パートナーセレクト16

授業を終えた俺は、終業のチャイムと同時に保健室を目指した。


 袖浦の容態ようだいが気になる。


 苦しいのを感じさせずに歌って踊りきったのは本当に凄いことだとは思う。


 だが、あいつはもう少しだけ自分の体をいたわってやってもよかったんじゃないか。


 保健室の前までやってくると中から話し声が聞こえてきた。


「あんなパフォーマンスして周りの同情を引くつもりなの?」


「そ……そんなつもりじゃないよ……」


「アンタはいつもそうよね。そうやって自分は弱いアピールしていつもいつも私がほしいものを奪っていく……」


「ご、ごめんなさい。別に本当にそんなつもりじゃ……」


「ああもう! その態度が気に入らないの! アイドルになるからアンタを虐めるのやめてたけど、もう一回地獄を見せてここにいられなくさせるよ!」


 この声は袖浦と星宮か。まずいな。そろそろ仲介に入らないと星宮が袖浦になにかしでかすかもしれない。


「……いいよ。でも……私はもう折れないから。どんなに星宮さんが私をいじめ抜いても絶対に学園ここにいる。決めたの。あの人の力になるって」


 俺は袖浦の言葉が耳に届くとドアに触れた手を止めた。


 今までの袖浦にあんな発言ができるだろうか。この一ヶ月にあいつの中でどんな変化があったんだ。


「……まじでムカツク」


 星宮らしき足音が室内から聞こえてきた。


 このままだとばったり鉢合わせて気まずいので俺は右往左往しながらも扉の横の壁に背を預けた。


 乱暴に扉を開いた星宮は怒りで視野が狭まっているのか俺に気づかずそのまま廊下を歩いていった。


 俺はホッと息を吐いた。とりあえず袖浦になにかするってことはなかった。


 俺は改めて扉に手をかけると保健室の中に入った。


 体重計や身長計が室内の側面に置かれていて、壁には生徒が自作した今月の生活目標が書かれた壁紙が貼られていた。


 保健室独特の消毒液の匂いが鼻につく。


 養護教論は今は用事でいないのか姿が見えない。


 室内の一番奥の方にはベッドが三つ並べられていてそのうちの一つがカーテンで仕切られている。


 ここに袖浦がいるんだな。


 俺は勢いよくカーテンを開けた。そこにはベッドから上半身を起こして胸元に『袖浦』と刺繍の入った体操服に手をかけて着替えようとしている袖浦がいた。目をきょとんとさせてこちらを見ている。


 ギリギリまだ下着は見えていないが、袖浦の浮き出た肋骨あばらぼねと小さなへそが思い切り俺に見えてしまっていた。

「わ、悪い!」


「こ、こっちこそ変なの見せてごめんね!」


 俺は袖浦に背を向けて袖浦は目の前においていたブラウスで慌てて体を隠した。


 なんて軽率な行動をしてしまったんだ。声くらい普通かけるだろ。俺は自分の顔を赤らめながら行動を悔いた。


 さっきの出来事と一ヶ月顔を合わせなかったことから、どうにも袖浦に振り向けない。


「あ、あの……一ヶ月無視みたいな感じになったちゃってごめんね……」


 先に切り出してくれたのは袖浦だった。俺は軽く後ろを確認して袖浦がまだ体操服姿なのがわかると袖浦に体を向ける。


「事情があったんだろ?」


「うん……ちょっと修行に」

 俺は袖浦の口から思いがけない言葉が出て思わず吹き出しそうになる。


 修行って漫画じゃないんだから。でも、実際行っていたのだろう。


 あの人が変わったようなダンスを見れば頷ける。


「……人前で踊るのが苦手っていう話は前にしたよね」


「したな」


「実は苦手ってよりかはどちらかと言えば怖かったの」


 そこから袖浦は色々と俺に話してくれた。ダンスを習っていたこと。優しかった母が変わってしまったこと。大会をきっかけに人前で踊れなくなったこと。それが原因で塞ぎ込むようになったこと。


