巨大生物出現事案

第1話 前兆(1)

１

　満月が辺りを照らし、美しい夜空を演出していた。しかし東北大震災以降、その夜空を福島第一原発周辺で見るためには防護マスクを着用しなければならなかった。東京電力に入社し、勤続二〇年目を迎える大山俊也は、その夜空を仮設住宅に戻るバスの窓越しから見上げていた。東北大震災以降、福島第一原発のメルトダウン事故により大山は一年半前から除染作業の業務に割り当てられていた。現地での業務に就いたのは三ヶ月前であり、防護服を着ての過酷な作業に、就職先を恨み始めていた。今日も炎天下での作業が終わり、汗を拭き終わらない中、バスの座席で一息ついた。外とは違い、空調が効いた車内では大いにリラックスすることが出来た。また防護服を脱いだ時の解放感に勝るものはなく、その瞬間を思い出し、溜息をついた。

　バスが走り出して数分、仮設住宅があるエリアまであと少しという所で、大山の後ろに座っていた作業員の携帯が鳴った。それから数秒、その作業員の言葉にバスの中が一瞬にしてどよめいた。

「周囲の放射線レベルが急激に下がっている？」

その作業員は呟くように言ったが、疲れで全員が静まり返っているバスの中では十分過ぎる声量だった。電話を切ったのを確認した大山はその作業員に説明を求める。周りの人間もバスの走行中にも関わらず集まってきた。

「先程、福島第一原発周辺の放射線レベルが急激に低下する事象が発生したということです。機器が故障している可能性もあるため現在調査中とのことですが詳細は不明だと。」

機器の故障・・・その言葉に周囲は何事もなかったかのような落ち着きを取り戻し、個々の座席に戻っていった。故障は今日に限ったことではなく、今まで何回もあったためそこまで深く考える者はいなかった。

　やがてバスは仮設住宅が広がる地域に到着し、作業員らは降車し始めた。大山も流れに身を任せ順番に降車し終わると、自分の仮設住宅に向け足を進めた。しかし周囲の状況が大山の足を停めた。忙しく動き回る職員や作業員の姿が目の前にあった。束になった書類を小走りで運んでいる者、片手に双眼鏡を持ち原発を見ながら電話をしている者など、その慌ただしさや彼らの行動はバスを降りてきた面々から見れば異様な光景だった。

大山は傍にいた職員にすかさず話し掛けた。

「なにがあったんです？」

「放射能が消えたんだ！訳が分からない！」

混乱気味に大山に言い返し、その職員は立ち去ろうとしたが、

「機器の故障じゃないんですか？」

そう問い質し引き止めた。

「それなら皆騒いでないよ！」

その返答に耳を疑った。

「お前達は今の今まで作業してたんだろ。あそこで！何か変わったことはなかったのか？」

頭の整理が追いつかない中、職員がそう続けてきた。今まで現場で作業をしていた職員らの間でどよめきが起こった。

「私が現場責任者でしたが、何もありませんでした。何かあれば逐次報告をします。」

大山の後ろにいた中年男性がそう口を開いた。その言葉に周囲の人間は頷いていた。

「とりあえず手伝ってくれ！今は力より頭が欲しい！」

職員はそれだけ言い残し、自分の持ち場に戻っていってしまった。大山らは自分たちに出来ることを探すため個々に散り、作業にあたった。

　時刻は午前一時を過ぎ、岡山勉は首相官邸を後にしようとしていた。総理大臣という職を一年前に拝命してから、心休まる時がなく、今日も多くの課題を残しながらの帰宅となっていた。疲れを滲ませた表情で、用意された黒塗りの専用車へと足を進める。途中、記者数名が近寄ってきたがＳＰがそれを制した。それを横目で見つつ岡山は車に乗り込んだ。フラッシュがたかれる音が聞こえたが、気にすることなく運転手に自宅に向かうよう指示を出した。スーツ姿に白手袋をした運転手が軽く頷いて返す。溜息をつき少し眠ろうと目を閉じた。しかしその直後、自分を呼ぶ声が外から聞こえ目だけ向けた。マスコミ関係者かと一瞬思ったが、自分を呼んでいたのは官邸でよく顔を合わせる職員だった。それを確認し運転手に車を止めるよう促し、自らドアを開けた。少し遅れてＳＰ数名が周囲に展開する。

「総理。緊急事態です。至急お戻りください。」

小走りで岡山の元に着き、職員はそう耳打ちしてきた。そして片手程のメモ用紙を手渡してきた。岡山は頷きつつ、用紙に記された内容に目を通す。岡山の疲労した表情が一瞬にして険しくなった。

「至急、関係閣僚と関係者を官邸に。」

隣にいた秘書に短く伝えた。そして職員に誘導され官邸内に後戻りする。二〇〇二年に新築された首相官邸の、まだ真新しい正面玄関を足早に通り過ぎる。マスコミ関係者の存在を気にしつつ、

「機器の故障じゃないのか？」

職員に耳打ちで問い掛けた。

「故障ではないと東電と原子力規制庁は言っています。原因は不明です。」

早口でそう答え、予め開けられたエレベーターに岡山を誘導する。

「すみませんがここから先は最低限の人員で。」

職員は周りの人間に告げつつ、エレベーターの厚い扉を抑える。

「分かった。すまんが・・・」

それを聞き岡山はマニュアルに従い最低限の人員をエレベーターに乗せた。

ＳＰ等、関係者以外はエレベーターが閉まるまで扉の前に留まった。扉が完全に閉まったことを確認すると職員は、

「事態が発生したのは昨日の午前三時頃。機器の故障と判断したそうですが、故障の類は確認出来ず、今になって異常事態と官邸に報告が上がってきました。」

「昨日の午前三時。一日が経過するじゃないか！」

詳細を伝えてきた職員に思わずそう叱咤する。東電から報告を受けた原子力規制庁は機器の故障と断定。速やかな測定器の修理を東電に指示していた。故障だけなら官邸に報告する必要はないと誰しもが判断した結果だった。

「現在の状況は？」

エレベーターの階数表示が、デジタル表記でＢを示し始めるのを横目で見つつ、岡山は問い掛けた。

「福島第一原発周辺の空気は正常そのものです。現地に実験用のマウスを放ち、経過を見ていますが、放射能における異常は現在も見受けられないとのことです。」

その言葉に岡山の後ろにいた関係者ら数人の間でどよめきが起こった。