中学校

 なんか前の章の最後にもちょろっと書いたんですが、中学校って小学校とほぼ変わらないと思うんですけど、皆さんはどうお考えでしょうか。


 まあ、中学受験をする若き天才さんはさておくとして、ほとんどの人は公立の地域の中学校に進むんじゃないですかね。ほぼ小学校の頃とメンバー変わらず。


 んで、授業は相も変わらず教科書丸暗記ですもんね。


 僕の中学だけかも分かりませんが……

 文型ってあるじゃないですか。あのSVOとかなんとかってやつ。

 僕の中学ではそれまったく教えてくれなくて。でもテストでは文書いたりなんだりしなきゃならないじゃないですか。

 それで結局「本文を暗記してこい」とか言い出すんですよね。

 いや、ちょっとまてよw それなんの意味あるのよw って今だからこそ思うんですが、当時はそれが当たり前だと思ってますからね。その嫌で嫌で仕方がない暗記をせざるを得ませんでしたよ。

 高校でSVO習って初めて中学の授業のクソさが分かりましたよね。


 ま、これは僕の中学の話なんで教わる先生によっても全然違うとは思うんですが……でもやっぱりどの教科においても、今の「教育」は意味のない暗記中心ですよね。


 そんで、中学になると大体の場合、高校受験というのを見据えて偏差値だとか平均的がより注目されるようになります。ここで「俺はこの高校のレベルだー」「私はこの高校行けないなー」みたいなことを言い始めるわけですね。


 ここで、どんどん「勉強」のできない子の地位がどんどん下がってきます。場合によってはいじめに繋がりますが、そうでなくとも自尊心を傷つけられるのは明らかです。


 勉強ができないヤツは努力が足りないんだ、なんてことは前の章を読んでいれば言えないはずです。


 多かれ少なかれ、個々に得意不得意と上限があるんです。そして、今の「教育」は暗記です。暗記が不得意な人、あるいは平均より上限が低い人は、努力と関係なく蹴落とされるわけです。


 「でも、勉強ができないならどうせ他のことだってできないでしょ」だなんて、絶対に思ってはいけません。


 皆さんはアインシュタインを知っていますね。相対性理論を見つけたりした、偉い科学者です。一口に言えば天才。


 でも、アインシュタインは学校の「勉強」ができなかったんです。「1+1はなんで2になるの?」といったような質問を何回もして先生を困らせ、授業の内容はまったく理解しない。テストでは常に最下位。クラスではいつもいじめられていたそうです。


 最終的に、「勉強」ができなすぎて先生に登校しないでくれ、とまで言われます。そして、お母さんが頑張って彼の疑問に答えたり、一緒に考えたりしたことで、最終的にアインシュタインは「天才」と呼ばれるまでになったのです。


 このお話を聞いてどんな感想を持ったでしょうか。先生や生徒たちが酷い人ばかりだ、って?何を言いますか、今の日本の小中学校と全くおんなじです。


 このお母さんの頭がいいんだ、とか、アインシュタインがたまたまそうだっただけだ、とかいう人もいるかもしれませんが、実は学校の「勉強」ができなかった「天才」っていっぱいいるんですよ。


 例えば万有引力で有名なニュートンや、電球を発明したエジソン、モナリザなどの絵画で有名なダ・ヴィンチなども、学校の「勉強」が不得意で、不登校になったり勉強を放棄したりしていたそうです。


 こういう「天才」たちは、それぞれ発達障害であるという説が濃厚です。発達障害は得意不得意が激しく、特に人と話すことやみんなと一緒に授業、というのが苦手な傾向があります。そして、何か一つの物事に関心や集中力が特化することも特徴の一つです。


 だったら健常者の教育に関係ないじゃん、と思うかもしれませんが、ところがどっこい。発達障害と健常者の違いはただ一つ。日常生活に支障をきたすかきたさないかだけ。


 つまりどういうことかというと、我々も教科や運動に得意不得意があり、それが日常に支障をきたさないレベルなら健常者、日常に支障をきたすほど飛び抜けて不得意な部分がある場合は障害、という風に区別されるのです。


 結局、言ってしまえば人間なんて全員発達障害なんですよ。それぞれ得意なもの不得意なものあるでしょ?だから分けて考える必要はないんです。


 人間にはそれぞれ得意不得意がある。上限がある。当たり前のことですが、これを真の意味で理解してる方、実際あまりいないんじゃありません?


 さて、話を戻すとつまり、今の「教育」はそういった「天才」の芽を潰すだけでなく、得意な部分をことごとく潰していくのです。


 学校の「勉強」なんて物差しの一つに過ぎないはずなのに、それが不得意な子は問答無用で「馬鹿」のレッテルを貼られ、「勉強」以外に得意なことがあっても見向きもされないのです。


 また、「勉強」の中でも、一部分だけ得意で他は不得意、という場合でも捨てられます。(前の章でも出しましたが、数学の中でも計算、計算の中でも二次式だけ、とかね)


 とことん「得意」を潰すようにできているんですね。まったく、何を考えてそんなことをしているんだか。一切理解できません。


 さて、ではどのようにすればいいか、ということですが、正直小学校の話とそんな変わりません。暗記はさせる必要ないし、本人たちに考えさせるんです。


 もちろん、義務教育ですからぱーっと教科書を通しで教えればいいでしょうが、それを覚えてるかどうかなんてどーでもいいんですよ。


 あ、ちなみにここまで、高校受験がない前提で話していますが、それも次の章に持ち越しですね。


まとめ

・「学校の勉強ができない=頭が悪い」ではない(それを植え付けない)

・教科書は流すだけ

※受験がないこと前提


 これだけ色々書きましたが、これでもここまでは「義務教育」ということで大目に見ている方です。一応できなくても進級卒業はできますからね。


 これが高等教育になってくると話が大きく変わってくるのですが、それはまた次の章で。

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