第30話 巫女・紅鳶

 多くの参拝客でごった返す羽衣神宮の境内に設えられた、神楽を奉納する舞台で、一人の美しい巫女が今まさに神楽舞いを奉納しようとしていた。


 巫女の衣装である白衣びゃくえ(白い小袖)に緋袴を身につけ、上からは千早と呼ばれる白絹の薄い衣を羽織っている。頭には花かんざしをつけ、それが美しさをよりいっそう引き立てている。


 巫女は、ゆったりした足取りで舞台上へ進みでると、笛の音色に合わせて右手に持った神楽鈴を天に掲げ、シャン、と鳴らした。つ、と足を踏み出し、ゆっくりとした動作で体の向きを変え、またシャン、と澄んだ鈴の音を響かせる。


 手の指の先から足先まで、流れるような動作で舞う巫女の姿は、清廉で美しく、天女が舞い降りたかのようだった。参拝客たちもそれに目を奪われたように、神楽殿の周りに集まり静かに眺めている。


 皆の注目を集めるその巫女は、ただ一心に舞うことに意識を傾けているようだった。笛の音に耳を澄まし、それと己の舞とを調和させながら、羽衣神宮に祀られた神へ舞いを捧げる。彼女が今感じている世界に観客の姿はなく、自分と、笛の音と、神だけが存在していた。

 

やがて神楽舞の奉納が終わると、巫女は静かに舞台から引き上げて行った。


 舞台から降りた巫女は、神楽殿のすぐそばに控えていたもう一人の巫女へ目を向け、足を止める。


紅鳶べにとび

 

さっきまで舞を奉納していた巫女が、その巫女に声をかけた。紅鳶と呼ばれた巫女は、


「七瀬さん」と、申し訳なさそうな顔を向ける。大人びた顔立ちをしているが、まだ二十歳前後の年若い娘だった。


 紅鳶は、姉のような存在である舞を奉納していた巫女・七瀬へ頭を下げる。


「すいません。また舞を代わってもらって」


 それに対し、七瀬は「それは別に構わないけどさ」とため息をついた。


「それよりも、呪いの具合はどうなんだい」


 七瀬に問われ、紅鳶は少し明るい口調で答えた。


「少しずつですが、呪いは解けているみたいです。でも、もうしばらく時間はかかるかと」


「そう。じゃあ、巫女を止めなくて済むね。あんた、呪いを受けた身では、神に仕えることなどできない、舞も奉納できない、と嘆いていたもんね。良かったじゃないか。あんたの神楽舞は私のよりずっとすごいのだから、早く呪いを直して、舞えるようになりなよ」


 七瀬の言葉に、紅鳶は「はい」と控えめの口調で頷く。


「しかし、不思議なもんだね」


 七瀬は顎先に指を当てて、何かを考え込む仕草をした。


「どんな手を尽くしても治らなかった呪いが、ここ二週間の間でみるみる弱まっていくなんて、どうしてだろう。あんた、何か心当たりはないの?」


 七瀬の問いに、紅鳶は「ないわけではありません」と言った。


「でも、確証はないんです。もしかしたら、というだけで」


「確証がなくてもいいよ。話してごらん」


 紅鳶はいくらか口ごもったが、「実は、例の」と話を切り出した。その時、羽衣神宮の神主が二人のそばを通りかかった。


「おお、七瀬殿、紅鳶殿」


 顎に白いひげを生やした初老の神主は、二人に気づいて声をかけてきた。紅鳶は話をすぐに切り上げて、神主へぺこりと会釈する。


 神主は少し興奮した様子で、二人に「聞いたかい?」と問いかけてきた。


 七瀬と紅鳶はなんのことやらさっぱりわからなかったので、きょとんとした顔で互いに目を見合わせる。神主は「そうか、まだ聞いてないか。まあ、ついさっきのことだものな」と一人納得しながら話を続けた。


「いやな、先ほど参拝客の方々が話しているのを小耳に挟んだのだが、噂の巫女がとうとう捕らえられたらしい」


「え、本当ですか?」


 七瀬と紅鳶は神主の言葉に目を丸くした。


 噂の巫女というのは、最近この町に来たという、巫女を名乗り、あやかしの魂を鎮めているという流しの巫女のことである。


 しかし、あくまで自称巫女なので本当に巫女かどうかは疑わしく、さらにあやかしを連れているらしいので、ますます怪しい者として、久渡の町の領主が役人に命じて近頃その人物を調べさせていたのだ。


 もちろん紅鳶や七瀬を始め、羽衣神宮に仕える巫女たちはその噂を聞き及んでいる。羽衣神宮の鎮座する土地で巫女の名を騙り、あやかしを連れ歩くとは何事だと領主が憤慨し、このことを羽衣神宮の神主に伝えたので、皆知っているのだ。


