パートナーセレクト8


 ロッカールームでスーツに着替えた俺は社員証を首にぶら下げた。


 身だしなみを整えるために鏡に向き合う。我ながらまだ青臭さが抜けていない顔だと、苦笑いしてしまう。紺色のスーツだってまだまだ全然似合っていない。


 神谷さんは身長が高いから君の年齢にしては似合ってるよ、と褒めてくれたが、やはり周りの大人たちを見ていると自分はまだまだだと痛感させられていしまう。


 早いところスーツの似合う男になりたいところだ。


 この姿だと初対面の人間に舐められてしまう。


 それは時間が解決してくれると信じて、俺はロッカールームを出て歩き出した。


 歩いている間、俺は今日の学校での出来事を振り返った。


 袖浦のあの踊っていたときの感じはいったいなんだったのだろうか。俺の頭の隅でずっと引っかかっている。


 あれは人前で踊るのが苦手なだけってわけではなさそうだった。体調がすぐれなかったのだろうか。


 今すぐに連絡して体調でも悪かったのかと聞き出したいところだ。ただ、なんとなく気不味い。


 颯爽と藤沢先生に噛み付いたのはいいが、あっさりと打ちのめされてしまった。


 今は恥ずかしいし後日聞けばいいか。 


 俺はとりあえず日課である各部署のオフィスに挨拶に行く。


 なぜ、各部署に挨拶に行くのかというと、部署で出た雑用を俺が受けよっているからだ。


 例えば掃除だったり、ちょっとした買い出しだったり、書類をまとめたり整理したり、そういった業務を俺は行っていた。


 雑用がない日は神谷さんから仕事? か、疑わしいものを振られることが多い。


 ただホープスターは本当に大きな会社だ。


 渋谷の一等地だというのに十階建てのビルの全てがこの会社の持ち物だった。


 初めて出社したときはホープスタープロダクション本社と書かれたプレートを見ても本当にここがそうなのかと疑ったものだ。


 その大きなビルの全部の部署を回るとなるとなかなかに骨が折れる。覚えなきゃいけない人の数も多く大変だ。


 ただ、勤務して十日ほど経つが、ぽつぽつと俺の名前を覚えてもらってきていて、簡単な仕事ではあるが振ってくれることに対しては嬉しいものを感じる。


 神谷さんは顔を広げるいい機会だから目一杯媚を売って頑張ってきなさいと言っていた。


 ビル内のオフィスを転々として挨拶をしていると、携帯が震えた。


 俺は一旦ガラス窓に囲まれた休憩スペースにやってくる。


 スマホのホーム画面を押してみる。そこにはまたしても蓮の文字が。


『今いるから』


 短い文が送られてきていた。よし、だったら地下へと向かおう。


 俺はカーペットの地面を革靴で踏みながらエレベーターを目指した。


 就業中にこいつに呼び出されたなら向かわなくてはならない。

 

 俺が就業初日に神谷さんから任された初めての仕事は第一資料室の掃除だった。


 それが出来れば雑用以外の仕事もさせる、と言われている。


 それだけ聞くと簡単なようにも思えたが、その資料室には管理者がいて掃除をするにはその人物から許可を取らなければいけなかった。


 そいつが件の蓮と俺が呼んでいる人物だ。普段はなにをしているのかはわからないが、その資料室を文字通り住処にしていて、普通にそこで暮らしているような感じだった。


 資料室に篭っている時間は大体夜が多く、たまにいない日もあったりする。いるときは今のように連絡が掛かってくることになっていた。


 その連絡があった際は雑用の仕事を切り上げてそちらを優先して構わないと神谷さんからは言われている。


 勤務日から一週間ほど経っているが未だに蓮の許可は降りていなかった。


『俺と遊んで満足させてくれたら掃除しても構わない』


 というのが、蓮の言い分なんだが、一向に満足する様子はない。

 

 地下にやってきた俺は上階とは違い、古びた壁の塗装が所々剥がれた通路を歩いた。


 地下は改装工事を行っていないらしく数十年前と変わらない状態らしい。


 熱源機械室の扉を超えて第一資料室にやって来る。


 普通だったら各所の扉は社員証で開く。


 だが、地下室の扉関係は未だに鍵を使うものばかりだった。


 さて、今日はどんな遊びに付き合わせれるのやら。


 俺が扉をノックすると、スマホが震えた。入っていいってことだな。


 扉を開けた俺は今となっては見慣れた光景だが、辟易してしまう。


 まず入ってすぐの場所に漫画本が散乱している。


 資料室の全体は足の踏み場がほとんどなく、本やゲームの箱お菓子のゴミなどで埋め尽くされていた。


 本来であれば仕事の資料が入っていたはずの棚も全部アニメのDVDに占拠されている。


 全く、どうしてこんなのが許されているのか理解に苦しむな。


 俺は棚に挟まれた通路をなんとか足の踏み場所を見つけながら、奥へと進んでいく。


 数十歩進むと、棚がない開けたスペースに出る。


 そこにはオレンジのジャージ姿でソファで寝転がっている人間がいた。


 体は細いが男性の平均身長くらいある。たぶん、男であると俺は思っている。


 というのも、こいつはいつもお面を被っていて性別がわからないんだ。


 そのお面は日に日に変わっていくのだが、今日はなぜかひょっとこのお面を被っている。


 こちらに気付いた蓮は目にも止まらぬ速さでスマホに文字を打ち込んだ。


『昨日の件kwsk』


 こいつが男か女かわからないもう一つの理由が、顔を突き合わせていても絶対声は出さずにスマホで意志を伝えてくるからだ。今のようにな。


 ただ喋り方が男なので俺の中では男としてこいつのことは扱っている。


 俺はスマホの画面を見て首をかしげてしまう。本当にこいつが使う言葉は意味がわからない。


「けーだぶりゅーえすけーってなんだよ」


『詳しくって意味だよ。それぐらいググれよな』


「頼むからお前は俺にもうちょっと優しくしてくれ」


『うっせー。それより早くこっちこい。昨日の話を聞かせろ』


 蓮は起き上がると、俺の座るためのスペースを空けてくれる。

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