フォール・アシッド・オー62


 小紋は思い出していた。あのヴェルデムンド世界での彼との特訓の出来事を――。

「いいか、小紋? 戦略ってのは、目に見えている物ばかり追っても始まるものじゃねえ。世の中にはポーカーフェイスなんて言葉があるぐらいだからな。この世の中に、すべて裸になって見せあうような戦略は存在しねえ。あるとなりゃそれは、ただの力任せのどつき合いだ。ただのどつき合いは傍から見ていて気持ちのいいものかもしれねえが、如何いかんせんどつき合い同士の消耗が激しい。てえことは、体力的に弱い奴が負けるってことだ」

 小紋は正太郎との夜間模擬訓練の最中であった。相手は仮想敵に見立てたマリダである。

「うんうん。ということは、ほとんどの相手には必ず隠し玉があると考えていいってことだよね? 羽間さん」

「そうだ。今回マリダにはそういった設定での敵役を任してある。何を隠し玉にするかは、この俺も知らねえ。だが、一応その隠し玉を読み取るのは、小紋、お前の役目だからな」

「うん、分かった。やってみるよ羽間さん」

 マリダは、他に引けを取らない極めて優秀なアンドロイドである。正太郎は、彼女の体術、技術、そして戦略術にも秀でた才能を利用し、小紋に実践で使える勘の読み合いを鍛えたかったのだ。生身一つでの夜間の戦略行軍ともなれば、彼女の本職のエージェントとしても、フェイズウォーカー乗りとしても、運用術として活用できるという考えである。

 とは言え、夜間のヴェルデムンド世界は世間一般で言われている以上に危険極まりない場所であった。夜間における人々の死者数は、毎年一万人を超えている。あの戦乱期でさえ、夜間の作戦行動は極力控えられていたほどだ。

 ヴェルデムンドの背骨折りと呼ばれた羽間正太郎ほどの男ともなれば、そういった禁忌とも言える時間帯を利用するのもやぶさかではなかったが、世間一般の定石からすれば、このような時間帯をけるのが常である。

 それゆえに、この訓練は実践と何ら変わりがない命懸けのものである。

 傍に正太郎が付いているとは言え、小紋は緊張のあまり感覚が鈍ってしまうのも無理はない。武装は訓練用のものである。とは言え、ダメージを受ければ三日は身体が痺れて昼間の仕事に支障を来す。さらに、夜間に活動が盛んになる肉食系植物に出会ってしまえば命を落とす危険性もある。

「羽間さんて、一見優しそうな顔してかなりのスパルタなんだよなあ……。まあ、そこがいいんだけど……」


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