第86話 特急雨


「龍の墓場。そこは無。なにもない。ただ限りなく黒い海のようなものがそこに在り、それに触れてしまうと、その者は二度と龍空へは帰れなくなってしまうという――それが龍の墓場、とされてきた。でも事実、あたしは龍の墓場に放り込まれて、それから龍空に帰ってきた」


「では、龍の墓場は……地上世界に繋がっている、ということですか?」


「たぶんな。一刀斎もそうだったんだろ? 抵抗しないあいつを散々痛めつけて、死んでるか生きてるかわからない状態で、そこへ投げ捨てた」


「す、すみません……」


「ん? なんでエウリーが謝ってるんだ? それもこれも預言者のやったことで、あいつがたてた計画だ。……でも、あたしは龍の墓場を通ったことで、記憶を失った。一刀斎のやつは……、どうかわからないけど、あそこをただの便利な転移装置だとは思わないほうがいい。あそこにあるのは、何か得体の知れないモノだ」


「まあ、あんなところに飛び込めって言われても、こっちから願い下げだけどな。……それで話は戻るんだけど、結局のところあいつは……預言者は何をしようとしてるんだ?」


「まずは、この龍と人間の戦いで、人間を潰して、疲弊した龍側を叩くつもり……だった」


「そんなにうまくいくもんなのか? 人間側も、強いやつはかなり強いぞ」


「……それを加味してでも、龍陣営が勝ってたとおもう。それに、最初の予定では、ここ龍空にいる神龍たちはほぼ全員、人間界へ投入する予定だった。そうなってくると、たぶんもう殲滅戦だ。像の群れが蟻を潰すが如くだ。さすがに人陣営は分が悪くなる。けど、あたしが帰ってきたことによって、それができなくなった。あたしは龍空に帰ってきて、生前……こう言っちゃうと、あたしが死んだみたいであれだけど、あたしに尽くしてくれてた龍たちを集めて組織した。これで、預言者側は第三勢力あたしたちを無視することができなくなり、戦力を分散せざるを得なくなって、いまに至るんだ」


「……それで、この戦争で仮に人間が負けて、龍陣営が勝ったとしたら、預言者はどうしてたんだよ」


「残っている神龍を皆殺しにして、自分が新しい王だと宣言していた。それと神龍制度の表面上ではなく、真の撤廃、および地上世界への侵攻。それが預言者の目的。残念ながら、それを望む龍も少なくない。それに、地上世界への侵攻だけど……あいつは元々、嫌だったんだと思う。この龍空が、実際にではないにしろ、位置的には人間たちのいる地上世界の下にある事に」


「たしかに、それは俺も妙だとは思ってた。……けど、ここと俺たちの世界とでは、もう異世界だろ。だって、実際ここには雲もあるし、空もある。上にはなにもない。気にするほどのことかね」


「あたしもそこはわからん。あいつが何を考えてるかまでは、知りようがないからな。あくまであたしが知ってるのは、あいつの計画。それだけだなんだ」



 その場が沈黙に包まれる。



「どうだ、エウリー。これで話は終わりだ。あたしのことを信じるのか? 信じないのか?」


「……正直言って、わかりません。なにより、証拠もないですし、でも……」


「もうドーラと戦う気力はねえんだよな?」


「ああ、そうだな。こうして話してみてわかった。王女は操られているわけでも、乱心なさっていたわけでもない。でも、だからといって……我はどうあれば……」


「エウリー、どうあるべきかじゃない。どうしたいか、なのだ。母様も言ってた。時には理性や理屈よりも、感情を優先すべき時があるって。おまえは少々、頭で考える節が強い。だから言ってみろ、おまえの本心を」


「我は……、我は戦いたくない。同じ種族同士で争い合いたくない。それも……できることならば、人間・・たちとも……。そして、アテン様の言っておられることが本当だったとしたら、それを止めたい。それから、預言者殿にも話を聞きたい」


「うんうん。やりたいことのバリューセットだね。そんくらい欲出していこーぜ」


「サキはもう少し理性を培え……」


「ふふん。……エウリー、それだけ言えるってことは、もう、やることは決まってるんじゃないのか?」


「そう……かな? そうなるのだろうか……」


「そうだよ。じゃあ目下の課題としては、敵勢力の無力化――」


「アテン様! 敵襲です!!」



 人化した龍が、息を切らしながら、四人がいる場所に入ってきた。



「ちっ、んだよ……もう来たのかよ。堪え性がないな。おまえの妹は」


「いいや、自分で言っておいてなんだが、面倒くさがり屋のゴーンが、こんな時間で、わざわざここまで来るなんて考えられない。あいつの性格なら、たぶん待機場所で惰眠を貪っているか、ボーっとしているかだ」


「はぁ? じゃあ、誰だよ。こんなところまで来る神龍って……」


「敵は肉眼で確認した限りだと、ゴーン様ではありませんでした。あれは……スノ様です!」


「スノって……ああ、なんだ、長女か。あいつもここ龍空にいたのか」


「……あ、姉様……だと……? それは本当か? 貴様!?」


「は、はぁ……まず間違いはないかと……!」


「それにしても、いままでどこに行ってたんだ? 俺たちが城へ行ったとき、会わなかったよな?」


「………………」


「……おい、エウリー。青い顔して黙り込んで、どうしたんだよ?」


「逃げろ」


「へ?」


「逃げるんだ。姉様は多分――」



 ドゴォォォォォォォン!!

