輝石学園マネージャー科 7
「なんでもないわけないだろ! 現にお前はこうして泣いてるじゃんか」
「本当に……本当になんでもないんです……」
引きつった笑顔だった。声は震えてその瞳は獣に怯えるように視点が定まっていない。
今の袖浦は薄い氷のように少しでも触れたら壊れそうだった。
この状態だと袖浦は試験を受けられないだろう。とてもじゃないが動けるようには見えない。
「話してみろって」
「……」
迷ったように俺と胸に抱えた物を交互に見る。しかし、観念してゆっくりと胸の物を俺に見せてくれた。
ビキニタイプの水着だ。
俺は予想外の物が出てきて目を逸らしそうになる。ただ、この水着は絶対的におかしい部分があった。
そこを注視する。
水色と白のシマウマのような柄の水着。その水着が刃物のようなもので切り刻まれていた。
俺は口を開けてそれを見つめる。誰がこんな酷いことをするんだ。
「実は……私……自分の学校でいじめられてたんです……それで……なぜか……私をいじめてた子もアイドル科を受験してて……今日会ってしまって……水着審査があるのに……こ……これを……」
「わかった。もういい」
俺は極力、声音が平坦になるように努めた。腸が煮えくり返るっていうのはこういうのを言うんだろうな。俺は壁に拳を叩きつけたい気分にかられる。
おそらく袖浦をいじめていた人間が袖浦から無理矢理水着を取り上げてカッターナイフかなにかで切り刻んだんだろう。ライバルを一人でも減らすために。
それにしたってやり方が汚い。恐怖を植え付けて逆らえない袖浦にこんなことをするなんて。
「試験って何時から開始だ?」
「……私の順番は一時間後に来ます」
「ならまだ間に合うな」
「え?」
「袖浦はここで待ってその顔、元に戻せ。俺は水着を調達してきてやる」
ここで袖浦の夢を終わらせるわけにはいけない。どこの誰だか知らないがそいつの思い通りにはさせない。
袖浦を助けたい気持ちも勿論ある。ただそれ以上に俺に行動力を与えてくれるのは単純な怒りだ。
こんな卑劣な方法で他者を蹴落とすなんてとてもじゃないが、看過されるものではない。
「ちょ……調達するって……どうやって……」
コートの裾で涙を拭い取る袖浦。水着を調達しようにも季節は冬。今から買いに行こうとしても売っている店は限られているだろう。しかもここらへんにはコンビニくらいしかない。
となると、借りるしかないだろうな。俺は試験を終えた女子達を思い出す。名刺をもたらったときのように声を掛けよう。場合によっては貸してくれるかもしれない。
「任せとけって」
俺は人が集まる校舎に向かった。袖浦は俺を止めようとして服を掴もうとするが、それを振り切る。
昇降口から続く石畳の通路には試験を終えたであろう女子達が歩いている。石畳を覆い尽くすほどの人数がいるな。これだけ人がいれば水着を借りるくらい余裕だろう。さっきの名刺集めに比べれば屁でもない。
俺は近場にいたノリが良さそうな女子に声を掛ける。
「ちょっといいか?」
「うち?」
「ああ。急で悪いんだけどさ。水着貸してもらってもいい?」
俺の言葉を聞いた瞬間、ゴミを見るような目になった。そして、何事もなかったかのように校門を目指し始める。
「無視すんなって」
「これ以上付いてきたら先生呼ぶよ」
「そう言わないで――」
俺が言い終わる前に持っていた鞄で顔を思い切り強打された。俺はくるくると二、三回ほど回転しながら冷たい地面に突っ伏する。
「いってーな! なにすんだよ!」
「変態」
倒れる俺に唾を吐き捨てるように言うと、すたすたとその場から消えた。なんで変態なんて言われなければならないのか。
ただ水着審査のために貸して欲しいだけなのに。俺は立ち上がってよくよく自分の行動を考えてみる。
「……」
見知らぬ女子に水着を求める男子。しかもその女子はアイドルになれる可能性があるくらい可愛い。
傍から見れば俺は美少女に水着を貸して欲しいと懇願する変態だ。
これはいけない。しっかり事情を説明してやらないと。
だが、しっかりと、アイドル科を受験する子の水着が使えなくなったから貸してほしいのを伝えても救世主は現れなかった。
「きもい」「近づかないでください」「警察呼びますよ」「もっとましな嘘ついたらどうなの」
投げられる言葉は散々だった。さすがに精神的にきつくなってくる。今日一日人に冷たくされることが多いな。
一応、貸してくれそうな人間はいた。ただ敵に塩を送るような行為はしたくないと断られてしまう。
