テーマ短編 四季に添えて
久方
春「眠り」【サラダの意図】
最近はろくに食事も食べられてないのにストレスだけが溜まっていく。体に良くないことはわかっていても、そうせざる負えない状況に立たされてしまっている。
ここのところ家には寝に帰っているだけで、食事もまともに作っていない。そして今日も、家に帰ってきてすぐに寝た。明日は土曜日のため、スーツにしわが付くことも気にせずにソファに横になる。
そのまま深い眠りに落ちていった。
目が覚めると、いつも通り朝昼兼用ご飯になるような時間だった。
テーブルには昨日の帰りにもらってあった野菜サラダ98円。主な野菜はピーマンとキャベツだ。やはり栄養素の中では体の調子を整えるビタミンは不可欠だ。だから毎週土曜にはサラダを食べるようにしている。
いつも通り一緒にもらってきた割りばしでサラダを口に入れた途端、異変は起こった。
俺はサラダを噴いたのだ。
それはあまりに突然の出来事で、しばし俺は呆然といていた。
今までそんなことはなかった。もうかれこれ1週間はサラダだけの生活を送っているが、特にアレルギーが出たこともないし、嫌いなわけでもない。
何かの間違いかもしれない。そう思い、噴いたものを回収して、テーブルを片付けたら、もう一口、口に含んだ。
ブフォッ
「……」
盛大な音を立ててサラダが再びまき散らされた。さっきはちゃぶ台内だったのに、今回はカーペットまで飛んでいる。ドレッシングとかかけてなくてよかった。そもそも買うお金がないんだが。
そんなことはどうでもいいのだ。今の問題はサラダだサラダ。一体何が起こっているというんだ。中国産が爆発でもしたというのだろうか?何が原因かは今ははっきりしないが、俺は今サラダが食べられない、ということだけはわかった。
何が起きたんだ。
眠る前までは余裕でキャベツもピーマンも食っていた。昨夜の飲み会はひたすらお通しのキャベツばかり食っていたのだ。食べられないはずはない。ならばピーマンか。
確かにピーマンなら納得できる。以前からピーマンの苦みは得意ではないと思っていたのだ。幼少期には皆が通る道だと思うが、俺は幸い親の調理がうまく、生で食べることがなかったため特に嫌悪を感じずに生きてきた。しかし一人暮らしをするようになり、食費を切り詰めた結果、この年になって初めて生でピーマンを食べた。あの時の苦みは忘れられない。だがそこは俺も大人だ。食べられないと吐き出すこともせず、ちゃんと食べている。
そう、嫌悪感があったとはいえ、俺はピーマンを食べることができるのだ。吐いたり、まして噴き出すことなど食べ始めてから今まで一度もなかった。だが今回噴き出してしまっている。
いったい何が原因なのか。俺の体はどうしてしまったのか。
不安に駆られた俺は、適当に普段着を身に着けて外へと向かった。
行先は病院である。
「特に異常はありませんねぇ」
頭にわずかに残る毛髪もか弱く真白で髭のほうがふさふさなしゃがれた声の爺さんが白衣を着て何でもないことのように言ってきた。
「そんなわけありません。もっとよく調べてください!」
前のめりになって話す俺とは対照的に、爺さんはちょっと引きながら、というか呆れ顔でいう。
「ですが、急にサラダを噴きだすようになったと言われましても、聞いたことありませんし……」
胡散臭いものを見る目で俺を見てくる爺さん。その様子に怒りが抑えられなかった。
「俺が嘘をついているっていうんですか!そんなわけない、大体何のためにサラダを噴きだすなんて嘘をつかなくちゃならないんだ」
立ち上がって叫んだ俺の声は廊下まで聞こえていたようで、辺りから喧騒が消えた。
その様子さえ俺を煩わしいものであると言われているようで、嫌悪感が募っていった。ただでさえ体の異常状態に参っているというのに、さらに気分が害され最悪だった。
原因不明だからと内科消化器科さらに外科精神科までたらい回しにされて挙句「異常なし」とは骨折り損のくたびれもうけもいいとこだ。ふざけるな、と俺の心は怒り狂っていた。
そこに舞い降りた天使の知らせは俺のスマホから鳴り響いた。
「もしもし、鈴木先輩ですか?」
「え、誰?」
聞こえてきたのはどこか聞き覚えのある女性の透き通った声。だが怒りに燃えている俺はそれに気が付かなかった。
