第3話 葵と五色

館のそばにそびえ立つ松の木の上に葵はいた。もう日が落ちかけており、空は赤く染まっている。


 五色は「おーい」と声をあげた。葵は、松の木の根元に立って自分を見上げてくる五色を見下ろした。


「椿丸は別にお前に出て行って欲しくてああいうこと言ったんじゃないと思うぞ」


 葵はその言葉に肩をすくめた。


「そんなことくらいわかってる。」


「じゃあなんであんなに怒ったんだよ。」


「それは……」


 葵は口をつぐんだ。もちろん五色の言う通り、椿丸が葵に御山から出て行って欲しくてあのようなことを言ったのではないことくらいわかっていた。椿丸が言いたかったのは、ただ飛べないことに劣等感を抱える葵にもっと外の世界を、天狗以外の世界も知って欲しいということだったのだろう。今葵の知る世界は天狗の暮らすこの御山だけだ。だから自分が飛べないことにこだわってしまう。だが外の世界を知れば視野が広がり、自分が飛べないことを気に病むことがなくなるのではないかと椿丸は考えたのだろう。


 天狗は自分の生まれ育った山を降りることはほとんどないが、椿丸は数年の間山を出て国中を旅したことがあるらしい。その時にこの国には天狗や人間を始め様々な種族が多様な価値観や暮らしの中で生きていることを知り、視野が広がったと椿丸は葵に話してくれたことがある。それを葵にも体験させてやりたかったのだろう。それだけわかっていてなぜ葵は怒ってしまったのか。それはやはり自分が天狗ではなく人間で、御山には場違いだと葵自身が心のどこかで思っていたからなのだろう。さらに競い飛びで拗ねてい鬱憤がたまっていた。それがあの椿丸との会話で飛び出してしまったのだ。我ながら情けないと葵は落胆した。


「ま、誰にだってあるよ。なんか怒っちゃう時。でも、後でちゃんと椿丸と仲直りしとけよ」


 五色は葵が何も言わずとも、幼い頃より共に過ごしてきた経験により親友の気持ちを推し量ることはできる。今回もその体でお気楽そうに言った。そんな気楽な調子が、葵の心を少しやわらげた。


「ああ、そうだな。後でなんかうまい酒でも持っていってちゃんと話すよ」


 そう言いながら葵はすとんと松の木から地面へ飛び降りる。


「なあ、葵。」


 五色が今度はまじめくさった口調で言った。


「ん?」


「俺はさ、お前が御山に場違いだなんて思ってないからな。人間だろうと天狗だろうと、この山で育った奴はみんな仲間だ。いつもつるんでるみんなもそう言ってる。葵はれっきとした御山の一員だって。そう思ってないのは一部の頭の固い連中だけさ。そんな奴らのこと気にすんなよ。だから、」


 五色はそこで一旦言葉を切ると、葵の目をまっすぐに見据えた。五色の瞳に自分の姿が映っているのを葵は見た。


「自分はここに場違いだって言って御山を出て行くなんてやめてくれよ。もしお前が本当にここに居たくないとか、外の世界を見たいとか思って出て行くなら話は別だけど、自分は人間だからとか、よく思ってない連中がいるからとかそんな理由で出て行くのだけは、」


「わかってるって」


 五色の言葉を遮り葵は快活に笑う。


「心配しなくてもそんなことしねえよ。俺の居場所はこの山だ。そんな理由で五色や椿丸、みんなの前からいなくなるなんてことは、絶対にしない」


「そうか。今の言葉、忘れないぜ」


 五色も嬉しそうに笑った。


「さあ、こんな辛気臭い話はそろそろやめにしよう。捻くれるのももうやめだ。どんちゃん騒ぎと洒落込むか」


 その言葉を合図に、二人は館の中へ駆け戻って行った。そんな二人の後ろ姿を、沈みゆく夕日の光が優しく包み込んだ。

 

 

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