普通ならそうなのかもしれない。知らない人物においそれと私物は貸せないだろうし、ましてやこの会場に来ている時点でライバルだ。
善意はあるがやはり自分を優先してしまうだろう。
「なにをやっているんだい?」
女子に声をかけて回っている俺の前に神谷さんが現れる。
「さっき水着を貸してくれと聞いて回る変な学生の話を聞いてここにきたが……君だったのか」
驚いたように神谷さんは俺を見る。どうやら俺の奇怪に見える行動が報告されてしまったようだ。俺は必死に弁明する。
「こ、これには理由があるんです! その……水着をなくしてしまった奴がいて!」
袖浦の話は控えておいたほうがいいだろう。最初、袖浦はいいにくそうにしていた。あいつにもプライバシーがある。本当のことは袖浦の口から学校に伝えてもらおう。
「……」
神谷さんは俺を見定める目をする。さっき話していた時とは違う。力強い瞳。まるで全てを見透かしているような感じだ。俺はその圧力に動きが固まってしまう。
神谷さんは一度目を瞑るとすぐに笑顔に変わった。俺はそれと同時に金縛りが解けたような脱力感におそわれる。なんだったんだよ今の。
「それは大変だね! だから君はこうしているのか」
柔和な雰囲気に戻った神谷さんは納得したように頷いた。信じてもらえたようだ。
そういえば神谷さんも一応学校の人なんだよな。
ちょっと質問してみよう。
「水着の貸出とかって行ってないんですか? 忘れた生徒用とかに!」
「残念ながらないと思うよ。水着を忘れるような生徒は出たことがないからね」
「そうっすか……」
「ただ希望を捨てちゃいけないな。一応予備がないか聞いてみるよ」
そういうと神谷さんは校舎を目指して走っていった。これは幸運だ。神谷さんと話をしていてよかった。とりあえずそれはそれでやってもらって俺はその間に自分の出来る限りを尽くそう。
気合を入れ直して、アイドル科の受験生だと思われる人間を呼び止めた。だが、成果は全然出ない。決死の覚悟で説得しようと試みるが成功には至らなかった。
どうしてだ。名刺を貰うときはあんなにも上手くいっていたのに。いや、やり方が悪いんだ。もっと別の方法を考えろ。
俺は顎に手を当てて死に物狂いで頭を回す。
「くそっ!」
いいアイディアが出てこずに地面を蹴り飛ばす。このままじゃ、試験に間に合わない。
遠くから袖浦がこっちに歩いてくるのがわかる。少し前からこっちを伺うようにみているのはわかっていた。視界の端に写っていたからな。
ただこっちも必死だったので一旦無視をしていた。
よろよろとした足取りでこちらに向かってくる。その面持ちはさっきよりかは幾分かましに見えた。涙も止まっている。
ただ腫れぼったくなってしまった目元は戻しようがないためそのままだ。
「なに……やってるんですか」
俺を見ずに呟いた。その言葉は暗い。まだ完全には立ち上がれていないようだな。
「さっき言っただろ。水着を借りようとしてるんだよ」
「やめてください……」
「どうしてだよ」
「私なんかのために……頑張らないでください……傷つかないでくださいよ……」
袖浦にとって俺が話断られる姿は辛いものに写ったようだ。ただ、なんてことはない。これで袖浦の夢が繋がるなら。
「私……そこまでされて受かりたくないです……誰かに傷ついてもらって獲得したものなんていりません……」
「傷ついてる? 誰がだよ」
「私……帰ります……」
「は……?」
「大丈夫ですよ……元々受かるわけなかったんですから……」
「諦めるのかよ」
「……はい」
「お前の夢はそんなもんだったのかよ」
「そんなもんじゃないです! 私だって出来るなら合格したい! でも……現実はそんなに甘くないんですよ……」
「ふざけんな……」
「……え?」
「ふざけんなって!」
俺の叫び声に袖浦が驚いたように肩が跳ねた。俺の頭の中でなにかが弾ける。秋頃に封印した感情が沸々と溢れ出てくる。
「夢をおいかけたくても追いかけられない人間が目の前にいるんだぞ! 夢を目指したくても目指せられないんだよ!」
言葉にしてはいけない発言だった。心に蓋をして必死に塞ぎ込んでいた思いだ。
未練はない。後悔はない。そうやって自らに言い聞かせていたが、そんなの嘘だ。
俺のやりたいことは高校でバスケの全国大会で優勝する。働くことじゃない。
俺は頑張ってバスケをやってきたんだ。楽しかったんだよ。足のマメを潰しながら必死に走り込んだ。シュートが入らなかったら夜遅くまで公園で練習をしていた。
それは全部バスケで勝つためのものだった。