「川瀬です。同じ部署で今年で2年目になります」
川瀬……聞き覚えのある名前だ。確か同じ部署といったか。同じ部署で川瀬……喉の奥に引っかかったように出かかっているのに出てこない。女で俺にかけてくるなんてそうそういないはずだが。
「ふーん、川瀬、ね。で、俺に何のよう?」
「先輩に、折り入って頼みたいことがありまして。つきましてはお食事なんかご一緒にいかがですか?」
「行くよ」
気がついたら返事をしていた。もう川瀬がだれかなんて微塵も考えていなかった。今この時の俺を支配していたのは「食事」の2文字。
実は朝サラダをまともに食べれずそれ以外に食料がなかった俺は、その足で病院に向かいちょうどいいからと大腸検査をされ、なんだかんだで夕方の18時を少し過ぎたあたりの今まで今日は全く食べていない。空腹の限界はゆうに3回は超えていた。だからこそ相手も関係なく、奢ってもらえそうな話で飯が食えるなら俺はどんなプライドも投げ打つことができる。タダ飯だ。それほどありがたいことはない。そのためなら後輩にたかるみっともない真似を甘んじて受け入れよう。そんな気分だった。
「鈴木先輩、どうぞ遠慮なく食べてください!」
目の前にはニコニコと天使の微笑み浮かべた今の女性社員で一番かわいいとされている川瀬が期待のまなざしで俺を見ている。
「いや、えっと……」
俺は冷や汗をかきながらテーブルの上にあるソレを見た。
「私お手製のピーマンの肉詰めと、キャベツの肉詰めです」
淀みなく答える態度に呆れを通り過ぎて畏敬の念すら覚える。可愛い女の子に笑顔を向けられたら普段ならだらしないくらい締まりのない顔になるだろうに今は引きつった笑いしか出てこない。
それもそのはず、テーブルの上に並んでいるのはパンパンに膨れたピーマンの上に黒いものがついている物体と、倍くらいの大きさになったキャベツの上に得体のしれない黒いものがついている物体なのだ。
待ち合わせでかわいい子だと知って上がったテンションを返していただきたい。
その手に握られた大きな荷物を見て手料理だと期待した気持ちを返していただきたい!
休日にわざわざ呼び出して手料理を振る舞うなんて、今夜はあわよくば……なんて思ったのは自業自得なのでとても虚しい!
「先輩、どうかお願いします!どうしてもピーマンとキャベツの企画がやりたいんです。そのためには試食していただいた感想が必要なんです!」
真剣な瞳で見つめられ、危うく絆されそうになるところだった。いけない。冷静になれ俺。俺は今野菜を食べたら噴き出すじゃないか。こんなかわいい女の子の顔が俺の唾液が混じった野菜まみれになるなんて……俺の馬鹿野郎、ちょっといいかもとか思ってんじゃねぇ。
というかそれ以前の問題があるだろ。なんだこのピーマンとキャベツは。どう考えてもおかしいだろ。特にキャベツ。
キャベツの肉詰めという料理は存在するのか?普通ロールキャベツだろ。巻くだろ?なんで詰めてんだよってか何に詰めたんだよ!
「……熱意は伝わった。で、それとこれとの関係は?」
何とか回避できないだろうかこの状況。確かに腹は減っているが、得体のしれないものを食うほど俺は腐っちゃいない。
「ピーマンとキャベツの良さをより多くの人に知ってもらおうという企画を考えていまして、やはり野菜の良さがわかるのは新鮮なもの、つまり生野菜!蒸したり焼いたり茹でるのは邪道なんです。ですから生野菜を使ったおいしいレシピを作って本でも料理教室でも開けないかと思いまして」
「これ全部生なのか……?」
俺の耳に入ってきたのはその部分だけだった。今の話を聞く限りこの野菜は生らしい。マジか多いわ。
「肉はちゃんとあぶりました!ですができるだけ野菜を味わってほしかったので、中に詰めたのはピーマンならピーマン、キャベツならキャベツでその蓋の役割を肉が担っているだけなので特に問題はないかと」
問題だらけだよ。なぜそんな真面目な顔でそんなことをさらしと言ってのけるだ。こいつはなんだ、頭にピーマンとキャベツしか入っていないのか?そもそもピーマンにピーマン詰めて肉で蓋するのは「ピーマンの肉詰め」ではないだろうよ!というか炙ったって言っているけど完全に炭にしか見えねぇよ。やりすぎだよ気づけよ!
