第10話 憧れていた女騎士が女色家だった。


 朝焼けが霧と混ざり合う早朝。

 ルーシーの家の畑からザクッザクッという音が、一定のリズムで鳴っていた。

 そこにはヘンリーと、白髪交じりの中年の男が鍬で畑を耕していた。


 中年の男はルーシーの父親である。

 ルーシーは騎士の出ではなく、農家出身であり、父親と母親の三人でエストリアの郊外に暮らしていた。



「いやあ、はっはっは。娘に騎士の友達おったとは驚きだよ」



 父親は手を止めることなく、ヘンリーに話しかけていた。

 ヘンリーも父親のほうへは顔を向けずに、畑を耕し続けている。



「いえ、友達というよりもむしろ――」


「なんだ? もうかっぷる・・・・とかいうやつだったか? はっはっは!」


「そんな! 恐れ多い! というか、マジで「恐れ」が多い……」


「……おい、こんな朝っぱらからなにやってんだ、おまえ……」



 コップと歯ブラシを持ったタカシがパジャマ姿で畑に入ってきた。

 髪はボサボサで、まだすこし眠いのか、まぶたはトロンとしている。



「こら、ルーシー! そんな恰好で男子の前に出るもんじゃないぞ! 寝ぐせもそんなにつけて……」


「へいへい……」


「『へい』は一回でしょうが!」


「『はい』だろ……」


「おはようございます! 姉御!」


「おう。相変わらず声デケーな。……じゃない、おまえこんな朝っぱらから何やってんだよ」


「手伝いっす!」


「ちっっげぇよ! なんでオレん家にいるんだっつってんだよ!」


「そりゃもう、オレの身も心も姉御のものっすから」


「バーカバーカ! おまえもう帰れよ!」



 タカシは手に持っていた歯ブラシを、ヘンリーめがけて投げつけた。



「うう……親としては嬉しいような寂しいような……そんな気持ちですっ!」


「みろよ! 見事に話がこじれてるじゃねえか! しかも、おまえがツッコませるせいで、おめめぱっちりだよ! ありがとう!」


「そんなぁ、殺生な……」


「なんなら、いまここで殺生してやろうか?」


「お暇させていただきまーす」



 ヘンリーは鍬を持ったまま、その場からつむじ風のように消えていった。



「……ルーシー、あとで鍬を回収してきなさい」


「……ちっ、へいへい」


「『へい』は一回だって、言ってるでしょうが!」


「だから『はい』だろ……」


「ああ、それとな」


「なんすか……」


「さっきなんか身なりのいい兵士さんが来て『おめー』とか言ってたから、追い返しといたぞ」



 タカシはしばらく考えてから、父親に言った。



「……ちょっと、それってもしかして『王命』じゃ……」


「そうそう、そんなかんじだったな。いきなりきてオメーって……。さすがに父ちゃんキレちゃったよ……屋上に呼び出そうとも考えたけど、さすがにそれは大人げないなっておもって控えたね。んでも、もうやばかったよマジ」