本当は諦めたくなかった。お母の手助けが嬉しいなんて、素直に思えるわけがない。
俺はそんな感情に全て蓋をしていた。
だってそうだろう。俺が働かなかったらお母が安心して入院することが出来ないんだから。バスケをやりたいなんてワガママを言えるはずがなかった。
今までお母が俺を支えてきたぶん俺が支えなきゃならない。
しかし、頭ではわかってはいるが俺はまだ子供で幼稚で、そんなのを本気で受け容れられるわけがなかった。
それなのになんだよ。袖浦にはまだチャンスは残ってるじゃないか。辛いかもしれない、泣きたいのかもしれない。
でも、この世でもっとも辛いのはチャレンジすらさせてもらえないことだ。
「お前にはまだ低いかもしれないけど可能性があるんだろ! だったらそれにしがみついていけよ! どうしてそんなに簡単に諦めちゃうんだよ!」
自分勝手な言葉がとめどなく溢れてくる。弱っている女子に対してなにをムキになっているのか。だが、止めることはできなかった。
俺は自分の夢を叶えることはできなかった。だからこそ人の夢は応援してやりたい。出来る限りの手伝いをしたいと思っている。
「無理です! 大体人前に出るのが怖い、根暗でいじめられているような、ただのアイドルオタクの人間が受かるわけないじゃないですか!」
「知らねーよ! 人前に出るのが苦手だったら夢を見ちゃいけないのかよ!」
「もうなんなんですか……! 私なんかためにそんなに一生懸命にならないでくださいよ!」
「……俺は正直お前に自分の夢を重ねて押し付けがましいことをいってるのかもしれない。でもな、これだけは間違いない本音なんだよ」
俺は周りの視線が集まってるのに構わず袖浦の両手を取った。
「俺はお前を応援したいんだ」
「え……?」
「好きなんだろ。『輝石学園生』が。憧れてるんだろ? 夢なんだろ? 残念にも俺にも夢があったけどそれを叶えるのはできなかった。でも夢を叶えられなかった俺とお前は違う。お前にはまだチャンスがあるんだ。本当にアイドルになりたいんだったら諦めるな」
「でも、私なんかじゃ――」
「私なんかじゃない。夢を追いかけているお前だからこそ俺は一生懸命になれるんだよ」
「大元さん……」
「書類選考通過出来たんだろ。だったら諦めずに最後までやってみたらどうだ? それにお前ってダンスっていう凄い特技持ってるじゃん。だから、自信持てよ」
俺は優しく諭すような言葉になる。そうだ。こいつは確かに人前が苦手なのかもしれない。いじめられるような内気なやつなのかもしれない。
でも、あんな迫力のあるダンスを踊れるやつなんだ。ダンスの審査はダメだったと話していたが、もしかしたら袖浦の才能に審査員が気づいたかもしれない。
そう考えると、確実に落ちるということは考えられなかった。
「……水着がないです」
「水着なら俺がなんとかしてやる」
「……私そんなに頑張ってもらってもなにもお返しできないですよ」
ポタポタと俺の掌に涙が落ちてくる。
「夢を諦めないでくれればそれでいい」
「……私受からないですよ」
「ゼロじゃないだろう」
「……自信がないです」
「じゃあ、俺がお前を信じてやる」
「……」
袖浦の口が閉じた。ただただ泣いているだけだ。だが、俺の掌の小さな手はなにかを覚悟するように強く握られている。俺はなにも言わずに次の言葉を待った。
「私、諦めたくない……! 無理でもいいからアイドルになりたい……! だって『輝石学園生』が好きだから!」
心からの叫びが出た。やっと自分の心に素直になってくれたな。俺は袖浦から手を離してやる。
「私、目の前の現実に負けません……! 最後までやってみせます!」
「そうだ! お前に意地悪したやつを見返してやるぞ!」
「はい!」
そこからの俺と袖浦は一心不乱だった。俺は蔑視に晒されながらも根気よく粘り続けた。袖浦もあたふたして言葉に詰まらせながら必死になって水着を貸してもらえないか訴えかけていた。
これでさっきよりも作業効率が上がった。
それに袖浦本人がいるのによって俺の話に信憑性が増した。このままいけば借りられる。
だが、時間は刻々と過ぎていって、残り時間は十分もなくなる。
まだ終わらせてはいけない。俺は力になるって決めたんだ。
絶対に結果を残してみせる。
「大元さん……」
「まだだ……まだなんとかなる!」
俺は袖浦も見ずに人の良さそうな人間を探す。
俺に任せておけと言ったのにこれじゃあ、期待させ損だ。
なんで名刺集めは上手くいったのに水着一つ借りられないんだよ!