言いたいことをぐっとこらえてなんとか声を絞り出す。
「……その企画は、もっとよく考えたほうがいいんじゃないかな」
「課長にもそういわれたんですけど、これ以上にピーマンとキャベツの良さを分かりやすく伝える方法が思い浮かばないんですよね」
「もっと親しみやすく調理するとか」
俺が「調理」と言った瞬間彼女はカッと目を見開ききつく睨んで
「調理も料理も外道です。そのままでいいのにわざわざ他の物を加えたりピーマンそのものの良さを殺してしまったりするんです!」
「あ、はい」
圧に押された俺は若干体を引いた。するとそれを見た川瀬はテーブルを割る勢いで叩き、前のめりになる。
「ですから、鈴木先輩は一度これを食べてみて下さい!一口食べればわかります。私の意見が理解できるようになりますから、さぁ、一口!」
そう言ってフォークでピーマンをぶっさして俺に向けてくる。
この状況は、いわゆるあーんというやつではないか!
本当に男のロマンを悉く踏みつぶしてくれるやつだな川瀬は。
俺が食べないのを不思議がって首かしげてんじゃねぇよ可愛いだろうが。ふざけやがって、やっぱりこんなかわいい子の前で噴きだすわけにはいかねぇじゃねぇか。
「実は俺、極度の野菜アレルギーで料理したのは勿論生野菜は一切受け付けないんだ」
「でも昨日の昼ご飯はサラダでしたよね?その前にはキャベツ一玉持ってきて昼とかおやつとか言って一日で食べてたこともあったじゃないですか」
心底不思議です、といった様子で言ってのけるこいつが憎らしい。俺の飯なんか誰も見てないと思って確かに最近気を抜いていた。安いという理由だけで野菜だけ買って飯にした日も少なくない。
だが昨日までの話だ。今は実際アレルギーのようなものだ。しかしあまりにも都合よすぎて疑われないか?だっておかしいだろ「野菜食べたら噴き出しちゃうんだよあっはっは」って誰が信じるんだよそんな話!
「あぁ、よく見てるな、確かにそれらの野菜は大丈夫なんだがピーマンはダメなんだ」
「そうなんですか、残念です……ではキャベツは思う存分食べてください!」
満面の笑みでピーマンに嚙り付きながら言われた。噛んだ断面にびっしりと並べられ綺麗に切りそろえられたピーマンが顔を出していた。黒い部分はなんとはがしていた!いや肉だろ一応。食べろよ!
「先輩?食べないんですか?お腹すいてますよね?」
そうだ。俺は今めちゃくちゃお腹がすいている。なんであっても食べたいくらいにはお腹がすいている。アイムベリーハングリーだ。
だがしかし、野菜となれば話は別である。今俺にとって野菜は、特にピーマンキャベツは最早食べ物とは言えない。ただの掃き出し装置である。意味がないのだ。今俺がキャベツを食べて得られるものは可愛い女の子に向かって手料理を吐き出した、という事実だけ。
そんなものは欲しくない。むしろ遠慮したい。
「だって先月末家から追い出されて愛しの猫にも会えなくて経済的にも精神的にも今がつらい時だって聞きましたよ?」
「誰から!?」
それまでの思考が一気に吹っ飛び現実に戻された感じがする。いやだ戻りたくない。
「だれから……というか会社で噂になってますよ?鈴木先輩有名人ですからね」
「はぁ?なんで」
思わず低めの声が出た。俺はいつも部署の窓際で皆から遠ざけられた存在だからだ。たまに飲みい誘ってくれるだけで。
「給料日一週間前からお昼が野菜に代わるじゃないですか。それを見てみんな財布のひもを締めるんですよ。それで夫婦仲が改善した方もいるとか」
「は……ってえ、俺の飯見られてたの!?」
「見られてた、というか……注目されてますよ?野菜になるまでは結構ちゃんとしたお弁当なんで女子が見てできそうなの覚えたり、野菜になると近くの安売りがわかるから買って帰ったり奥さんに連絡したりしてとても助かっていると評判です」
「そんな、あんな窓際なのに」
「それは一目置いているからですよ、それに……」
