ドラゴン・レディは名探偵

@ns_ky_20151225

第一話 ドラゴンの視点

一、ケルトン教授

 被害者の遺体はすでに運び出されていた。事件現場の研究室はほとんど乱れていなかった。倒れていた位置を示す床の白線と血の染みがなければ、部屋の主は講義に出ていると言っても通るだろう。

 私は入り口で番をしている警官に頷くとさらに部屋の奥に入った。朝日が差し込んでいる。大きくて古びた机、掃除の行き届いた暖炉。整理整頓されている本棚が被害者の性格を表しているようだ。

 しかし、机上は昨夜の犯行を示すように乱れ、床にも数枚書類が散らばっている。ペンや文鎮、ランプが落ちて割れていた。それでも治安警察庁舎に比べればましだ。妙な臭いはないし、ごみや染みもない。


「君、これまでの状況を」

 しゃがんで机の下を覗き込んでいる警官に命じると、こちらを見て立ち上がり、敬礼して報告を始めた。緊張しているのか、わかっていることも含めて言う。

「被害者はケルトン教授。六十歳。男性。帝国大学ドラゴン学研究室主任。死因は鈍器による後頭部打撲。魔法使用の有無については調査中。昨夜十二時以降の犯行と推定」

「根拠は?」

「十一時半に大学の給仕頭が茶の注文を受け、五十分頃運んだと証言しています。第一発見者もその給仕頭で、今朝八時前です。動揺がひどく、聞けたのはこれだけです」

「今はどうだ。大丈夫そうか」

 困った顔をした。

「階下の給仕控室に留めておりますが、ひとり付き添いをつけて落ち着くのを待っております。行ってみましょうか」

 頷くと、先に立って案内する。大学の廊下と階段は学問の権威を表す威圧的な意匠で飾られていた。

「ハラ上級捜査官です。事情聴取は可能ですか」

 控室に向かって呼びかけ、返事を聞くと私だけ中に通して戻っていった。


 給仕頭は青い顔をしていた。痩せた小さい男だが、永年勤続表彰の筋が制服に入っていた。付き添いの警官が落ち着いて捜査官の質問に答えるようささやいている。私は民間人用の口調に切り替えていくつか質問をした。

 給仕頭は昨夜、ケルトン教授に濃い茶を命じられた。帰宅せず、論文を書くつもりだと言っていた。仮眠をとるかと聞いたが、毛布などが必要であればまた命じると言って追い出されたと言う。

 教授は気難しいところがあり、そう言われた以上あれこれ気を遣うとかえって叱られるので茶だけ運んで控室で待機していた。

 その後呼び出しなどは一切なく、朝六時半頃、洗面や朝食について伺おうと思ったが、そういうことなので遠慮していた。しかし、八時を過ぎようとしても呼び出しがかからないので扉の外から挨拶をしたが返事がない。偶然取っ手に触れると鍵がかかっていなかったので声をかけながら入ったらあのような状況だったとかぼそい声で言った。


 動揺をなだめながらそれだけ引き出すのにうんざりするほど時間がかかってしまったが、私は顔に出さないようにして協力に感謝し、付き添いの警官に後を任せて研究室に戻った。さっきの警官が、今度は暖炉を探っている。


「なにか見つかったか」

「これを。暖炉で見つけた燃え残りです。崩れやすいので気をつけて下さい」

 端のほうが焦げているほぼ三角形の紙を渡された。そっと手のひらにのせる。

「分かるか」

「いいえ。他の教授に確認しました。古代ドラゴン語の西部方言を表した古代人類語の音声記号だそうです。分かるのはケルトン教授だけ。どうやら論文の下書きらしいです」

「論文を誰も読めない文字で書いたのか」

「ケルトン教授は極度の秘密主義で、下書きはこの文字を使っていたようです」

 そっと証拠品用の封筒にすべりこませた。

「他にはもうないか」

「ええ、それ以外は黒焦げです。束のまま放り込んだ感じですね。真ん中あたりのそれだけ残ってました」

「なくなっている物はないか」

「副主任と研究棟の管理者に立ち会ってもらいましたが、貴重品はなくなっていません。本や小物はこれから記録と突き合わせます」

「頼む。私はいったん戻って報告する」


 帝国治安警察の建物は大学ほど威圧的ではない。一般の役所と見た目はまったく同じで無個性機能一点張りだった。正面入口のアケボノ王の紋章がなければ民間企業の建物と間違えそうだ。

 私はカノウ捜査部長に報告を行いながら、背後の黒板に書いてある一級や二級捜査官たちからの報告を読んだ。見ている間にも書き換えられていく。

「ご苦労だった。死因は物理的衝撃と確定した。他にも魔法や霊力は関わっていない」

 部長は禿げた頭をなでながら黒板を指差した。そこには、以降、魔法協会の捜査協力は打ち切られるとあった。

「物盗りでもないようです。貴重品はそのままでした」

 私は容疑者のリストを見た。その視線に気づいたカノウ捜査部長が言う。

「二名だ。トサ教授。それとコマイ、こそ泥だ。こいつは大学の寮で捕まった。夫人も研究室に行ってはいたが、発生時刻にはいなかったようだ。複数の証言が取れた」

「容疑者についてまとめたものはありますか」

 部長は机越しに書類を投げた。「読め」


 カノウ捜査部長はそっけないが、いいところがある。コーヒーには出し惜しみしない。私は自宅で淹れるより旨いコーヒーを飲みながら自分の机で書類をめくった。

 リストにはケルトン教授夫人がまだ残っていた。一応目を通す。昨夜十時頃研究室に夜食と着替えを持って訪れていた。夫人がわざわざ? と不審に思いながら先を読み進める。

 夫人とケルトン教授の口論を、ランプの火屋交換や油補給に回っていた若い給仕が廊下で耳にしていた。

 教授が帰宅せず、ずっと研究室に居続けているのを心配するような口調だったが、それがすぐに非難になったと言う。どうやらいつも夜食や着替えを持っていく下女との仲を疑っていたらしい。