「いいんです……」
「諦めんじゃないってさっき言っただろ」
「違うんです」
袖浦を見る。そこに立っているのは先程までの臆病な袖浦ではなかった。
どこか堂々としていて迷いがない。張り詰めてはいるが、余裕を感じる。まるで別人だった。
「私に考えがあります。後は私を信じてください」
「……大丈夫なのか」
「はい」
破顔した彼女の顔に思わず心拍数が上がる。
あれ? こいつってこんなに可愛かったっけ。
そんな俺の気持ちを他所に俺の手を取り袖浦は自分の額に押し付ける。
さらさらとした前髪に触れると、さらに心拍数が上がってしまう。
「私……あなたが応援してくれるならなにも怖くないです。あなたが私を信じてくれるならそれを信じて頑張ります」
「え、えっと、お、おう!」
祈るように目を閉じた袖浦は数秒してからパッと俺の手を離した。
「行ってきます!」
袖浦は校舎に向かって走り出すとすぐに俺の視界からいなくなった。
俺はしばらく放心状態になる。なんていうか。無防備なやつなんだな、あいつって。
俺も勢いでやっちゃったけど人の手を急に握るな。びっくりしちゃうだろう。
火照った顔をパタパタと仰ぎながら空を見上げる。
考えがあるらしいが袖浦はなにをするつもりなのか。
「……結局なにもしてやれなかったな」
俺はただあいつを信じて送り出してやることしかできなかった。もどかしいな。夢を追いかける側じゃなくて応援する側っていうのは。
勘違いしてたな。名刺集めが上手くいったのはたまたまだったようだ。俺はとても無力だ。
袖浦の力になれなかった。あんな見栄張って任せろなんて言っておいてな。
それにいらない発言もしてしまった。
夢を追いかけたくても追いかけられない自分の胸中を吐露してしまっていた。そんなこと絶対に思ってはいけないのに。
お母のために俺は働かなきゃいけない。だってあの人だってなにかやりたいことがあったかもしれない。でも、親父が他界してからは無心で俺を育てるために日夜働いててくれた。
それが俺に回ってきた瞬間、俺は自分の夢を追いかけたいから働かない。とはとてもじゃないが言えないし思ってはいけなかった。
俺は全力でバスケをやりたい心を隠していたが、やっぱり隠しきれるものじゃない。
この世界には夢を犠牲にして守りたいものを守っている人間が多数いる。
なのに俺のバスケに対する未練はまだ立ちきれていなかった。
だからこそ、袖浦芽衣や田中太郎の夢が絶たれるのは許せない。
俺のようにやりたくてもやれなかったという人間を見たくはないからだ。
「やぁ」
「うお!」
神谷さんが後ろから突然肩を叩いてきた。俺は思わず飛び跳ねてしまう。
「悪いね遅くなって。水着は自分でどうにかしてくれって言われてしまったよ」
「あー、そうっすか。でも、もう大丈夫っす」
今から水着が手に入ったとしても間に合わないだろう。もう袖浦は試験を受けている頃だ。
「ふむ。もう試験に向かってしまったようだね」
「……はい。俺もそろそろ帰ることにします。今日はありがとうございました」
俺は神谷さんに頭を下げると歩いていく。神谷さんに無駄骨を使わせてしまって悪かったな。
「待ちたまえ」
「え……?」
「話をしないか? マネージャー科の試験に乱入してきた謎の少年クン」
俺の時間が止まった。なぜそれを知っているんだ。神谷さんには話していなかったのに。振り返ってみると、怪しげな笑みを浮かべた神谷さんがこちらを見ていた。
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