パートナーセレクト4
日課である掃除を終えた俺は、洗濯物を畳んでいた。
これが終われば晩ご飯の準備に取り掛かる。ちょうど米の漬け置きの時間もそろそろいい具合だ。
それを炊いて生卵をいれれば今日の夕飯の完成。
かなり質素ではあるが、給料が入るまでは仕方がない。
それに晩ご飯がそれだけというのは今までも経験がある。どうということはない。
栄養がかなり偏ってしまうが、それは学食で補うとしよう。無料らしいし。
「うお」
隣からなにか物を落とすような大きな音が聞こえてきた。あいつ賃貸なのに床とか傷つけてないだろうな。大家が親戚らしいし大丈夫だとは思うが。
俺の隣の部屋には現在袖浦が住んでいる。
学校から帰って自宅に着いてから袖浦の顔はみていない。
ただ、なにぶんこのアパートは古く壁がとても薄い。今のような生活音がまる聞こえなのだ。
昨日の夜からやけに物音がするようになったとは思ったが、まさか袖浦が隣に越してきていたとは驚き。
さっきも父親らしき人物と電話していた声がこちらまで届いていた。
何も知らない隣人ならそこまで気にならない。
ただ同級生の女子が隣に住んでいるとなれば話は別だ。正直な話かなりドキドキしてしまう。
袖浦だってまじまじみれば美少女だ。意識しないのは無理だろう。
「なんでこうなったんだよ……」
などと俺が
宅配便が来る時間にしては遅すぎる気もする。だとすれば、考えられるのは。
俺が玄関に行き扉を開けると、そこには袖浦が立っていた。
もこもことしたピンクのパーカーにハーフパンツ姿だ。そのあまりにもリラックスした女子の服装を見たことがない俺は顔を逸らしてしまう。
「すみません。ご迷惑だと思ったんですけど他に頼れる人がいなくて……」
「ど、どうしたんだよ」
「あの……お湯の温度が下がらなくて」
「お湯?」
袖浦はそういうと家の中に入ってみてくれと、俺を隣の部屋へと連れてきた。
一瞬躊躇いもあったが、袖浦が困っているなら仕方がない。これは不可抗力だ。
俺は浴槽にやってきた。お湯の温度が下がらないと言ってはいたが、水が出ないのだろうか。
「給湯器のモニターが見当たらないんですけど、どこにあるんでしょうか。昨日は遠くの銭湯に足を運んだので今日になって気づいたんですけど……」
「給湯器のモニター? そんなのないぞ」
「え!? じゃ、じゃあどうやってお湯を調節すれば……」
俺は浴槽にシャワーヘッドを向けるとまずはお湯を出す。それから冷水の蛇口を徐々に捻って温度の調整をする。
感覚的に四十度前後になった時点で手を止めた。
「こんな感じでやれば温度の調整が出来るからな」
「な、なるほど……」
袖浦は驚いたようにシャワーヘッドを見ている。俺は慣れているが、普通の家庭は違うのだろうか。
そういえば、バスケの仲間の家に行った時に、温度が調整できるパネルみたいのがあったな。あれが給湯器のモニターか。
「わざわざありがとうございます」
「またなにか困ったことがあればなんでも言ってくれな」
「はいそのときはよろしくお願いします。あ……私がお風呂から上がるの待っててもらってもいいですか? 折角なので受験のときのお礼も含めてご飯をご馳走しますよ」
「いや、それは……」
断ろうと思ったが、袖浦はもうご飯を振舞う気が満々の笑顔をしていたので断れなかった。
俺は渋々居間に通されると大人しくソファーに腰を掛けた。
このアパートは築年数は古いが、一LDKと広さはなかなかだ。一人暮らしで考えればかなり贅沢だろう。
袖浦の家のリビングは大きなソファーと中型のテレビが置かれていた。そして、一番目に付くのは本棚だ。
『輝石学園生』の特集雑誌や写真集、DVDの箱などが隙間なく入れられている。相変わらずのアイドルオタクっぷりだな。
いや、それよりもこの状況って結構やばいんじゃないか。俺はたまたま持ってきた生徒手帳を開いてみる。
一応、どこにもアイドルの家に訪ねて中に入ってはいけないとは書いていない。ただ明らかに倫理的にまずい気がする。
高校生の男女が夜に二人きりの部屋で過ごす。この状況でなにもなかったと言って信用してくれる人間がどれだけいるだろうか。
だが、正直な話、俺の懐が寂しい。食事にありつけるならありがたくいただきたいのが本音だ。