それまですらすらと俺にとっては衝撃の事実を言っていた川瀬が俺を見てわずかに言い淀み、目線で先を促すと
「それに、鈴木先輩は独り言が大きいので、端にいるんだと思いますよ?家庭のことも、今月初めにすごく言っていましたから」
「嘘、だろ?」
「残念ながら事実です」
俺はもうがっくりとうなだれるしかなかった。つまり俺の秘密は周知の事実だったわけで、それを知らずに今まで俺は……。
俺が肩を落としたタイミングで俺の腹が盛大に鳴った。
「……」
「……」
もう逃げられない、どうしよう。万策尽きた。こうなれば、最後の手段を使うしかない。
俺は己の体に喝を入れ、心を奮い立たせた。
そんな俺の鬼気迫る様子を察したのか川瀬が不思議そうな顔をする。
「先輩?」
「悪い川瀬、実は今朝から野菜食べたら噴きだしちゃうんだよ。あははは……」
もう川瀬の顔が見られなかった。きっと川瀬の料理が食べたくない、と言っているように聞こえただろう。若干間違いではないが俺が言ったことは事実であり真実だ。それ以上に尽くす言葉はないのだ。
もう諦めて裁きを待つしかない。
「なんだそうだったんですか!早く言ってくださいよ」
顔を上げるとちょっと申し訳なさそうな川瀬と目が合った。
「そういうことなら無理強いしたりしませんから、ね?」
ニコリとほほ笑んだ川瀬は、今度こそ正真正銘天使に見えた。
「信じてくれるのか?」
懇願するようにか細く震えた声になったが気にしない。ありがたい。
「もちろんです。たぶん悪魔のピーマンに当たったんでしょう。ここにちゃんと天使のキュウリがあります。これは作る過程で塩もみしてしまうので私はあまり好みませんから、全部食べてしまって構いませんよ。どうぞ」
そういって手渡されたのは一本まんまのきゅうりの漬物だった。きゅうりは今まで試してないからわからないが、この現状を打破できればなんにでも縋りたい気持ちだった。それが天使から差し出されたのなら尚更だ。
なんのためらいもなく俺はやっと食えそうな食材にありつけたっことに感謝し貪り食った。食べ終わった後、急な睡魔がやってきて、完全に眠りに落ちる直前、昨日のサラダは確か川瀬からもらったものだったな、と思い出したがすぐに眠りについたので再び思い出すことはなかった。
「先輩、鈴木先輩。眼覚めました?」
眠気眼で声のほうを向くと、川瀬がいた。
俺は、何をしてたんだ?
「悪い、どういう状況だ?」
「私が新商品の開発のために試作品を鈴木先輩に試してもらいたくて……でも私が結果をまとめているうちに鈴木さんはお休みになっていました。お疲れだったんですね。わざわざすみませんでした」
心底申し訳なさそうな顔をする川瀬に俺まで申し訳なくなって
「気にしなくていいから。寝た俺のほうが悪いしさ。それで、覚えてなくて悪いんだけど、成功したのか?」
「えぇ、良好でした!あ、先輩お疲れでしょうから、お野菜なんていかがです?」
そういってキャベツを差し出してくるのはよくわからないがそれを受け取ってちぎった瞬間、何か靄がかかったような感覚に陥った。
「ん?」
「どうぞ、お気になさらず、食べてください。大丈夫ですから」
「あぁ、腹減ってるし、頂くよ」
一口含んだ時、キャベツの甘みが広がり、とても美味しく感じた。
次の瞬間、今朝のことを思い出し、吐き出さなかった今のことを思い出す。
「治って、る?」
「はい。もう普通に食べられますよ」
「ありがとう……ありがとう川瀬!」
「いえ、私も新商品がいいものになりそうで良かったです」
「あぁ、そうだな。これからもよろしく!」
「はい、よろしくお願いします」
俺は隠し切れない笑顔を振りまきながら、家へと帰っていった。
「人気になるのは私だけでいいのよ。これでいつでも堕とせるわ」
川瀬も鈴木が去った後、こらえきれない笑い声を漏らしながら帰途についた。
終わり
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