琥珀色のフレンチトーストとキミの名と01

♢ ♢ ♢




コトン。



「!?」


昨日のことに思いふけっていると、マグカップが置かれる音を聞いて、はっとする。

同時に、かぐわしい香りが鼻をかすめた。


「マスター、美味しいコーヒーが入ったんだ。冷めないうちに」


そういってにこりと笑って促す亜麻色の髪の彼…いや、同居ドールか。まじまじと見ても、どうやっても人形のようには見えない。


正直、頭の中で完全に整理できていない。


目の前にいる人物は、…いや、人じゃないのか。いや、それは、まぁ、いい。とにもかくにも、対面に立っているソレは、本当は人形で、昨日、譲り受けた同居ドール。この異常な状況についていけてない。


とりあえず、落ち着くためにもテーブルの上に置かれたマグカップを引き寄せる。


「…おいしい」


一口すすれば、昨日訪れたゼラニウムのコーヒーとはまた違っていい。うちにある豆で、こんなに美味しいのができるなんて。感動だ。


「それは、よかった」


どこか安心したように“ソレ…”。もう彼でいいや。彼は言ってから、嬉しそうにじぃっと私を見る。嬉しそうに尻尾が揺れているような幻覚さえ見えてきた。まるで、飼い主に褒められて、全身を使って嬉しさを表現しているかのごとく。


「…そんなに、見られると恥ずかしいんだけど」

「俺の存在意義は、マスターに安らぎを与えることだからね。同居ドールの存在意義は、主人であるマスターに安らぎを与えることだって」


そういえば、そんなことも言っていた。てっきり、同居ドールを見て、癒されるってことかと思っていたので、未だ頭がついていけてない。


「バンボラも言っていたでしょ?」とこともなげに付け加える。


「バンボラ…?」


話の流れ的に、昨日のゼラニウムの店主か。問えば、「その通りだよ」と頷く。昨日の銀髪のオールバックの紳士の顔が思い浮かぶ。


「…えっと、その…あなたは、同居ドール…なのよね?」


改めて確認する。少し癖っけの柔らかそうな亜麻色の髪。澄み切っている空色の瞳。陶器のように綺麗な肌。シャツから覗くほどよく筋肉のついた逞しい腕。なおかつ、180センチほどある背丈。どう見ても、人だ。まごうことなき人間だ。100人が100人、全員人間だと答えるだろう。間違っても、人形とは答えない。


確かに、昨日持って帰ってきた人形に容貌こそ似ているが、その人形は30センチほどだった。なおかつ、話さなかった。


「うん、そうだよ」


対して彼は、あっさり答える。


「心がある同居ドール。だから、こうして話したり、動いたりできるんだ」

「…そう…、なんだ…」

「だから、マスターがしてほしいことがあれば、遠慮なく言ってね」


ふんわりと優しく彼。


「…えっと、ありがとうございます?」


対する私は、思わず頷きかけたところで、語尾が上がる。


ちょっと待てよ。今の状況を整理すると、彼は、同居ドール。彼の存在意義は、「主人」である私に安らぎを与えることだという…。とどのつまり…。


「…もしかして、これから一緒に住むってこと?」


“同居ドール“というくらいだ。一緒に住む人形ということなのか。


そんなことを、頭の中で、考えて、おそるおそる尋ねれば


「…マスターは、俺と同居するの嫌?」


しゅんとうなだれた。彼に見えていた尻尾も途端力をなくす。


あれ…?なんか、罪悪感。


♢ ♢ ♢


「…いやというか…なんというか…」


人形とは言え、性別は男だ。同じ家の下、男女が二人きりなのは、どうだろう?道徳的にも、倫理的にもよくない気がする。しかし、目の前で、肩をがっくり落とす彼に、どう説明すればいいのだろう。とりあえず、私の状況を説明する。


「…私ニートだし…」

「ニート?」


初めて聞く単語だとばかりに、首をかしげる彼。思わず苦笑する。これをどう説明すべきか。

彼も私のようなニートと同居するよりも一生懸命働いている人の元に行った方が幸せだろう。こんな、途中で、ドロップアウトした人間よりも。


「簡単にいえば、働いていないの」

「…どうして?」

「どうしてって…、それは…」


♢ ♢ ♢



『本当に使えない!!!』



♢ ♢ ♢



「……」


嫌なことを思い出した。もう関係ないはずなのに。


気持ちを切り替えるたびにゆっくり瞬きをすると


「マスター?」

「!?」


少し動けば触れてしまいそうな10センチほどの距離の空色の瞳と目が合う。思わずガタンと椅子を後ろに引く。引き込まれそうなほど蒼く澄んでいる。


「大丈夫…?マスター」


整った眉を下げ、心配そうな表情を浮かべる彼。“大丈夫”と言えば、安心したように笑い、彼は、立ち上がる。


「…フレンチトーストも作ったんだ。マスター、好き?」

「…好きだけど」

「じゃあ、今から焼くね」


彼は、言いながら何事もなかったかのように、フライパンに卵に付け込んだ食パンをおいていく。ジュワっという音と甘いいい香が部屋に広がる。フライパンに敷いたフレンチトーストの焼き色が頃合いになったのか、彼がヘラでひっくり返したところで、私は彼に聞く。


「…聞かないの?」

「…何が?」

「…なんで、働いてないかって」


みんな聞いてくる。思い出したくもない過去(トラウマ)を、根掘り葉掘り。聞いてきてほしくないのに、みなは知りたがる。けれど、彼は、深く追及することもなく、何もなかったかのように、私のためにフレンチトーストを作ってくれる。


すると、フライパンの火を止めて、私をまっすぐ見て、答える。


「マスターが言いたくないならいいよ。マスターが言いたくなったときに、教えてくれれば」

「……」

「それに、マスターが働いていないことで後ろめたく思う必要はないよ」

「……」

「俺は俺の意思でここにいるんだから」


そして、“さ、出来たよ。あとは、盛り付けだ”にこりと笑った。

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