会社から支給されたスマホが突然震えだした。俺はこの状況もあってから思わず飛び上がりそうになる。スマホの画面を点灯されると、チャットアプリの通知が来ていた。
そこには
「このタイミングでなんだよ……」
俺はチャットアプリを開いて内容を確認してみる。蓮というのはホープスターの本社で知り合った男? だ。
ちょっと変わり者であるのと同時に、俺の重要な初仕事で障害になっている人物でもあった。
『今日は事務所来ねーの?』
俺が今日休みなのをこいつは知らないのか。俺は慣れない手付きで画面に文字を打ち込んでいく。
「今日は休みだぞ、っと」
俺が返信すると、数秒で返事が飛んでくる。
『社畜だろ。休みがあっても出勤しろや。てか、既読ついてから返信遅すぎて草生える』
言いたい放題である。内心、イライラとしてくる。休日くらい大人しく休ませてほしい。
「うるさい、休ませろ……返信遅いのはスマホが難しいのが悪い……草生えるってどういう意味だよ……っと」
俺が返信すると、またもやすぐさま返事がくる。どういう指捌きしてるんだよ。いくらなんでも早すぎるだろ。
『情弱過ぎて笑えないんですけど。まぁ、いいや。なにしてんの?』
情弱ってなんだよ。蓮の言っている言葉の大変が聞き慣れない言葉ばかりだ。
それはともかくとして、なにをしているか、ね。
蓮も会社の関係者っぽいし、アイドルの家にお邪魔しているとは言えない。
「……隣の家に同級生の女子が引っ越してきていて……困ってたから助けてた……っと」
とりあえず色々と濁しておいた。嘘は言っていないな。
『それ、なんてエロゲ?』
「お待たせしました。すぐに作りますね」
返信が来たと同時に袖浦が戻ってくる。
俺はスマホをズボンのポケットにしまった。どうせ明日は出勤日なので蓮には会うだろうし、もう連絡しなくてもいいか。
バスタオルを首に掛けている湯上りの袖浦。頬を紅潮させている。シャンプーの匂いだろうか、花の香りのようなものが鼻にまとわりついた。
台所に袖浦が消え、半時が過ぎると、器を持ってリビングにやって来る。この匂いはチャーハンだな。
俺の予想通り、リビングのテーブルに置かれた器にはソーセージやグリンピースみじん切りにした玉ねぎなどが入ったチャーハンだった。
ただ、どの食材も大きさが均一ではなく不格好だ。
さては袖浦、あまり料理をやったことがないな。
「今日はどうしてもお礼がしたかったので、美味しいかどうか自信はありませんけど、どうぞ……」
「悪いな。ご馳走になるわ」
俺は袖浦と一緒に両手を合わせると、料理に口をつけた。味自体は普通なんだが、女子に作ってもらった料理だからなのか、三割増くらい美味しく感じる。
俺はパクパクと食い勧めていると悩んだような顔をしている袖浦。
「どうかしたのか?」
「いえ……少しご飯がダマっぽいなって」
「あー、ちょっと手間は掛かるけど米を入れる前に油で揉んでやるとパラパラになるぞ」
「な、なるほど……大元さんって料理されるんですか?」
「まぁ、料理に限らず家事全般はわりかしなんでも」
関心したように何度も頷く袖浦。お母は働いてて家にいる時間が少なかったし、必然的に家事は俺がこなしていた。
食わせてもらってるんだし、そのくらいは苦じゃなかった。
それに家にいても筋トレくらいしかやる事がないのでいい時間潰しになっていた。
「じゃあ、その……私に料理を教えてもらってもいいですか? 興味はあったんですけどなかなかやる機会がなくて……」
もじもじと顔を赤らめている袖浦。女子が男子に料理を教えてもらうのは抵抗があるのだろうか。
教えるのはやぶさかではない。ただそうなるとどちらかの家に集まってやることになる。
それは色々問題があるのじゃないか。今の状況だってかなりグレーだろう。
「教えてやるのは構わないけどその……男と二人きりなんだけど」
「……大元さんだったら平気ですけど」
平然と言ってのける袖浦。俺の感覚がおかしいのかと錯覚してしまう。
「いや、アイドルとマネージャーだし俺たち。それに……お、襲われる心配とかないのかよ」
俺は思い切って言ってみた。袖浦は無防備すぎる気がする。俺だからいいが、人によっては勘違いしてしまう。
そんなつもりじゃなかったのに、という展開になってしまっても言い訳が出来ない。
「あはは、大元さんはそんなことしませんよ」