 けたたましい爆音と共に、洞窟内の天井が盛大に吹き飛ぶ。

 目が眩むほどの陽光と、一体の神龍が洞窟内に入り込んだ。

 鮮やかな紫色の羽を背に生やし、紫色の長い髪の女性。

 口元はニヤリとつり上がっており、タカシたちを値踏みするように見降ろしている。



「おーおー、預言者の言ったとおりだな。王女モドキもいれば、我が愚妹もいる。……さて、エウリーよ。おまえ、ここで何をしているんだ? 返答しだいでは、過去最高のお仕置きが、おまえを待っているぞ。……覚悟は、出来ているんだろうな?」


「単独で我らを滅ぼおしおきしてくるつもりだ……!」





「こら、ちょっと! 逃げるなっての! 降りて正々堂々戦ってよ、もう!」


「嫌……です。申し訳ありませんが、力いっぱい逃げさせていただきます」



 トバ天守閣跡。

 地上ではシノがせわしなく刀を振り、その上空ではカーミラが飛び回っている。



「まさか、龍殺しドラゴンスレイヤーの方がまだいたとは……。それに、斬撃まで飛ばしてしまうほどの使い手なんて……。どうか、その刀をお納めください。怖くて近寄れません」


「刀納めたら、貴女を斬れないじゃん!」


「はぁ……、仕方ありません。では、その能力が切れるまで、飛び回っておきましょう。幸いなことに、見たところ、貴女のその能力は燃費が悪い様子。対して、私はその状態がきれるまで、飛び回ることは可能みたいですので……」


「ひ、卑怯ものー!」


「なんとでも……。その能力が切れ、疲弊しきったとき、それがあなたの最後です。せいぜい、当たりもしない刀を振りまわしておいてください」


「くっ……!」


「うおーい、娘よ! 敵を変えるか? こちらの神龍は脳筋娘だ」


「お父さん、うるさい」


「なにおう!? うるさくな――」


「なに余所見しちゃってるのよ!」



 アリスの繰り出す、鋭い爪による一撃。

 アリスの腕はもはや人間の腕ではなく、強固な鱗に覆われた、ドラゴンの腕になっていた。

 しかし、トバ皇もこれを難なく、手に持った刀剣で弾いた。

 弾かれたアリスの腕は、冷え固まったマグマをめくり上げ、地形を大きく穿った。



「ちぃっ! なかなかやるじゃない……! お兄さん!」


「フム。この歳で、貴様のような少女にお兄さん呼ばわりとは。喜ぶべきなのか、舐められていると激怒するべきなのか……」


「ふん、あたしたち龍からしたら、人間なんてもれなく、誰だって年下よ。まったく、生意気なんだから! 大人しくお姉さんに殺られちゃいなさい!」



 急にアリスの頬がぷくーっと膨らむ。

 次の瞬間、アリスは口から燃え盛る火炎を吐き出した。

 しかし、火炎には勢いはなく、涎のように口から垂れると、足元にボトボトと落ちていった。



「ガッハッハッハッハ! どうした!? 龍のくせに二日酔いか!? 薬でも貸してやろうか! トバの酔い止めはよく効くぞ」


「ふん、笑っていられるのも今のうちよ。あたしを脳筋だと、罵ったことを後悔するがいいわ!」



 アリスはそう言うと、液体の炎を次々と口から吐いていった。



燃え盛る粘液バーニングスライム! さあ、目の前のお兄さんを呑み込みなさい!」



 吐き出された液体は一か所に集まっていくと、合体して、ひとつの巨大なスライムと化した。

 メラメラと揺らめく火炎はまるで、王冠のようにも見える。

 スライムは、人が歩くような速度でトバ皇に近づくと、そのまま覆いかぶさろうとした。



「……ち、舐められたものよな。余が現役時代に、如何程のスライムを屠ってきたかを知らぬとは……」


「くすくす……そう? なら、いままで通りの対処法でやってみたらいいんじゃない?」


「言われなくとも……!」



 トバ皇は手に持った刀剣を振りかぶると、そのままスライムを一閃する。

 スライムは上下に両断されると――


「なにッ!?」


 辺りに高温の爆風を巻き起こし、爆散した。

 まるで小型の爆弾のように閃光が辺りを包み込むと、トバ皇もろとも、あたりの物すべてを吹き飛ばしていった。



「うふふ、これがあたしの『燃え盛る粘液バーニングスライム』。刺激を与えたら爆発。刺激を与えなくても、飲み込まれるの。近接武器しか使えないあなたにとっては、まさに天敵。勝負、あったわね」

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