第54話 対峙

 女から目を離さずに葵は地面を足で蹴りあげて走る、走る、走る。そうしている間にも、女は容赦なく牙を振り上げ町を破壊してゆく。


 だが、女も明らかな敵意を持って自分へ近づいてくる三つの人影を見落としてはいなかった。


 もう互いにはっきりと表情の読みとれる距離にまで近づいた時、葵は右手で握りしめていた錫杖に神通力で風の力を纏わせた。だが、それよりも女の動きのほうが何段階か早い。


 標的を定め、女は龍神の牙の斬撃を葵たち目掛けて放ってきた。


 光の刃のようにも見えるそれが唸りを上げて迫ってくるのを確認し、葵たちは咄嗟に地面へ体を伏せる。その直後に、三人と一匹の頭上を斬撃が飛んで行った。背後で斬撃が直撃した地面が爆ぜる。あれをまともに食らえばほぼ命がないと踏んだ方がいいだろう。


 だが、二撃目の攻撃に備えて体勢を整えようとする前に、女は地面へ伏せた葵たちへ容赦のない攻撃を放ってきた。さすがにこれは避けようがない。できるかどうかは怪しいところだが、どうにか錫杖で防ぎきるしかない。だが斬撃が完全に届く前に、京介が葵の前へ飛び出してきて、数枚の札を宙に展開した。


 葵の護符と龍神の牙の斬撃。力と力の拮抗する音が響き、斬撃が爆ぜるようにして立ち消える。すると女は攻撃の手を止めて、少し驚いた様子で京介をまっすぐに見すえてきた。


「お前、陰陽師か。」


 京介は何も言わずに女を見返した。だが女はそれに構わずに言葉を続けた。


「どこの家の者だ。」


 真面目くさった女の問いに、京介は相好を崩した。


「そんなに簡単に答えると本気で思ってます?」


「もちろん思っていないさ。」


 女は一瞬だけ口元に笑みを見せる。だがすぐに笑みを引っ込めた。


「よくよく見れば、そこの髪の長い男はともかく、そちらの少年も人間ではないか。危うく殺すところだったぞ。なぜこんなところにいる?私は同族を傷つけるのは嫌いだ。巻き込まれたくなければ早々にここを去れ。」


「去らねえよ。」


 吐き捨てるように言った葵の方へ女は顔を向ける。


「なぜだ?」


「あんたの目的はなんだ。」


 逆に質問され、女は少し面食らったようだったが素直に答えた。


「私の目的か。無論、ここのあやかしたちを町もろとも壊滅させることだ。」


「何のために?」


「我らの悲願のために。」


「悲願?」


 眉をひそめた葵に対し、女は艶然と笑った。


「この国を、この世を、あやかしなどという穢れた存在のいない、真に清浄な地にすることだ。」


「もう一つ聞く。」


 葵は今にも爆発しそうな自分の感情を抑えようと、一つ深呼吸してから口を開いた。


「三月前、久渡平であやかしの子供を大勢殺したか?」


「三月前?ああ。そういえばそんなこともあったな。」


 まるで昨日食べた夕食の献立を思い出すような調子で言った女の言葉に、葵は一気に自分の頭の芯が冷え切っていくような感覚を覚えた。この女はあやかしの命などなんとも思っていないのだ。ただの穢れたモノとしか思っていない。

 椿丸も、御山のみんなも、紅鳶が大切に思っていた子供達も、そんな奴らに殺されたのか。


「それがどうした?そもそもなぜお前がそんなことを知っている?」


 不思議そうな顔をして尋ねた女へ、葵は怒りに任せて啖呵を切った。


「どうしたもこうしたもない。命をなんとも思わないような奴と、これ以上交わす言葉もない。」


 最後の言葉を吐き出すと同時に、葵は足を前に踏み込んでいた。神通力で力を込めた錫杖を構え、怒りに任せたまま突っ込む。

 女はそんな葵を見て、悲しそうに呟いた。


「邪魔をするか。ならば仕方がない。」


 刹那、龍神の牙が猛威を振るう。


「馬鹿、葵!」


 後ろで京介の叫ぶ声が聞こえ、葵の目前に斬撃が迫った。だが葵は止まらずにそれを錫杖で雑に殴りつけ、弾きかえす。できた、と思った瞬間、葵がもう一度構え直す隙を与えず次の斬撃が迫る。しまったと思った葵だったが、斬撃が直撃する前に誰かが葵の首根っこを引っ掴んで宙へと跳躍した。そのおかげでギリギリ斬撃を回避する。


「お前は馬鹿なのか?今何も考えずに突っ込んだろ。」


 回廊に備え付けられた橋へ飛び移りながら、葵の首根っこを掴んだ九尾が蔑んだ目をして言った。


「悪い……。」


 九尾の言った通りだと葵は反省した。自分はたった今、彼女と紫紺の姿を重ね合わせ、怒りに任せて後先考えずに突っ込んでいた。九尾がとっさに助けてくれていなければ、今頃自分は死んでいただろう。


 九尾にいささか乱暴に橋へ降ろされた葵は、再び女へ向き直った。今度は無闇に突っ込むような馬鹿な真似はしない。


 だが一息つく暇もなく、女は再び斬撃を放ってきた。同族を殺すのは嫌いだと言っていたが、相手があやかしの味方をする人間ならば殺すのに躊躇はないのかもしれない。


 葵と九尾は横っとびに逃げて斬撃を回避する。


 

一方、 葵たちに女の注意が向いている隙をついて動こうとした京介だったが、女は京介を警戒していたようで、龍神の牙の切っ先は葵たちに向けたまま、鋭い視線で京介を射止めた。


「そこのお前。誰を敵に回しているのか知っての行動か?」


 女の問いかけに京介は苦笑した。


「ええ。一応は。」


「大した度胸だ。褒めてやる。」


「褒められても嬉しくないですよ。僕は正面から戦うつもりは全くなかったのに。」


 あくまで冷静な態度を崩さない京介に、女は「後悔するぞ。」と忠告した。


「紫紺様の邪魔をすれば、どうなるか。」


「そんなこと重々承知ですよ。それとやっぱり、紫紺には目的を同じとする仲間がいたんですね。それとも、協力しろと命令でもされているんですか」


「違う。私は紫紺様の考えに賛同した。いわば同志のようなものだ。あの方も私と同じくあやかしを憎んでいる。」


「なるほど。」


 女は京介を睨みつけた。


「あくまで敵対するつもりか。ならば死ね。」


 女は今度は京介に向かって斬撃を放った。京介は白虎丸にまたがってそれを回避する。 


 葵は九尾とともに女の動きを止めにかかったが、女が懐から白い紙のようなものを取り出したのを見てそれに既視感を覚えた。


「気をつけろ。式神を出す気だ。」


 京介の叫び声に葵はハッとする。

 瞬間、女の放った紙が変じて、葵の目の前に巨大な鹿のような生き物が現れた。

 鹿は頭に生えた角を振り立ててこちらへ突っ込んでくる。葵と九尾はどうにかそれを避けたが、攻撃を外して葵たちの背後へ突っ込んでいった式神は、鼻息荒く再びこちらへ角を突きつけてくる。


「私の式神だ。かわいいだろう?夕星ゆうづつと言うんだ。」


 女は不敵な笑みを口元に浮かべる。


「さあ夕星。そこの二人と遊んでおやり。」

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