第79話 龍空にようこそ


「起きろ――」



 凛とした女性の声に、タカシが目を覚ます。

 タカシの周りはまるで、透き通った海の色のような蒼い空。

 其処には雲と陽光以外には何もなく、海や陸などは見当たらない。

 そのような空の世界にポツンと、タカシを乗せて飛ぶ、ひとつの影があった。

 影の正体は龍。

 鮮やかな紫色の体に、しなやかな四肢。

 その体にトバに襲来した龍のような凶暴性は、一切感じられない。

 タカシはその龍の背中で、目を閉じながら軽く身じろぎをすると、小さな声で「ううう」と唸った。



「起きるのだ、同胞よ」



 龍が再度、背中にいるタカシに声をかける。

 そこでタカシははじめて、その声に反応を示した。



「う……うん――どわあ!? どこだ、ここ!? 空!? 浮いてんのか? って、違うな……飛んで……んのか?」


「ここだ」


「え?」



 タカシは恐る恐る声のしたほうへ視線を落とすと、口を閉ざし、息をのんだ。



「なにをそんなに驚いておるのだ。……龍を見るのは初めてではなかろう?」


「たしかに見たことはあるけど……いや、それよりも、あんた、だれだ?」


「……ふむ。この姿で会うのは初めてだったな。ならば仕方があるまい。もう一度名乗ってやる。我はエウリー。憎き猿共の居城。その地下にて貴様と相まみえた、神龍三姉妹の一人にして三軍神がひとり、紫龍シリュウのエウリーだ」


「待て。知ってるぞ。三姉妹に思い当たる節はある……けど、どれだ……?」


「……次女だ」


「あー……はいはい、あの口うるさかったヤツか」


「どういう覚え方をしているのだ、貴様は!!」


「それにしてもテメェ……、敵を乗せて悠々と空の旅を楽しんでいるとは、いい度胸じゃねえか。……来世ではそのスキルを活かして、客室乗務員になれることを祈って――」


「ま、待て待て。確かに城で我らは敵対していたが、それは貴様が操られていたからであろう? どうだ、思い出さぬか? ここは既に龍空だぞ。この透き通るような青色の空、見る者の心を浄化するような白色の雲。……どうだ?」


「てか、そもそも、どうしてオレがおまえらの同胞なんだよ。おかしいだろ。見てくれだってだいぶ違うし」


「なに、龍化は体力を使うからな。別段、その姿に驚きはないのだ。気にするな」


「てことは、おまえも普段は人間みたいな格好になってるのか?」


「……そうだが……、『人間みたいな』と揶揄されるのは心外だな。せめて『普段着』と呼称してくれ」


「揶揄って、ひでえな……。でもそれだと、オレが同胞だって根拠にはならないんじゃないのか? その……なんだ、『普段着』だと、龍だってわからないわけだし」


「いや、至極単純で明快なことだ。根拠は貴様の使った魔法だ」


失われた魔法ロストマジックとかいうやつのことか?」


「ああ、それだ。……じつはな、失われた魔法は我々ではなく、猿共が名付けた魔法なのだが……まあ、それに関しては、いまはどうでもよい。とにかく、その魔法が使えるのは我ら神龍と、今は亡き魔族の王のみだ。彼奴は既に勇者とやらの凶刃に倒れた。となれば消去法で、貴様は神龍となるわけだ。どうだ、簡単だろ?」


「いやいや、あの魔法は訳あっておっさんに叩き込まれてもんで……て、その話だと、その魔法を使えるやつは全員神龍ってことになるじゃねえか」


「ならん。これはあとで説明するが、神龍以外はおまえらの言う、失われた魔法は使えんのだ」


「……つまり、ここでおまえが言いたいことは、おまえにはオレを攻撃する意思はねえってことでいいんだな?」


「理解してもらえたようだな。だが、貴様が王に――龍空に仇成す者であれば、その限りではないがな。……まさに、王女のようにな」


「王女……?」


「そうか。それも知らないのだな。……なに、こちらの話だ。貴様は知らないでいい。――いや、知らないほうがいい・・・・・・・・・。と言ったほうがいいか。これはとても、とても哀しいことだ……」


「なんか、そう言われると気になるな……。それにしても、この世界にも王はいたのか」


「……ふむ。やはり貴様は、記憶の大部分が欠如しているようだ。これは、預言者殿に診てもらわなければならないな……。ちなみに質問の答えだが、無論いるぞ。神龍王様だ。我ら龍族を統べる龍の中の龍にして、王の中の王で在らせられる」


