輝石学園マネージャー科 5
☆
「それは本当か?」
「はい。受験票を落とした息子がショックで家に帰ってきたと保護者から連絡がありました。受験番号は五百十七番の田中太郎君です。それで再受験できないのか……と」
新任教員の大野が顔色を悪くしながら私に伝えてくる。
五百十七番というと私に変な質問をしてきた生意気な学生だった。
私はしばし思案する。彼の正体は一体何者なのか。
替え玉受験という線はないだろう。
替え玉受験だったら保護者から受験票を落としたという連絡は来ない。そうなると、先程あそこに座っていた少年の行動原理の理解に苦しむ。
私は教室の一番後ろの席を見つめた。
自分とは全く関係のない試験になぜ彼は参加したのか。
「問題なのはその受験票を落とした生徒がなぜ、この試験に参加できたのか、だな」
「……ごめんなさい。実は私がこの教室に連れてきた子なんです。今にして思えばたぶん彼は受験票を拾った子なんですよ。必死に私になにか伝えようとしていましたし。それをちゃんと聞かずにとにかく試験時間までにこの子を間に合わせなきゃって……」
「受験票を確認しなかったのか?」
「確認したんですけど顔写真が似てて私……それで……」
「……なるほどな」
大野は今にも吐き出しそうな顔で私に説明してくれた。
彼は受験票を拾っただけの学生のようだ。
強引にここに連れてこられ、教室の雰囲気の飲まれていい出せなくなってしまったか。
私は頭に鋭い痛みを感じて片目を反射的に瞑ってしまう。全く余計な問題が出てきてしまったな。
「
「起こってしまった事は仕様がない。とりあえずこの事実が露見しないよう務める他ない」
「ご迷惑をおかけします……」
「この件は誰が知っている?」
「私と事務の人間だけです」
「そうか……これは重大なミスである。理解しているな」
「はい…‥」
「反省しろ。そして、この件は私が預かる。大野は自分の職務に戻れ。田中太郎君の保護者には後期試験がまだあるのを伝えてくれ」
「……わかりました」
肩を落として教室を去る大野。安心しろ。お前のミスは先輩である私がフォローしてやる。声に出すことはなかったがそう心で呟いた。
まずは受験票を拾った少年を捕まえないとな。
彼が黙っててくれれば事実はなかったことになる。
田中太郎は受験票を落とし、帰宅。試験会場に来ずに保護者から受験票を落とした連絡があった。
学校にはこう報告すればいい。ただ念のためチーフマネージャーには連絡しておいたほうがいいだろう。
もしマスコミなどにこの情報が漏洩した際の処理がスムーズになる。あの人の顔は広い。もし露見したとしても上手く対処してくれるはずだ。
腕時計を確認した。もうすぐ試験が終わる。私が担当していた教室の受験生で帰ってきてないのはあの偽受験生だけだ。
戻ってくる可能性は低かった。彼がここに戻ってきてもメリットはない。受験票を拾ってここまで届ける。
それなら親切心ということで片付く。
だが、受験票を落とした人間のためにわざわざ試験に挑むようなバカはいないだろう。
だとすると彼をどうやってみつけようか。
そんなことを考えていると教室の扉が開いた。
「はぁ……はぁ……間に合ってるっすよね」
真冬なのにも関わらずワイシャツ姿になって袖を捲った生徒が現れた。
こいつは田中太郎の受験票を拾った少年だな。
額には汗を流し走ってここまで戻ってきたのが伺える。
不意をつかれた私は目を丸くしてしまう。
こいつは素直に試験を受けたようだ。
自分にとってはなんの得もないのに。
もしくは面白そうだったからなんとなくやってみたのか?
