仮面の下 5
俺はすぐに頭が真っ白になってしまう。
こいつの
神谷由伸って神谷さんのことで間違いないよな。
でも、言われてみればどことなく目元とか似ているような。
ただ俺の知っている神谷さんはこいつみたいな堅い人物ではない。
もっとおちゃらけていて
あの人からこんな堅物な女が、生まれてくるとは考えられない。
考えられないとは言っても事実、こいつの顔には神谷さんの面影がある。
苗字も一緒だし、神谷愛が嘘をつくような人間にも思えない。
「疑うのも当然です。似ても似つかないですから」
「……本当なんだな」
「はい。ホープスターに誓って」
「会社に誓っちゃうのかよ……」
「私は父は嫌いですけどホープスターという会社は大好きですから。徹底された規律にしっかりと整えられた労働環境。若手のチャレンジを積極的に受け入れる姿勢。あそこは働く人間であれば誰もが憧れるでしょう」
父が嫌いって、確かにこいつの厳格な性格を考えれば必然的にそうなってしまうのかもしれない。
「入ってみれば案外緩いかもしれないだろ」
「実際に働いているあなたが言うのですから、
こいつそんなことを知っているのかよ。
神谷さんの娘だったらもしかしたら俺が働いているのを知っているかも知れないとは思ったが。
と、なると、こいつは俺が入学した経緯も知っているというわけか。
段々と神谷愛が俺を敵対視している理由がわかってきたぞ。
特別に入学した俺の存在が許せないのだろう。
「安心してください。この件は誰にもいいません。アイドルの家に行き来しているなんて事実を見過ごすのは大変心苦しいですが」
さすがにそこも気づいてしまうか。あからさまにその形跡が袖浦の家に残っていたからな。
だが、こいつならすぐに天野先生に報告しそうなものだが。
「……どういう風の吹き回しだよ」
「あなたに途中で辞められると困るんです。しっかり決着をつけたいと考えていますから」
「決着?」
なんのことだろう。俺と神谷愛が対決した覚えはない。
今月の中間考査のテストの結果だって神谷愛がダントツでトップだ。
俺は最下位だしこいつが気にかける必要もないだろう。
「今度の期末考査後に行われるアイドル科とマネージャー科、合同で執り行われる試験。どちらが一位通過出来るか勝負です」
その試験で一位通過したアイドル科の人間は晴れて正所属になり、マネージャー科の人間はそのマネージメントに携われる。確かそうだったはずだ。
「勝負って……お前から見れば俺や袖浦なんて相手じゃないと思っているんじゃないか? ナイトレイと受験での特別試験をトップで通過したと噂のお前なら楽勝だろう」
「……私を煽っているんですか?」
神谷愛は俺の顔を見て拳を握り締めた。
月明かりに照らされたその顔は唇を噛み締めて眉を寄せていた。
きっとクラスの人間がこれを見たら驚くだろう。
こんなに感情を
「確かにあの日、私はトップでした。でも、それは受験生の中での話です。一人だけ例外がいます。私よりも名刺を多く集めた例外が……」
「誰だよそいつは」
「ここまで言って分からないんですか。いや、わかっててやっているんですよね」
「もしかして……俺?」
いや、そんなことはないはずだ。あの時は結構集めたとは思う。ただ周りよりは出遅れていたし集めた奴はもっと集めただろう。
だが、色々と内情に詳しそうなこいつが言うから、俺が実はトップだったという話は間違いじゃないのか。
「ま、待ってくれよ。あれはたまたまであって総合力はお前のほうが上のはずだろう? それに俺は中間考査だって全然ダメだったし課題だって締め切りすぎて……」
「私のほうが上……? 私はあの試験以来ずっと、あなたの背中を追いかけているんですよ。私は勉強でもスポーツでも常に一番でした。そしてそれはマネージャーとしてもそうであると思っていました。でも……そんな私の自信をあなたは打ち砕いたんですよ。父から話を聞かされたときは気が狂いそうでした」
