琥珀色のフレンチトーストとキミの名と02

「わぁ、美味しそう!!」


目の前に置かれた盛り付けられたフレンチトーストを見て、感激で私は大きく目を見張る。

琥珀色に焼けていて、香ばしい甘い匂い鼻腔をくすぐる。しかも、食べやすいように、一口大に切っている。見た目は、文句なしの100点だ。


「どうぞ、召し上がれ」


柔らかく微笑む彼。私は、いただきます、と手を合わせてから、フレンチトーストにフォークを刺して口へ運ぶ。


「ん!」


口の中に入れれば、ぷりぷりとした食感に、ふわっと広がる甘み。冗談抜きで、美味しい。お店とかで、出ているレベル。昨日特売で買った5切れ98円の食パンだとは思えない。

思わず無我夢中で食べていると


「マスターは、本当に美味しそうに食べるね」


と彼はくすりと笑う。


「その、マスターっていうの、ちょっと……慣れないな。私、小野寺理子っていうんだけれど」

「知っているよ、契約が結ばれたから。マスターの名前は」


何か書面に書いて手続き的なことしたっけ?なんて思い返していると


「昨晩、俺を月明かりに当ててくれたでしょ。あれで、契約されるんだよ」


私の心の中の疑問を答えるように付け加えた。そして


「だから、契約が結ばれている以上、マスターは、俺の主人で、俺は同居ドールだから。契約上、マスターと呼ぶしかないからね」


“ごめんね”と彼は言う。


「……決まりなら仕方ないね」


そういって、私はふとあることに思い至った。


「そうだ、名前は?あなたの名前は?」


そう尋ねれば


「俺?俺は、同居ドールだよ。名前なんてないよ」


彼は、わずかに困ったように笑う。


「え…?」

「俺は、同居ドール。俺の存在意義は、契約関係を結んだ主人に安らぎを与えること。だから、名前は必要ないんだ」


それは、なんだか……。


「……寂しいな」


心の中で思っていたことがつい口に出てしまった。


「寂しい?どうして?」


不思議そうに私を見る彼。私は、手にしていたフォークを置いて、彼を見返す。


「名前っていうのは、みんなが当たり前のように持っているけれど、一人一人に意味が込められてつけられた特別なものだわ。だから、同居ドールだからという理由で、ないっていうのは、なんか寂しいっていうか…」


“なんか、うまく言えないけれど…”と付け足せば、“いや、なんとなく、マスターの言いたいことわかったよ”と彼は首を1度縦に振ってから


「じゃあ、マスターがつけてよ」


にこりと笑って私を見る。


「私が?」

「うん、マスターが」

「私が、名前で呼ぶのは、契約に違反しないの?」

「うん。だから、マスターが呼びたい名で呼んでほしい」


それは、もう期待のこもった眼差しで。


うぅ…、眩しすぎる。正直、咄嗟に何も思いつかない。


「え~…、じゃあ、好きなものとか」


とりあえず、彼に関連したものから尋ねようと思えば、彼は嬉しそうに私を見て言う。


「マスター」


即答か!

こんな美形にまっすぐに見られたら、人形だとはわかっていながらも、さすがに照れる。


「じゃあ、趣味とか?」

「…俺は、同居ドールだから、趣味とかはいらないから」

「う~ん、結構難しいな…」


太郎?次郎?三郎?駄目だ。どう考えても、純日本人みたいな名前は合わないだろう、画伯な私は、どうもネーミングセンスまでないようだ。


「…ん~」


はて、どうしたものかと左から右に部屋を見渡して、視野の端に“あるもの”が目に入った。彼も、私の視線を辿り、気が付いたようで、その名を言う。


「シロツメクサ…?」


棚の上に置かれた花瓶に生けられたシロツメクサの造花が目に入ったのである。棚の上に、何も置いていないのは、なんとなく寂しかったので、以前、買ってきたんだった。造花なので、水の入れ替え必要ないしね。


「…綺麗だね」


しげしげと造花のシロツメクサを見て、彼は聞いてきた。

どこにでも生えるから、雑草といわれやすい花だけれども、私はこの花がわりと気に入っている。たまたま行った雑貨屋に置いてあり、迷わず購入してきた。


「本物は、いつみられるの?」

「4月ころかな?この近くの河原にたくさん咲いているのが見られるよ」

「へぇ…」

「見たことないの?」

「うん。バンボラは、ゼラニウムの花はよく飾るんだけどね」


そういって、どこか眩しそうにそれを見る彼を見て、両手を合わせた。


「…じゃあ、一緒に見に行こう」

「…え?」

「春になったらね」


私がそういうと、“やった”と小さくつぶやく彼。そんな彼を見て、ふと思いつく。


「…ハル…」

「え…?」

「名前、ハルっていうのは、どう?」


我ながら、彼に、とてもぴったりな名前な気がする。


「…ハル…」


そう繰り返して嬉しそうにふんわりと笑う彼を見て、なんとなくその要因がわかった。


「素敵な響きだね。ありがとうマスター」


“ハル”の優しい気遣いや笑顔は、なんだか、春の陽だまりに似ているのだ。


「マスター、これからよろしくね」

「こちらこそ、ハル」


代り映えのしない、目標もなく、目的もなく、生きがいもなく、ただ死んだように生きる日々を送っていた私の日常が、確かに変わっていく予感がした。

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