青い世界の赤い⑤
小紋にとって、風華は母親の存在以上の優しい姉である。そんな最愛の姉の胸の内を聞かされてしまうと、どうにも身動きが取れなくなってしまう。それでなくても、小紋が女学校の実践課程を経てからヴェルデムンドに移住すると宣言した時など、どれほどまでに姉が胸を痛めていたことか。
確かに、いくら彼女の気持ちが痛いほど伝わってきたところで、ここでそれを踏み越えて行かなければ前に進むことすら出来ない。何と言っても、父親譲りの情熱の落としどころは誰にも止められないのだ。
「お姉ちゃん、ゴメンね。それでも僕は、あの世界に戻らなくちゃならないんだ。だって僕は、あの場所でやらなければならないことを一杯残してきちゃったんだもの」
「ええ、分かっているわ小紋ちゃん。……でも一つだけ約束して」
「約束?」
「そう、約束。それは、小紋ちゃんもお父様も絶対に無事でいて欲しいってこと。その一つだけの約束が守れるのなら、わたしは喜んであなたをあの世界に送り出すことが出来るわ」
「お姉ちゃん……」
小紋は、いかにも姉風華らしい一言だと思った。彼女の優しさの行動原理は、いつもこういった究極の母性が発端となっているからだ。
しかし、あの弱肉強食を絵に描いた世界で、それを果たすのがどんなに難しいことか。どれほどまでに難儀な課題であろうか。
それでも小紋は、今ここで首を縦に振ってこの姉を安心させてやらねばならない。それがどんなにまやかしであろうとも、
「うん、分かった。その約束、絶対に守るからね。絶対にお父様と僕の命守って見せるからね」
と、そう言って笑顔で応えなくてはならなかった。なぜなら、それが今まで究極の愛情を注いで面倒を見てくれた姉に対する礼儀であるからだ。
「頼んだわよ、小紋ちゃん。お父様のこと……」
「うん、分かった。でもそれには、まだまだやらなきゃならないことが沢山ある」
「頑張って。いつでもわたしが応援してるから」
「ありがとう、お姉ちゃん……」
小紋は、姉の見送りを背に真宮寺邸を後にした。たった数カ月の間だったが、まるでそこに昔から根が生えていたようにひと際の寂しさを感じた。
出来る事なら、このまま優しい姉と暮らしていたい。だが、自らの性格上それは不可能であると自覚している。
もし、仮に無理にここに留まろうとしたとしても、必ずやいつぞやは運命的な必然によって旅立つ日が来てしまう。いや、自らが進んで旅立ちたくて仕方がなくなってしまうだろう。
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