神谷愛の声は震えている。これは悲しみより怒りに近いように見える。
「私はあなたよりも優れた面は多いかもしれません。でもマネージャーとしてあなたに勝たなければ意味がないんです。この輝石学園マネージャー科にいる限り」
「お前……」
「私はあなたをライバル視しているのに、あなたは私を見てくませんよね。私はマネージャとしても、あなたに勝ちたいしそれ以外でも負けたくないです。なのにいつもいつも、私が必死で、あなたに挑もうとしているのにどこか達観して……父に認められたから、私を下に見ているんですよね。屈辱的です」
ようやっとどうしてこいつが俺に構うのか納得がいった。俺が特別扱いされているからというわけではない。
こいつはただ俺という存在を認めてライバルとして打ち負かしたいだけなのだ。それも何度も何度も。
特別試験で俺に負けた悔しさから、どんなことでもいいから俺に挑戦して、勝ちを積み重ねていきたかったのだろう。
しかし、その挑戦者はどの戦いにもやる気がなかった。それは腸が煮えくり返るだろう。
俺もバスケで自分より上手いと思っている奴には、例えバスケ以外であっても負けたくないと思うはずだ。
ただ、こっちはやる気全開なのに対戦相手がやる気を出さなかった怒るだろう。
俺はそれを神谷愛にやっていたのかもしれない。
「あなたはどこか父の
いつもとは違い、髪を結んでいない神谷愛はまっすぐに俺を見つめた。
その瞳にはまさしく炎が宿っている。俺に負けない。俺を絶対に倒す。そんな意志がピリピリと伝わってきた。
俺は自分の神谷愛に対する言動を悔いた。こんなに全力で俺に向かってきてくれてる奴に対して俺はなんて失礼なことをしていたのだろうか。
俺が通ってきた人生の中でこんなに真っ直ぐに俺に挑んてきた人間はいないはずだ。
「……悪いな。お前がそんなふうに考えているなんて思ってもみなかった」
「いえ。少し感情的になりすぎました」
俺を直視出来なくなったのか月を見るふりをして視線を外した。
どこか恥かしががっているようなその仕草に俺はこいつに人間味を感じた。
ロボットのようなやつだけどこういった熱い面も持っていたんだな。
俺はそれに答えなければならない。
「安心しろよ。俺はその試験で一位を取りに行く。全力だ。俺はお前であれ誰であれ負けるつもりはない」
「……その発言を忘れないでくださいよ」
神谷愛は月を眺めながらそう言った。俺もそれにならって同じように月を見つめながら答えた。
俺はベランダ越しから神谷愛に手を差し出した。
「お互いフェアに行こうな」
俺は元スポーツマンらしくそんなことを言ってみる。言ってみた直後であれなんだが、自分でスポーツマンらしくとか思っちゃうあたり恥ずかしい奴だよな。
神谷愛はジッと俺の手を見つめていた。
「……あなたに触った瞬間、鳥肌が全身に出て、それが
「俺はバイオ兵器かなにかかよ!」
真顔の神谷愛は冗談で言ってるようには見えない。
というか、こいつは冗談なんか言わないだろう。
神谷愛は俺が嫌い、というのは本当なのだろう。
触りたくもないほどというのは普通に凹む。なんだよ折角距離が近づいたと感じたのによ。
「まぁ、でも……気持ちだけは受け取っておきます」
「……そうかよ」
俺は息を吐いて星空を見つめた。そして少しだけ口元を緩める。なんだよ。ただの照れ隠しかよ。
なんていうか、こいつはきっと不器用なやつなんだろうな。
俺は今日をきっかけになんとなく、神谷愛がどんな人物がわかったような気がした。
これからの試験でこいつとナイトレイは俺の前に、大きな壁として立ちはだかるだろう。だが、俺はそれに対して清々しい気持ちで挑めるような気がした。
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