アルサンダール家の⑥

「正太郎様!!」

 アイシャは、二人が溶け合う中に飛び込むと、その間を割ろうとする。だが、溶け合う二人に拒絶され、体ごと弾かれてしまう。

「アイシャ!?」

 正太郎は、アイシャの身を気遣うのだが、もう自身の顔半分のところまで悠里子と融合しかかっている。

「この阿婆擦れ女め! 正太郎はあんたなんかに渡すもんですか! 私はこれを長年夢見て来たのよ。それを邪魔するなら容赦なんかしないんだから!」

 悠里子の幻影は、とても正気の沙汰ではない。なぜなら、この“パンドラの箱”によって仕掛けられた発明は、蘇らせた本人の強い意志が反映されている。言わば、羽間正太郎の積年の恋慕が強ければ強いほど、悠里子の幻影は強力なものとなってしまうのだ。

 この状況を打破するには、最早その蓄積された意思をも超える愛情以外何も残されていない。

 アイシャは思い起こした。父、ゲネック・アルサンダールが残したあの言葉を。

 あなたが世界を滅ぼしたいのなら――

 その言葉は、戦略を打つ上で自らに枕詞のように念頭に置くべきものだと教わってきた。相手が人である限り、それは百年の時を経ても千年の時を経ても変わらぬことだと教わってきた。

「そうだわ! 正太郎様は、お父様のその言葉を心に刻むことによって“ヴェルデムンドの背骨折り”とまで呼ばれたお方。それならば、私も同じようにその言葉をこの小さな胸に刻んで正太郎様をお救いして見せる……!!」

 アイシャは決死の思いで、再び融合し合う二人の間に飛び込んだ。しかし今度は弾かれるのではなく、アイシャの体ごと全てを取り込もうとしてくる。すると、

「い、いやあぁぁ!!」

 アイシャは苦悶の表情とともに絶叫した。溶解した悠里子の体に触れた途端に、アイシャの全身に針を刺したような痛みが走ったからだ。

「ほうら、容赦しないって言ったでしょう? 融合っていうのは快感が伴うばかりではないのよ。場合によっては痛みだって悲しみだって感じちゃうものなんだから。実はね、この痛みは私が死んだ瞬間に感じたものをあなたに伝えてあげてるの。あの時、とっても悲しかったんだから。もう正太郎に会えないという寂しさ。そして悲しさ。恐怖、そして体が引き裂かれたときの痛み。それをあなたにも、教えてあげる」

 悠里子の幻影から伝わってくる感覚はとても尋常な痛みではない。実際には、本物の日次悠里子が体験した痛みなのではないが、この痛みの正体とは、少年時代の羽間正太郎が日次悠里子の死を悲しんだ時に想像した痛みそのものなのである。ゆえに、この痛みは羽間正太郎そのものの痛みであるとも言える。

 アイシャは激痛に打ちひしがれながらも、その激痛の正体に気付いていた。それは、幻影の正体が羽間正太郎の作り出したものであると理解していたからだ。

 彼女は、融合体に飛び込んだ当初から悠里子の幻影になど目もくれていなかった。狙いは羽間正太郎一点のみである。

「そう、私はヴェルデムンドの背骨折りと呼ばれた正太郎様を見習って背骨を折ります!!」

 アイシャの体は、腰から半分まで融合体に取り込まれかかっている。取り込まれる範囲が増えれば増えるほど激痛は増すばかり。 

 しかし彼女はめげない。掛け替えのない存在である正太郎を幻影から取り戻すため、アイシャは這いつくばってでも正太郎の頭部に腕を伸ばす。

「正太郎様!! 聞こえますか、私の声が?」



 

 

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