袖浦は純粋に笑った。俺はそれが眩しすぎて目を覆いたくなる。袖浦はなにも気にしていないようだし、俺が意識しすぎているだけなのか。
「それに私を襲ってもいいことないですよ。お金とかたいして持っていませんし……」
「いや、そういう意味じゃ……ん?」
俺はベランダに干された洗濯物が目に入った。そこにはブラウスや靴下などが干されている。それまではいい。下着も一緒に干されているのだ。
「……デリカシーのないこと言うぞ」
「ど、どうぞ」
「下着は部屋干ししろよ! こんなアパートじゃ簡単に盗まれるぞ!」
俺が突っ込むと袖浦はハッとした顔をした。女性用の下着をこんなセキリティが皆無なアパートのベランダに干すなんて考えられない。俺は頭を抱えてしまう。
うちのお母はむしろ下着をベランダに干して喜々として窃盗犯を捕まえていたが、袖浦はそうじゃない。
か弱いただの女子高生だ。それに住んでいるのがこのルックスの女子だと知られれば下着を盗む以上の行為に及ぶ者が出かねない。
袖浦は気にしないのではなくて、警戒心が足りないだけだ。
よくよく考えてみれば袖浦じゃなくてもこんなアパートに女子ひとり暮らしは危険がいっぱい潜んでいる。
誰かが守ってやらねばならない。俺は男としてマネージャーとして袖浦を守るために一緒に過ごそう。
あ、もっともな理由が今出来たな。これで学校にばれても多少の言い訳が行える。
「お、お見苦しいものを見せました」
ベランダから下着を回収した袖浦は顔をトマトのように真っ赤に染め上げ、ペコリと頭を下げてくる。
「料理を教えるついでに、そういった心得みたいのも一緒に教えていくな」
「よ、よろしくお願いします……」
そこからは袖浦の料理を食べながら学校についての話をした。
アイドル科は初日からマネージャー科以外の男性との接し方には注意するように言われていたらしい。
袖浦は全然その注意をいかせてはいないが。袖浦は男女間の壁が本当に薄いやつだな。
一応俺の生徒手帳にもアイドル科の生徒の校則が載っていたが、マネージャー科のものと然程変わらなかった。変わってる点は髪型やアクセサリーがアイドル科は自由くらいだな。
「あ……そういえばパートナーセレクトの話聞いたか?」
「はい……大元さんはどうするんですか?」
「んー、袖浦にしようかなって考えてるけど」
俺の言葉を聞くと、花が開いたように微笑む袖浦。
「私も……! 私も大元さんにしようかと思っていたんです」
どうやら一ヶ月を待たずにパートナーセレクトの決着がついてしまいそうだ。と、あまりの嬉しさにかまたしても俺の手を取ろうとする袖浦。
だが、俺は寸前のところでかわしてしまう。今朝天野先生に言われたばかりだ。
アイドルの体に触れれば言い訳できずに退学だ。
「袖浦さん……さすがに自覚が足りないのでは?」
「そ、そうでしたね……すみません……」
袖浦も勿論校則を把握している。申し訳なさそうに目をそらした。
「後さ。もう敬語とかやめないか? お互いこれから仲良くやってかなきゃいけないんだし、敬語だと壁を感じるからよ」
「そうです……そうだね。うん。わかった。ちょっと慣れませ……慣れないけど、が、頑張ってみるよ」
袖浦はロボットのようにぎこちなく喋る。俺は思わず吹き出しそうになってしまう。
「あ、そういえば連絡先交換しようぜ。これから連絡取る機会も多いだろうし」
「そう……だね。じゃあ、私のIDこれだよ」
袖浦に見せてもらったIDをチャットアプリに苦戦しながら入れてみると、袖浦のアカウントが表示された。
表示画像が『輝石学園生』のロゴになっている。まぁ、これは予想できたな。俺は苦笑してしまう。
「ほい。登録できたぞ」
俺の登録人数が四人になった。これからどんどん増えていくことになるのか。
「あ、私も今出来たよ」
袖浦は俺とは違い手際よく登録すると、嬉しそうにクスクスと笑った。
「どうしたんだよ」
「いや……男の子と連絡先交換したの初めてだから」
袖浦はスマホで口元を隠して恥ずかしげに言った。俺はそれを見た瞬間に机に突っ伏してしまう。
袖裏は何事かとおろおろとし始めた。
やっぱり袖浦は危機感が足りないような気がする。俺の心労はこれからも大きくなっていくだろうな。
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