熱でもあるのか?

 薄汚れた扉には「準備中」とのふだがかかっているが、そのことをあらかじめ聞かされていたルカは、息を整えつつ扉に手をかけた。

 細く開いた隙間からのぞくのは、ランプの明かりに満たされた、居心地の良さそうな空間。


「来たな、ルカ」

「すみません、ちょっと布団を…」

「フトン?」

「あ、いえ。遅れてすみません」


 結局ぞろぞろとそろって訪れた光園に長居をすることになり、ルカが干してきた布団のことを思い出したときには、取り込んでからリツとの約束の場所に向かうにはぎりぎりの時間だった。

 先についていたらしいリツは既に、カウンターでグラスを傾けている。


「何を飲む?」


 深々と下げられた頭に、リツはいつものようにタンクトップ一枚のむき出しの肩をすくめて見せた。

 飲みかけの、深紫の液体の入ったグラスをかかげ、隣に来るようにうながす。

 カウンターの奥には、開店準備を進める、ベスト姿の年齢不詳の男が一人。

 おずおずとスツールに腰を落としたルカは、ちらりと男を一瞥いちべつし、リツを見て、困ったかおになる。


「ホットミルク…もらえますか?」

「ミルク? アルコールは? ダメなのかもしかして?」

「いえ、呑めないわけでは…あれば、蜂蜜も入れてもらえると…」

「熱でもあるのか?」


 ひょいと、リツがルカの額に額を当ててくる。ぎょっとして、体が固まった。

 そんな反応は気にせず、熱はないなーとリツは呑気に首を傾げる。ルカは、密かにうめいた。もう少しくらい、己の見栄えを気にしてほしい。

 ソウヤいわく、リツによこしまな目的で手を出そうとした男は例外なく地獄を見た、らしいが。


素面しらふじゃ話しにくいかと思ったけど、飲まねーんなら他にした方が良かったか?」

「いえ…よく来られるんですか、この店」

「んー、まあな。そこのオヤジ、昔の仲間なんだ」

「兵団の?」


 つい見てしまった男はさほど筋肉質には見えないが、考えてみればそれはルカやソウヤらも同じで、関係がなかったかと思う。

 ルカと目の合った男は、にっと笑って見せた。少なくとも、堅気には見えない。


「そっちじゃなくて。えーっとな。俺、おやっさんとこで世話になる前は、盗賊の村にいたんだよ。物好きなのが、俺が道端に落ちてたのを拾って育ててくれてさ。村っつってもそのときでさえいー年したおっさんばっかで、よくまあ子育てなんてする気になったもんだってトコだけど。そんときの仲間。捕まったときに俺以外は帝都立ち入り禁止になったんだけど、サカキは運よく捕まんなかったんだよな」


 ぽかんとするルカを前に、リツはどこか楽しそうに、しかし寂しそうに、そんなことを口にする。ランプに照らされた眼は、どこか遠くを見ているに違いない。

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