 神主は肩が凝っているのか、右肩を拳でトントンと叩きながら話す。


「獄舎の方に連れた行かれたらしい。おそらく、そこで尋問でもされるんじゃないかね」


 神主の発した『尋問』という言葉に背筋をゾッとさせながら、紅鳶は尋ねた。


「あやかしも一緒に捕まったのでしょうか?」


「いや、捕まったのは巫女を名乗っていた女の子一人らしい。しかし恐ろしいものだね。神に仕える清浄な巫女の名を騙り、不浄なあやかしと関わりを持つとは。三月前に陰陽師に退治されたあやかしの魂を鎮めているという話もあったが、本当はあやかしの亡骸を使って何か怪しげな儀式でもしているのではと、もっぱらの噂であったし、捕まったと聞いて一安心だよ」


 そう言い残し、神主は「それじゃあ」と二人の前から去っていった。


 七瀬も神主とは同意見だったようで、ホッとしたように息を吐く。


「良かったね。これは早く他の子達にも話してあげないと。しばらくこの話題で持ちきりだわ。ねえ、紅鳶」


「う、うん」


 紅鳶はどこか浮かない顔でうなずく。しかし七瀬はその様子に気づくことなく話を続けた。


「ちょっと不謹慎だけど、どんな子か見てみたいね。あやかしを連れて歩いているくらいだから、きっと只人ではないでしょうよ。ひょっとしたらその子もあやかしだったりして。何て、そんなことないか。陰の鈴はその子には反応しなかったらしいし。」


「あ、あの」


 七瀬のおしゃべりを遮るようにして、紅鳶は声をあげた。


「ん?どうした?」


「ちょっと、具合が良くないから、日陰で休んできます」


 そう言うと、紅鳶は七瀬に小さく会釈してから、小走り気味に境内から出ていってしまった。

 

 

 境内を出た紅鳶は、参道の端に植えられたケヤキの木の下で足を止めた。


 七瀬にはああ言ったが、実は具合が悪いというのは嘘だった。


 紅鳶は七瀬に嘘をついたのに少し罪悪感を感じたが、あのまま噂の巫女の話をするのは心苦しく、さらに一人でいろいろと考えたいことがあったので致し方なかった。


 紅鳶は人目につかないように、参道から裏側に面した木の後ろへ回り込んで、そこに腰を下ろした。


 それから彼女は、襟元を崩すと片側だけ着物を脱いで、白い肌をあらわにした。しかし、むき出しになった華奢な肩の皮膚には、どす黒い文様のようなものがいくつも浮き出ている。その文様の一つ一つは渦を巻いたような形をしており、それがいくつも集合して若い娘の肌を覆っているのはひどく不気味だった。


 紅鳶はそれを見て、はあ、とため息を漏らす。

 

この不気味なあざのようなものは、あやかしの呪いをその身に受けた証だった。


 紅鳶はある事情で、三月前東の森で行われた陰陽師のあやかし退治の場に居合わせていた。その時に、死にゆくあやかしたちの怨嗟の声を浴び、呪いを受けたのだ。体への呪いの発現は、最初渦を巻いたような形の小さな文様が一つ浮き出ただけのものだった。しかし、それが日を追うごとに増えてきて、最終的に彼女の背中から首筋にかけてまで広がった。やがてこの呪いが全身に広がれば自分は命を落とすだろうと、紅鳶は本能的にこのことを悟っていた。


 そのような状況の中、このような穢れた身では巫女の務めを全うできないと、紅鳶はしばらく巫女の仕事を辞退していた。その間に色々と呪いを払う方法を七瀬や神主が試してくれたが、どれも効果はなかった。そうして諦めきった頃、ほんの二週間前から、突然呪いのあざの範囲がどんどん小さくなりはじめ、現在では、右肩を覆う程度にまでになった。


紅鳶からこの呪いをどこで受けたのかを詳しく聞かされていなかった七瀬は、それがなぜなのかわかっていないようだったが、紅鳶には一つ心当たりがあった。


 その心当たりというのが、捕らえられたという噂の巫女だった。彼女があやかしの魂を鎮めている、と紅鳶が耳にした頃と、紅鳶にかかった呪いのあざが小さくなり始めた時期はちょうど重なっていた。ひょっとすると、彼女があやかしの魂を鎮めていることで、死にゆくあやかしたちの怨嗟の声を浴びることでかかっていた呪いが消えていっているのかもしれないと、紅鳶は考えていた。だからこそ神主が言っていたような、実は魂を鎮めるというのは表向きで、あやかしの亡骸を使って怪しげな儀式を行っているという世間の噂を、紅鳶は信じてはいなかった。


 紅鳶は何としても、その少女と話をして、彼女と自分の呪いが解かれていくのとに、本当に関係があるのかを知りたかった。それだけではない。あやかしを連れているというその少女に、東の森のあやかしたちへ犯した自分の罪を、過ちを聞いてもらいたかった。


 紅鳶は着崩した巫女装束を直すと、すっくと立ち上がった。


 今、捕らえられたその少女は獄舎にいるはずだ。どうにかして引き合わせてもらえないか掛け合ってみようと、紅鳶は決意を秘めたまなざしで、参道を走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る