「ば、バカ! なにやってんだよ!」


「ちょ、親に向かってバカだと!? 親の顔が見てみたいわ!」


「てめえだよ! ……はぁ、親がこんなんじゃ娘もああなるわけだよ」


『んぇ? なんの話ですか?』


「おまえも苦労してんだなって話だよ」


『ええ、はい、そりゃもう! 毎日、お昼になに食べよっかなとか、晩御飯にも何食べよっかなとか、すごく悩んでましたね。ちなみにわたしは好き嫌いのない良い子でしたよ』


「はぁ……」


「ルーシー、ため息をつくと幸せが逃げていくから、やめなさい」


「あんたが逃がしたんだろうが! むしろ、狙ってオレの幸せリリースしてんだろうが!」


「今度はあんた呼ばわりですか……父ちゃんキレちゃうよ? 父ちゃんキレッとアレだからね? まじ、アレだから。謝るなら今のうちだから」


「はぁ……、もう城に行ってくるよ……」





「ようこそ。ここにお名前とご用件を記入して、番号札をお持ちになってお待ちになっていてください」


「あの、今朝王命を伝えてくれる人が来てたんですけど、父が追い返しちゃって……」


「あ、そうなんですね。わかりました。少々お待ちください」


「はい、すみません……」



 タカシはあの後、エストリア行政区にある王城へとやってきていた。

 王城一階のエントランスは市役所の待合室のようになっていた。

 そこには多くの番号札を握りしめた国民で、ごった返していた。



「……あれだな、エストリア政府って意外と事務的なんだな」


『民主主義ですからね。王様も国から給料もらってます。だから国民の声に耳を傾けるのも、立派な仕事なんですよ』


「雰囲気ぶち壊しなんだよなぁ……あちこちで水道の工事してたりとかさ。もうちょっとファンタジーなアレはねえのかよ!」


『工事は……けっこう急でしたね。なんでも、大臣さんの計らいで、よりよい水回りを目指そうとかなんとかで』


「なんだ? そこらへんのインフラは整備されてねえのか?」


『いえ、十分だとは思います』


「じゃあなんでだよ」


『王様が「生活の基盤となるのは水である」ってかんじの演説をしたんですよ。それを聞いた国民もみんな、その気になっちゃって……』


「それで、いまみたいな?」


『はい。風のうわさでは、発案者は王様じゃないとか』


「じゃあ誰なんだよ」


『わたしは大臣が怪しいんじゃないかと』


「大臣?」


『はい。今の騎士団がこういう仕様になっているのは、大臣のお陰らしいんですよ。そのお陰で色々と指令系統の細分化に成功して、王にダイレクトに負担がいかなくなったんです。そのほかにも色々と功績を立てていて、支持率はかなり高いんですよ』