「……へえ。てことは、おまえは今、そこに向かっている、と?」


「そういうことになるな。それまで暫しの間、記憶を取り戻すことに専念するがいい。……それにしても、忘れるものなのか? 我のことを。どこから記憶がないのだ」


「悪い悪い。けど、あの時のおまえって、龍媒……だっけか? それのせいで男だったじゃん。それで今の声と全く一致しなくてさ。だから正体明かされてたから、面食らってたんだと思う」


「そうだろう、そうだろう。いかに記憶を失くしておっても、この美声に心奪われるのは、栓無きこと。むしろ、これに関してはこちら側が加害者側だったな。それについては詫びねばならぬ。すまん! かわいくて!」


「前から思ってたけど、おまえ、バカだろ?」


「な、なんで!?」


「なあ、サキもそう思――て、おい! サキはどうした? 見当たらねえぞ?」


「サキ? そやつは何者だ?」


「は? いやいや、オレと一緒にいたんじゃねえのか? なんかこう……、ショートヘアですごい恰好してる……」


「知らぬな……貴様の仲間か?」


「そんなもんだけど……てか、それなら、どうやってオレを見つけたんだよ」


「この龍空を落ちている・・・・・ところを、我が発見し、背に乗せたのだ」


「落下中に?」


「ああ。ここらに出てくると、姉様は読んでいたからな。それが見事に的中したのだ」


「それだと尚更、サキの姿がないのはおかしいだろ! オレたちは一緒に落ちてたはずだ!」


「そんなことを我に言われても……、発見したときは貴様一人しか――」


「戻れ! 今すぐサキを拾いに行ってくれ!!」


「そ、それはできん。仮にそのサキとやらが神龍だったとしても、もう救い出すことはできぬ。ここは龍空。地上と呼ばれるような場所などは存在せぬ。足下に広がるはただの掃いて捨てられた吹き溜まり。良くないもの・・・・・・が寄せ集まり、其処で蠢いておるのだ。そんなところへ行ってしまえば、いくら神龍といえど、助かることは不可能。ここは諦めて――」


「うるせえッ! 行けって言ったら行け!!」


「だ、ダメだ。諦めてくれ」


「だったら、オレ一人で――」


「そ、それもダメだ。貴様にいま、勝手に死なれては困る」


「くそ、頼むよ……! これ以上、失いたくねえんだ……!! 頼む!」


「……ッ!! このわからず屋め! そんなに落ちたければ、見せてやる!」


「は? え? おい……、なにすん――」



 エウリーは背中のタカシを鷲掴みにすると、そのまま垂直に急降下した。

 ギュンギュンと、ものすごい速度で二人が落下していく。


 ――しかし、いくら落ちども、地上にはたどり着かず、ただ二人は落下していくのみ。



「ぐ……! お、おい……! なにやってんだ!!」


「もうすぐだ。鼻をつまめ。息を止めろ。できるだけ、目は開くな」


「は? え――」



 ビタッッッッ!!

 エウリーはまるで一時停止するようにして、空中で急停止した。

 その衝撃にタカシは小さく息を洩らすも、すぐに目を見開き、息を呑んだ。

 ――黒。

 漆黒よりも、暗黒よりも深い純粋な黒。

 それがタカシとエウリーの足元に、海のように波立っていた。

 しかして其れの全貌を掴めることはできず、ただただタカシは、目の前の光景に戦慄していた。

 しばらくしてエウリーは、其処から逃げるようにして急上昇した。



「ぷはぁっ……! なんなんだ、あそこは!?」


「『龍の墓場』。我らはそう呼んでいる」


「龍の墓場……? アレ・・は、墓場なんてもんじゃないだろ! もっとこう――」


「おまえが言わんとしていることは分かる。ただ我らは其処をそう呼び、決して近づいてはいけないと教えられたのだ。だから、貴様のツレはもう……」


「……くそォッ!」


「すまない。我では役に立てぬ」


「……いや、これはオレの責任だ。おまえが気に病む必要はない」


「時間だ……落ち込んでいるところ悪いが、今は戦時中。それにこの近辺では最近、レジスタンスなる者たちが出没しているという情報も聞く」


「レジスタンス……?」


「貴様に言ってもよいのかはわからんが、今や龍空も、一枚岩ではないということだ。……とにかく、先を急ぐぞ。王に会わねば」


「……ああ、そうだな。王にはオレも言いたいことがあるんだ」


「さあ、速度を上げるぞ。口を閉じろ。舌を噛む」

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