「……どうして戻ってきた」
「ど、どうしてって時間内に戻ってこいって話してたじゃないっすか」
「違う。お前は受験生じゃないんだろう」
「え!? い、いや俺は田中太郎で受験生っすよ。ほら、顔写真だって……写真写り悪いんでちょっと似てないかもしれないすけど」
少年は慌てて受験票を取り出した。
確かに似ているように思える。大野が間違えるのも仕方がないのかもしれない。
「残念だが、先程その受験票の保護者から連絡があった」
「……」
「お前は受験票を拾って届けようとしたんだろう」
少年は言葉を詰まらせてしまう。いい訳をしようと、口を何度も開けたり閉じたりを繰り返すが声は発せられなかった。
ただしばらくすると、嘘をついても意味がないのに気付いたのか頭を下げた。
「すみませんでした!」
運動部にでも入っていたのか教室に響く大きな声を出して私に謝罪をする。
「た、ただ、田中には罪がないんで! 出来れば再試験みたいな感じでこいつを受けさせてもらうのって出来ないっすか?」
「無理だろうな。いかなる理由があれ今このときに試験を受けられなければ不合格だ。それより自分の心配をしたらどうなんだ? 実態はどうであれお前は客観的に見れば勝手に人の受験票を使って試験を受けた学生だ。君の学校に連絡すればなんらかの処分があるだろうな」
「処分ならなんでも受けます! ただ田中はなにも悪くないんで!」
食い気味で私に向かってくる少年。真剣な瞳に吸い込まれてしまう。こいつはどうしてここまで真っ直ぐな顔をしているんだ。
「……この受験生とは知り合いなのか?」
「同じ学校だけど見たことないっすね」
「じゃあ、どうして君はそこまで本気になっているんだ? それ以前になぜ試験を受けようと思ったんだ。なんの得もないだろう」
「得はない……かも。でも、俺が頑張ればこいつの夢は続く可能性があるじゃないっすか」
「その夢を続けさせるために君は頑張った、と」
「はい」
私は彼の心理を読み取るために威圧的に睨んだ。ただ少年は視線を逸らさずに怯える様子もない。全く本当に生意気なやつだ。
知らない人間のために汗を流して罪を犯すなんてな。私は思わず笑みを零してしまう。
こいつは超がつくほど大馬鹿者のようだ。
「安心しろ。まだ後期試験が残っている」
「後期試験?」
「マネージャー科は前期試験で二十人。後期試験で十人。会わせて募集人数が三十人になっている」
「ということは…・…」
「田中太郎の夢は完全に断たれたわけではない」
「な、なんだよ……」
自分の行いが徒労だったのに気付いた彼はその場でしゃがみこんでしまう。
「じゃあ、俺は無駄に処分を受けないといけないのかよ……」
「さっきはああは言ったが私に提案がある。今日のことは忘れてくれないか?」
「忘れる?」
「君は試験を受けなかった。ここにはやって来なかった。受験票を拾わなかった。そうしてもらいたい」
「いいんすか。そんなんで」
「私達としても失態なんだ。君が忘れてくれれば私の仕事が一つ減る」
「なるほど……わかりました」
少年は首を縦に振って納得してくれる。これで頭痛の種が消えてくれて助かった。大野にも後で連絡しておこう。今日の出来事は忘れろ、と。
「そうだ。集めた名刺は私が預かっておこう」
「ああ、そうっすね。じゃ、俺はこれで」
少年はごそごそとポケットに手を突っ込むと名刺の束を取り出した。
私はそれを受け取ると絶句する。
私の機能が停止している間に少年は私に一礼すると教室から出て行ってしまった。
私は教室のドアを閉める音で我に返る。
「……こんなこともあるんだな」
私は受け渡された名刺達をまじまじと見る。
その数は百を超えそうだった。たった二時間でこれだけ集めたのか。この枚数は本日の受験生の中だと間違いなくトップだ。
私の担当している受験生でこれほどの数を持ってきた者は一人もいない。
せいぜい多くても三十枚ほど。一枚も集められなかった生徒もいるほどだ。
正直この試験の難易度はかなり高いと見ていい。
知らない人間、それも大人に中学生が話しかけるのは勇気のいる行動だ。それに合わせて名刺までもらわなきゃいけないというのはは酷だ。
名刺を渡す人間も中学生に託すのに抵抗があるだろう。
この試験はその人が持つ度胸や名刺を渡してくれるよう説得する力、初対面でも人から好かれる資質などマネージャーとして必要な営業力を推し量る目的で行った試験だ。
彼はその能力値が高くこれだけの枚数を集めたのか。
いや、違うな。わざわざサラリーマンが外にいないような時間で行ったのだ。
ただ道端の人間に声をかけるだけではこの数は集まらない。
機転を利かせたな。
彼がやったことはおおよそ検討がつく。
私の言葉に惑わされずにそれを実行したか。そういう生徒が出てくれればと期待はしていた。
ただ期待しているだけで、本当にそんな受験生が出るとは思っても見なかった。大人でもそれを実行するのは至難なのに。
私は名刺の束をギュッと握り締める。
「……マネージャーとしての才能はあるみたいだな」
話をしている感じではまだまだといったところだ。年上に対する口もなっちゃいない。
ただ、指導していて間違いなく面白い生徒にはなるだろう。こんなに浮ついた気分になるのは久しぶりだな。現場で働いていたときのことを思い出してしまう。
奴がマネージャー科の受験生じゃないというのが大変残念だ。
私は携帯を取り出した。今日の試験結果についてチーフマネージャーに報告しなければならない。
そして、特別試験をトップの成績を残した謎の少年についても話さないとな。
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