 全てを俺に話してくれた。


 ただその口調は重苦しいものではなくどれも過去を懐かしむような感じだった。


「大元君と出会ってからもう大丈夫になったかなぁーって思ってたんだけど全然駄目でね。でも……藤沢先生の話を聞いて私、色々悩んでたんだ」


「藤沢先生の話ってなんだよ」


「大元君、マネージャー科の試験で生き残らないと病気のお母さんと一緒に路頭に迷っちゃうんだよね?」


 あの先生ペラペラと俺の個人情報を喋ったのか。断固として抗議をしたい気分だが、それをきっかけに袖浦のなにかが変わったのであればいいか。


「最初はその話を聞いた時にダメな私がパートナーになると大元君に迷惑かけちゃうって考えてたの」


「袖浦はダメじゃないだろ」


「あはは……大元君ならそう言うと思った。でも、私がそう感じてたのは事実なの。今思い返しみればただの逃げなのにね……」


「んで、その逃げそうになってた袖浦はどうしたんだ?」


「うん。それでね。パートナーセレクトの件、断ろうと呼び出したんだけど……星宮さんと大元君の話を聞いちゃって」


「待て。聞いてたってことは俺と星宮がその……」


 俺はあたふたとしてしまう。星宮が俺に抱きついたところを見られてしまったのか。しかも、結構恥ずかしいような発言をしていたような。


 動揺している俺が面白かったのか袖浦がクスクスと笑った。余計に恥ずかしくなるな。


「大元君がさ……私に力を貰ったって言ってよね。あれを聞いた瞬間、全然そんなことないのにって思った。私のほうが力をもらっていたのになんでそういうこと言うんだろうってびっくりしちゃったよ」


「いや、俺は確かにお前から……」


「私にはそう考えられなかったんだ。だから、大元君の話を本当にしようと……」


「俺の話を本当?」


「うん。私、絶対この学園を大元君と一緒に卒業してみせる。大元君を試験で引っ張られるように。力になれるようにって決めたの」


「お前……なんで……」


「私も大元君に恩義を感じているから。あなたがいなかったら今私はここにいられていない」


 嬉しそうに微笑む袖浦。そんなの言ったら俺だってそうだ。袖浦がいなかったらここにはいない。


「だから私は自分の殻を破ろうってなった……手始めに新宿でダンサーが集まる場所で早朝と夜に練習してたの。知らない人から色んな視線を向けられて最初は全然だったけど、徐々に踊れるようになってきて……」


「今日みたいに踊れるようになったってわけか」


「うん。でも、きっとただそれだけやっててもダメだった……私にある恐怖心は根強いから。大元君の力になろう。応援して期待してくれるあなたのためにって考えながらやってたから上手くいったんだと思う。ってちょっと押し付けがましいかもね……」


「そんなことない」


 やはり袖浦は根性のあるやつだ。知らない人間たちが集まる場所に単身で行くのは勇気がいることだ。


 特に袖浦のように気弱な人間だったら尚更。でもそんな自分を必死に押し殺して踏ん張ったのだろう。


 だったら俺はその頑張りに答えなければならない。


 俺は改めて切り出すことにした。


「なぁ袖浦。俺はこの業界でトップを目指さなきゃいけないんだ。お前には俺のアイドルとして峯谷ユリカを超えてもらいたい」


「え……あの人を?」


 驚いたような顔をする袖浦。


「ああ。神谷さんと俺はそういう約束をしている。なれるか?」


 袖浦は少しだけ戸惑ったように目を左右に動かした。それは当然だろう。話を聞くだけで峯谷ユリカは強敵だ。それに袖浦は峯谷のファン。そのハードルがどれほど高いのか俺よりも理解しているはずだ。


