 ね?と目配せしてきた京介に、葵は「ああ。」と曖昧に頷く。だが危険なことに変わりはない。本当に大丈夫なのかと、頷きながらも葵は心配そうな目を京介に向けた。その視線を受け止め、京介はなんてことないように笑った。


「別に無理して言ってるんじゃないよ。僕と葵と九尾、この三人の中で誰が一番囮に適任か選んだ結果だ。それがたまたま自分だっただけ。」


 京介は進み出ると、テキパキとした口調で言葉を続けた。


「そういうわけで僕が正面から行くから、彼女が僕に気を取られている間に葵と九尾はそれぞれ別方向から同時に攻めて。さすがに三方向同時に攻撃はできないと思うから。」


 それから京介は、そのへんに落ちていた棒切れを拾ってくると、地面に簡単な地図を書き始めた。菖蒲がいるであろう場所に見当をつけ、葵と九尾がどこで待機するかを決めて地図上に書き込む。


「こんな感じでいこう。異論があったら言って。」


「ない。」


「ないな。」


 二人が頷いたのを確認して、京介は「よし」と腰に手を当てた。

 それから三人は、攻めかかる時に交わす合図など細かい部分を取り決め、各々緊張した面持ちでそれぞれの持ち場へと向かっていった。

 


 

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