 教授は激しく言い返し、夫人は青い顔で出てきた。思い詰めたような目に驚いて声もかけられなかったと言う。それから研究室に入り、油がほとんど空になっていたので注ぎ足したが、教授はずっと書類を読んでいたとのことだった。

 その後、他の給仕、警備員、門衛が大学に隣接した自宅へ帰っていく夫人を見ている。また、召使たちは帰宅後は家にいたと証言した。


 書類をめくる。トサ教授についての報告が現れた。

 昨夜八時頃、大学の食堂でケルトン教授と激しい口論をしていたのを多数の学生や教授に見られていた。目撃者の証言を継ぎ合わせて会話が再現されていた。


 トサ教授。(……レディが最後の生き残りと考えるのが科学的態度というものだ……)

 ケルトン教授。冷静に反論。(……いや、人間はドラゴンを理解してはいない。その分布や個体数もだ……)

 トサ教授。そばにいた学生は挑発するような口調だったと証言。(……第一大誓約以来、ドラゴンに関する記録は完全だ。古代人はそこまでうかつではない……)

 ケルトン教授。嘲笑。(……古代人はそうでなくても、トサ教授、君はうかつだな……)

 トサ教授。怒りを堪えている。(……ケルトン教授、人前でそのような侮辱は控えていただきたい……)

 周囲の注目が集まり始める。

 ケルトン教授。(……いや、君の言う大誓約以来の記録を洗い直せば、むしろ……)

 トサ教授。(……なんだ……)

 ケルトン教授。(……ふん、まあいい。トサ教授、人の研究に口を挟むくらいなら、自分のところの学生をきちんと管理したまえ、西地区で演習をやっておるぞ……)


 ふたりがつかみ合いになる前にまわりの者が割って入った。ケルトン教授は無礼をたしなめられて謝罪し、トサ教授は受け入れたがずっと睨んでいたと言う。

 事件のあった夜、トサ教授は自宅にいたと証言している。また、門衛は翌日の出勤まで見ていないと証言した。

 ただ、教授の自宅は大学から歩いて十分もかからない上、夫人に先立たれ、子供たちは家を出て一人暮らし。召使も雇っておらず、週一回の家事代行も出勤日ではなかったため、裏付けがまったく取れていないのが現状だった。


 トサ教授については後で考えることにし、逮捕された窃盗犯のコマイについて読み始めた。

 昨夜、というか今日になってから大学寮に忍び込み、金品をあさっているところを警備に捕まえられた。

 興味をひいたのは所持していた帳面で、西地区でしばしば開かれている違法な拳闘賭博の記録と推定された。略号や記号のみで書かれており、そいつはそれについてはいくら追求しても口を割らず、商売の洗濯請負の記録だと白々しい嘘をついた。報復が怖いのだろう。

 問題は、記載されている略記号のうちいくつかが大学関係者だと読み解けることで、ケルトン教授とも取れる者が混じっていた。その客は最近の試合で大儲けをしており、この窃盗犯は近くまとまった額の払い戻しをしなければならない状況だった。


 窃盗犯を主に書類をもう一度読み直し、申請書類を書いていると、カノウ捜査部長に呼ばれた。何杯目かのコーヒーと書き上がった書類を持ったまま行った。ここではその程度は無礼でもなんでもない。

「ただだと思って、何杯飲む気だ」

「割前は出してますよ」

「割前って、ちんぴらじゃあるまいし」

 部長は苦笑いする。

「すみません。窃盗犯の書類を読んでたもんで」

「やっぱり、そいつか」

「ええ、大金が絡んでるのと、西地区のやくざ者ですしね。こいつから始めます」

 そう言いながら、帳面の大学関係者らしき部分の写しを持ち出す許可願いを出した。

「行くのか」

 部長は署名をして返す。

「聞いて回ったほうが早いでしょう。それと、これも」

 下書きの焼け残りの翻訳を依頼したいという願書も出した。

「どのくらいかかりそうだ」

「他の専門家に頼みますが、西部方言をすらすら読める者はもういません。一ヶ月は見ておかないと」

 不味いコーヒーを飲んだような顔になった。

「いかん。もっと早くできないのか」

 そう言いながら、部長はもう一つの解決策を思いつき、それこそ私が依頼したかったことだと見抜いたぞと、表情で伝えてきた。

「それほど重要だと考えているのか。単に下書きを処分しただけで事件とは無関係って落ちはないだろうな」

「学者が下書きを焼いてしまうなんていうのは不自然です。自分の思考過程ですよ。我々が書類を書き損じるのとはわけが違います。調べる価値はあります」

「よし。お前は西地区に行け。トサ教授は別の者を回す。その間に大誓約庁に申請しといてやる」

 部長は笑った。

「いつの間に上司を操る術を覚えた? それに、レディを巻き込もうなんて大物だな」

「からかわないで下さい。では、行ってきます」

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