ピーチ・オブ・ザ・スルト―桃太郎偽典―

アーモンド

第1話

はじめに……これは正史ほんとうの桃太郎とは違う運命を辿たどった、もう一人の【桃太郎】の物語である…………。




桃が川を流れていた。

あれ、じいさんばあさんはどこに、という疑問なぞは捨てて頂きたい。

彼らが拾ったのは正史の桃太郎。ここで流れている桃は…………偶然ぐうぜんにも拾われない。


ましてここは日本ではなく南米。

過酷かこくな地で、心優しい爺さん婆さんが安心して暮らせる訳がないのである。いるのはあつさに対応する様、進化した者たちだけ。


よって拾われず、桃は細い川を流れていた。

どんぶらこっこどんぶらこ、と独特のリズムを奏でながら、近くを先住民の打楽器バンドが通り過ぎていく。

彼らはここで出番終了であることを少し悲しんで頂けるとさいわいだ。


で。

桃の流れていく方を良く見ると、先が見えなくなるところがあった。

滝だ――――ということを、まだ産まれていない桃太郎が知るわけもなく、無惨むざんにも滝つぼへむかってまっ逆さま…………となるはずだった。


それがもし、日本の滝だったならの話だが。


ここは南米と先刻も記した。察しの良い読者ならば勘づいた方もいるだろう。

そう、この滝は。

落差約1000メートル、世界最大と言われる落差をほこる巨大な滝。

事でも知られる、瀑布エンジェルフォールだったのである。


滝の下、き出しになった岩肌があんぐりと口を開けて桃を待ち構えていた。

珍しさからか、辺りにいた動物たちも静かに見守る。


……………………ボゥッ。


まさか、と動物たちはおびえた。自然発火などというものが、この南米の地でも起こる事を認知し、始めて見るその炎が危険である事を本能で理解してしまったからである。


落下による摩擦まさつ、水分多量でも有機物である桃はあっという間に火の玉となって、岩肌に打ち付けられた。


動物たちの誰もが、その桃が終わった、と思いかけたその時、新たに生まれた荒々しい息遣いきづかいに生命の神秘を感じた。

が、姿を見て皆が逃げ出す。

犬も猿もきじでさえも、その異形なり気付けづき去ってしまった。


落下した時の炎は、そのままの筋肉質な体にまとわりつき。

荒々しい息遣いと共に、口からは煙が吐き出されていたのだ。

だがたぎる大人の体の中でともる、生まれたての心は幼児おさなごであった。

人並みに喜び、怒り、かなしみ、楽しんでいた。

だからだろうか。彼は見知らぬ地で産まれた喜びと、独りぼっちにされた哀しみを同時に感じ、そして怒った。


誰が俺をこんな場所に置き去りにしたのか。

誰が俺を産み出し、そして捨てたのか、と。


炎は怒りで煌々こうこうあふれ、嫉妬しっとから、より明るく強く燃える太陽に、おのずとかれていった。


その太陽の下、エンジェルフォールの上に角の生えたシルエットが。


「生まれてしまったか…………」


本能で、それが自分の産みの親だと知る。

そして、自分を捨てた親だと考えると、ひどく怒りがたぎった。

それは、男の鬼だった。

どんな風に育とうと、桃太郎は鬼をたおす運命であると、この鬼は考えている様であった。

鬼の血を絶やさぬ為にも、やむなく桃太郎をエンジェルフォールから落としたのだ。


だが、親の心子知らず。無論それを、この桃太郎が知る訳もない。

運命も世界も何も知らぬまま、ただ怒りに任せ、桃太郎は体に纏った炎を噴いた。


鬼は『とうとう来たか』と、まるで解っていたように軽く体を反らす。

先程まで鬼の顔があった場所を、避けてなお焦げてしまいそうな熱さの火炎が過ぎ去っていった。


「桃太郎のままにしておくのは勿体ないな」


鬼は平気そうに笑ったが、内心では恐怖に胸踊らせていた。

ここまでの力を持った相手を、鬼はこれまでに知らなかったのである。

なればこそ、闘争心がかつてないまでに燃え盛った。

次第に強くなる桃太郎の焔に当てられ、鬼までもが心揺さぶられていたのだった。


「だが」


鬼の動きが突如、受動から能動に切り替わった。桃太郎もこれには、言葉こそ無くとも反応せざるを得なかった。

1000メートルも上から崖の様な岩肌を垂直に駆け降り、鬼は桃太郎の鳩尾みぞおちに拳を一閃。


「桃太郎として生を受けた以上、滅びの芽は摘まなければならない。

せいぜい頑張れ、我が息子だった者よ」


鬼の拳はこれにより重度の火傷を負う事になったが、桃太郎の受けた傷はそれよりも酷いものであった。

産まれてすぐだった事もあってか、あばらを数本いわした。

そればかりか、折れた骨が内臓に刺さり、桃太郎の胆嚢たんのうと腎臓の半分は機能を失ってしまった。


「もう一度、手合わせしたいものだ。

先の焔、中々だったぞ。だが……」


鬼は痛みにもがき突っ伏した桃太郎に、歩み寄ってささやいた。


「お前は鬼としては弱い。

しかも鬼の仔でありながら、その姿は人間だ……。もしかしたら、人間として育った方が、興があるやも知れぬ。

よし、今はまだお前を殺さぬ。ここから今すぐ立ち去って、人として暮らすのならばの話だが」


無言で睨み、 しかし桃太郎は思う。


ここで命を落とすのは、得策とは言えない。

ならば生き延びて、この鬼に復讐を果たす明日を待つ方が良いのではないか――――。


「……その顔、決意した様だな。

ならば往け。そしてくれぐれも戻るなよ」


こうして、桃太郎は鬼と決別した。

彼の復讐劇が、始まる。

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