第5話 謎の男

 館が地獄絵図と化した頃、椿丸は酔いを醒まそうと館から離れた木の上で、一人月を眺めていた。おかげで五芒星の陣による被害に巻き込まれずに済んだものの、すぐに異変には気がついた。


 椿丸は上空に浮かび上がる五芒星の陣を二度見た。一度目で館の寝殿部から火の手が上がり、二度目でさらに広範囲から火の手が上がった。ただ事ではないと、椿丸は翼を広げすぐに館へ戻った。


 池に面した渡殿のそばに舞い降りた椿丸は、息も絶え絶えの同胞の姿を見て顔色を変えた。


「しっかりしろ、何があった?」


 同胞を助け起こしながら椿丸は尋ねる。


「何者かが、襲撃を」


 そこまで言ったところで、椿丸の腕の中でその天狗は事切れた。椿丸は歯を食いしばり、事切れた同胞をそっと地面に横たえてやった。先ほどまでその天狗を支えてやっていた自分の手を見ると、赤黒い血がべっとりと付いていた。


「なんとむごいことを」


 椿丸は亡骸の前で手を合わせてから、開いたままになっていた目をそっと閉じさせてやる。


「おや、あやかしでもそのようなことをするのですね」


 不意に投げかけられた言葉に、ひどい悪寒を感じて椿丸は振り返った。とっさに持っていた太刀を引き抜く。


 椿丸から数歩離れた先に、黒い狩衣姿の人間の男がいた。女かと思うほどに美しい顔をした美青年だった。だが美しいだけだった。口元に微笑を湛えていてもその表情は冷たく、彼の持つ冷酷さ、残虐さを隠しきれてはいなかった。


 艶やかな銀髪が腰近くまで伸び、サラサラとかすかに揺れている。椿丸はその髪を不吉なものでも見るようにチラリと見やった。


「あんた誰だ」


 椿丸は警戒心をむき出しにして、唸るように言葉をその青年に投げかけた。


 青年は椿丸をあざ笑うかのように「誰だと思います?」と逆に聞き返す。


「その身なりからして、多分陰陽師だな。陰陽師様がここに何の用だ」


「おやまあ、この状況を見れば自ずとその用向きがお分かりになるはずですが」


 刹那、目にも止まらぬ速さで椿丸は動いていた。ただ目の前の青年を殺すことのみに意識を集中させる。青年の首元に鋭い太刀の切っ先が迫る。しかし、ギリギリのところで椿丸が掲げた太刀は青年の持っていた鉄扇で受け止められた。


「急になんです。いきなり驚かさないでほしいですね」


 涼しい顔をして青年は言った。その顔にゾッとした椿丸は、すぐにその場から跳びのき距離をとる。椿丸の本能がこいつはやばいと警鐘を鳴らしていた。


「何が狙いだ。なぜ我らを襲う?」


 十分な距離を取りながら椿丸は尋ねた。青年はニコリと微笑む。


「なぜか?そうですね。あなた方があやかしだから、ですね。」


「理由はそれだけか?陰陽師ってのは人に仇なすあやかしを退治する術者だ。だが我らは人を襲ったりなどせぬ。陰陽師に退治される覚えなどない」


「言ったでしょう。あなたたちがあやかしだからですよ。人を襲っているかいないかは関係ない」


 椿丸は険しい怒りの形相で青年を睨んだ。


「なぜあやかしという理由だけで退治されねばならんのだ。俺の知っている陰陽師は悪さをしないあやかしを殺めたりはせん。奴らが相手取るのは人を騙し貪り食らう大悪党だけだ。それともなんだ、俺が山に引きこもってる間に、陰陽師は罪もないあやかしを一方的に殺戮するクソ野郎になり下がっちまったのか?」


 椿丸の抗議の言葉を聞き流し、青年は肩をすくめた。


「よくしゃべる天狗ですね。私がどんな理由であなた方を襲っても良いではありませんか。まあでも、特別にあなたには教えてあげます」 


 青年は椿丸の太刀を受け止めるために開いた鉄扇を、パチリと閉じた。


「私は、この世からあやかしという存在をなくしてしまいたいのです。」


「何?」


「私はこの国を洗い清める。一片の穢れなき世へ」


 青年はそう言い放つと、懐から呪符を放った。椿丸はすぐに呪符の軌道を読み取り上空へ飛んで避けた。さっきまで椿丸のいた地面に、呪符が突き刺さり爆発する。しかし攻撃はそれだけにとどまらなかった。次々と呪符が放たれ椿丸を襲う。椿丸はそれらを空中で華麗にさばく。


「なかなかやりますね」


 青年は不敵に笑い、胸元で印を組んだ。


「黒鳥!」


 どこから来たのか、突如椿丸の頭の上に真っ黒な大型の鳥が飛来した。鶴のようにしなやかに伸びた首の先にある頭には、立派な飾り羽が付いている。尾の部分にも同様に飾り羽があり、孔雀の羽にあるのと同様の目玉のような模様が付いていた。その模様を除けばあとは全て漆黒の羽毛に覆われている。


 見たこともない鳥の出現に驚いた椿丸のわずかな隙を突き、鳥は椿丸の両肩を足で鷲掴みにしてそのまま地面へと叩きつけた。叩きつけられた椿丸はわずかに呻いたが、すぐに体をひねって鳥を払いのける。鳥は一声疳高く鳴くと、青年のいる方へ飛んで行った。


「式神か」


 そう言って椿丸は体を起こしたが、自分の足元の地面に何か模様が描かれているのに気がついた。五芒星だ。そこから出ようと足を動かそうとするも、突然体が重くなりそれどころではなくなる。


「何だ!?」


 体が重くなったと思った椿丸だったが、体が重くなったのではなく椿丸の周囲の重力が通常より強くなっていることに気がついた。おそらく椿丸を捉えている五芒星の陣の範囲内でのみ、重力が強くなっているのだろう。


「小癪な真似を」

 椿丸は重力に負けないよう必死で足を踏ん張る。しかしそれは敵に無防備な状態をさらけ出しているも同然だった。


 青年が右腕を突き出して印を組む。すると、青年の周りに大きな円を描くようにして呪詛の言葉が浮かび上がった。それらは遠目から見ると黒い帯のように見える。そして青年が何かを囁いた。


 次の瞬間椿丸は、自分に迫り来る無数の黒い帯を見た。そして同時に、視界の端で葵の姿を捉えていた。


 

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