「俺は土砂降りでも大雪でもお前の隣に一緒になって進んでいく。雑音がお前の周りにまとわりつけば俺が全部消してやる。だから……俺と一緒にアイドルの頂点を目指そう」


 俺は袖浦に頭を下げた。


 俺はただ夢を叶えるやつの応援をしたいから袖浦のマネージャーになるわけじゃない。


 袖浦なら峯谷を超えられると考えているし、俺の力になってくれるこいつとなら一緒に歩んでいける。


 それになにより、俺は袖浦の恩義に答えたいし、俺の恩義のためにそれをこいつに返していきたい。


 俺が頭をあげると袖浦は優しくこちらに微笑んでいた。


「私が言いたかったセリフ、全部言われちゃったね……私の方こそよろしくお願いします」


 今度は袖浦が俺に頭を下げてきた。


 今日から俺と袖浦はパートナーになる。これから先は超えなければならない壁がたくさんあるだろう。星宮の問題だったり、今日は袖浦の圧勝だが、ナイトレイが本気を出してくればまだまだ試験はわからないだろう。


 でも、必ず俺は――いや俺たちは試験を一位で通過してみせる。そして、袖浦を『輝石学園生』の研究生から正所属にしてやる。打倒峯谷ユリカを掲げながら。


 これから俺と袖浦が登る坂道は舗装されていない悪路のはずだ。


 だったとしても俺と袖浦なら上り詰めてみせる。


 アイドルのマネージャーとかまだ俺にはよくわからないけど、頂点に立ってやるよ。


 お母のためにも袖浦のためにも、なにより自分のために。


「あ……それからこれは言おうかどうか迷ったんだけど……実は私が考えを変えた理由がもうひとつあって……」


「なんだよ」


 袖浦は恥ずかしそうにもじもじしている。言おうか言うまいか何度も口を開いたり閉じたりした。


 意を決したのか、ベッドの下に置かれたカバンからスマホを取り出した。


 すると、なぜか布団を被って俺から姿を消す。どういうつもりだよ。


 俺のスマホから突然通知を知らせる着信が聞こえた。


 スマホのホーム画面を開いてみると袖浦からチャットアプリで文章が届いていた。


『誰かに大元君取られるの嫌だなって』


 俺は思わず口を押さえてしまった。ニヤニヤと自然に口が緩んでしまう。なんてかわいいやつなんだ。チクショウ。


「は……恥ずかしがんなよぉ!」


 俺は喜びのあまりかテンションがおかしくなって袖浦が被っていた布団を引き剥がそうとする。


「本当に恥ずかしいの! だからこれだけは……」


「ははは、いいじゃんか」


「あ、あ、あ、あ、汗! 絶対この布団汗臭いし近づかないで……!」


「大丈夫だって。その匂いだってお前が努力したあか……し」


 袖浦の布団を引き剥がそうと必死だった俺の動きが止まる。


 みるみるうちに嫌な汗が噴き出してきた。体温もスーっと下がっていくのを感じる。


 突然やめた俺を不思議に思ったのか、袖浦が布団から顔をだした。そして固まる。


 俺たち二人の目の前には天野先生と藤沢先生が立っていた。


「……こっちが気を使って隠れていれば」


「君達はなにを乳繰りあっているのかなー?」


 俺と袖浦はベッドの上にすぐさま正座になった。


「こ、これはセーフっすよね! 触れてないですし!」


「お、大元君は私を心配してくれてその……! あの……!」


 袖浦と俺は二人で似たような動きで手を忙しなく動かしながら弁明を図る。


「校則には違反していない。だが、これをファンが見ればどんなジャッジを下すだろうなぁ」


「問答無用でギルティだよー」


 天野先生は腕を組みながら俺を睨みつけて、藤沢先生は笑顔ながらも口元をヒクつかせている。


「大元は私について来い。みっちり教育してやるからな」


「え!? 俺この後仕事――」


「ほう。私のありがたい特別授業よりも仕事をとるか」


「う、うわー……嬉しいなー……」


「安心しろ。お前の会社には私から連絡しておいてやるからな」


「は、はい……」


 俺は肩を落として項垂れてしまう。


「芽衣ちゃんはこれから私とボイスレッスンね。それが終わったら走り込みだからー」


「わ、私さっき倒れたばか――」


「一回倒れたくらいでなに弱音吐いてるのー? 私なんて現役の時は一日に何回も倒れて動けなくなってたよー」


「……はい」


 袖浦も肩を落として項垂れた。


 なんていうか、折角綺麗に終われそうだったのに水を差されてしまったな。

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