「……いまではその仕様が一般化してるんだけどな……」


『ん? なにか言いました?』


「いや……ちなみに、ルーシーってどうやって騎士団に入ったんだ? 実力とか必要になってくるんじゃないのか?」


『わたしは騎士の学校を出てますから、そのままですね』


「騎士の学校……てことは、そこさえ卒業すればだれでも騎士になれんのか?」


『どうなんでしょうね。わたしはなれましたよ』


「おまえでなれるんだから、だれでもなれるんだな……」


『ちょっ、どういう意味ですかそれ! あまりわたしの堪忍袋を刺激しないでください! パンっていきますよ、パンって!』


「おまたせしました」



 戻ってきた受付嬢は、自らの窓口に「休止中」と書いてある立札を置いた。



「ルーシー様ですね。こちらへ」


「あ、はい」



 タカシは受付嬢に促されるがまま、王城内にある謁見の間に通された。

 謁見の間には近衛兵などはおらず、王座にはだれも座っていなかった。

 しかし王座の前には長い黒髪の、丈の短い紫色の着物を着た女が、入り口に背を向けて立っていた。



「こちらですルーシー様」


「ありがとうございます。あの、王様は……?」


「王はいま席を外されております。もうすぐお戻りになられると思いますので、そのままでお待ちください」


「えっと、あの人は……」



 受付嬢はタカシが言い終える前に、謁見の間から去っていった。



「……王様、いないってよ」


『それよりタカシさん、あの人!』


「なんだよ、あの女の人がどうかしたのか?」


『あの人があの人ですよっ! うひょー!』


「だからなんだって――」


「お、君がルーシーちゃんだね」



 謁見の間にいた女性がタカシに話しかけた。

 背丈はタカシよりも、頭ひとつ分高い。

 女性の顔は上半分が、切り揃えられた前髪によって隠れていた。

 したがって鼻より下からでしか、その表情を読み取ることはできなかった。



「え、は、はい。自分がルーシー……ですけど……?」


「ああ、ごめんね。あたしは雨ヶ崎紫乃アマガサキシノ。みんなからはシノって呼ばれてるんだ。こう見えて聖虹騎士団の一員だよ」



 雨ヶ崎紫乃と名乗った女はそう言って右手をタカシに差し出した。

 タカシは怪訝そうな表情を浮かべたが、やがて握手に応じた。



「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」


「!?」


「おっと、ごめんね。なんか立ち眩みしちゃったみたい。……って、ずっと立ってたんだけどね」


「い、いえ……それであの……そろそろ手をはなしてもらえますか」


「ああ、ごめんごめん。……もうちょっといいかな?」



 タカシのほうからバッと手を振りほどくと、シノは残念そうに口を尖らせた。

 タカシはその反応に、小首を傾げる。



「あ、ごめん。前髪気になるよね」


「え? いえ、ちょっと不便かなって思って……」


「見るぶんには大丈夫だけど、ちょっと自分の目にコンプレックスがあってね」


「そ、そうなんですね……」


「え? 困った顔かわいい……かわいくない?」


「はい?」


「抱きしめたいんだけど」


「はぁ?」


「……ヌハッ!? いや、ちがうちがう! じつはあたし、今日は王様に呼び出されたんだ」


「……えと? 先客ってことですか? じゃあシノさんの用事が終わるまで外で待ったほうが……」


「ううん。その必要はないよ。だって、あたしの件がルーシーちゃんの件だもの」


「じ、自分ですか?」


「うん。内容はちょっと言えないけど、ルーシーちゃんの同伴者みたいなものって思ってもらって構わないからね! なんなら、その……お姉ちゃんって、呼んでもらっても構わないからね」


「は、はぁ……」


「それにしても、ルーシーちゃんって騎士なんだよね? その鎧を見る限り」


「はい、まだ雑兵クラスですけどね」


「そっか、だったら後輩ちゃんだ」


「そういうことになります……かね?」


「ね、ねえ、『先輩』って呼んでみてくれる?」


「はい?」


「う、うっそぴょーん。なんてねっ」


「は……はは……おい、ルーシー」


『な、なんでしょう?』


「聖虹騎士団って、変なのしかいないのか?」


『そんなことはないと思うんですけど……』


「そもそもおまえ、こんな変人に憧れてたのかよ……!」


『そんなはずは……あのときはもっと凛としていて、カッコよくて、凛としていて……』


「リンリンかよ」


『そのツッコミもどうかとおもいます』


「ん。ルーシーちゃん、どうかした? なんかコソコソしてるみたいだけど」


「あ、いえ……。王様に会うので、ちょっと緊張してるだけです」


「そ、そう? あた……、あたしがルーシーちゃんの緊張をほぐしてあげても――」


「すまん、うんこいってた。めっちゃでた」



 謁見の間、その入り口からマーレ―が自らのマントで手を拭きながら現れた。

 マーレ―はのしのしと王座まで歩いていくと、ものぐさそうにドカッと座った。

 シノはマーレ―が玉座に座るのと同時に、渋々といった様子で跪いた。

 タカシはそれを見て、見様見真似で跪いた。



「あ、なんだ。もう来てたの……あー、あー、オホン……よく来てくれた。ご足労であったな」


「王よ、取り繕っても、もう手遅れです。全部見られてます」


「そんなことは、ぬぁい!」


「えっと、あー……、王直々よりの拝命、大変嬉しく――」


「ここにいるルーシーちゃんは信用に値します!」



 シノがタカシの口上を遮るように発言した。



「え?」


「よし! 信用する!」


「は?」


「ご苦労であった。帰ってもよいぞ」


「やった。今日はもう終わり。帰ろっか、ルーシーちゃん」


「ちょ」


「ルーシーだったな。君には、青銅騎士に上がることができる・・・・・・・・・資格を与える。これから一年以内に以下の武勲を――」


「せ……説明を! せめて最低限の説明をお願いできますか!?」

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