【刊行記念】雪華後宮記 宮女試験とユーレイ公主

在原小与/富士見L文庫

書籍刊行記念SS


「風(フォン)、やっぱり止めようよ」


 衝立に隠れながら、誰もいないとわかっているのに、何度も自分の背後と広間を見渡した。

 長年使われていない調度品は白い布で覆われ周囲は埃っぽい。

 寒々しい空気に身震いしながら、隣にいる風の衣の袖を不安げにつかみ、また中庭へと視線を戻した。


 私達は今、ある噂を確かめるために、使われていない古い宮を訪れている。

 後宮の西奥にあるその宮は「南財宮」と言い、三代前の皇帝の寵愛を受けていた瀏妃(リウフェイ)が、自分の故郷の住居に似せて造らせた建物だ。


 南財宮は四角い造りで、大門をくぐると、すぐに中庭がある。

 彫刻がほどこされた石の欄版が四方を囲み、その中に芙蓉の赤い花が咲いていた。

 中庭が見渡せるようにと、広間の扉や窓ははめこまれていない。

 そのため、室内から見える赤い芙蓉の花は、今宵の月夜によく映え、誇らしげに存在を主張していた。

 白い芙蓉はよく見かけるが、赤い芙蓉は珍しい。


 美しいが、その芙蓉の花が、ふわりと揺れるたびに、寒々しい空気が流れてきて身震いする。

 

「……雪(シュエ)も幽霊に興味あるって言ってたよな?」

 落ちつかない様子の私に、風が苦笑する。

「興味があるとは言ってないわ。気になるって言ったの。でも、こんなに寂しい宮とは思わなかったから」

 強張った顔で風を見ると、風は困ったように私を見て、安心させるように頭を撫でてくれた。

 思いもよらなかった風の行動に驚き言葉が出てこない。


 色々あったとは言え、宮女と皇子。身分に差がありすぎる私達の関係は、今後どうなるかわからない。

 でも、風に触れられたせいで、顔が赤くなったのは悟られたくない。闇が隠してくれていることを強く願った。

「幽霊なんている訳ないだろ? 誰かが流した噂だ」

 発端は、宮女仲間の香涼(シャンリャン)から聞いた噂話だった。


 『南財宮には、月が見える時間に女性の幽霊が現れる。見事な簪が印象的な、その幽霊を見た者が次々と死んでいる』と。


 その話を聞いた時、咄嗟に思い浮かんだのが、私に纏わり付いている幽霊公主のリィリィの存在。

 でも、リィリィに確認をとると、心外だと言われ反対に怒られる始末。そして、後宮に幽霊は二体もいらないと、訳がわからないことを言われ、調べるようにと迫られた。

 最初は断ったが、「疑うなんて酷い!」と責められ、勢いに押されて頷いてしまった……。


 それで、今、風と一緒に南財宮で見張っている。

「本当に出るのかな。幽霊……?」

「時間になったらわかるだろう。しかし、兄上も面倒を押しつけてくれる」

 深くため息をつく風もまた、この南財宮の幽霊騒動を調べるようにと、第一皇子である元璋(イェンザン)様の命を受けていた。


 それに便乗して、私も一緒に付いてきたのだ。

「でも、風なら断れたんじゃないの? この話」

 やる気がなく、自分の静玉台から出てこない引きこもり皇子を演じていた風なら、今回の第一皇子からの命も、適当な言い訳をつけて断ることは出来たはずだ。

 なのに、なぜ受けたのか不思議でならない。


「ああ、理由をつけて断ることは出来たが、気になったんだ。幽霊の簪の話が」

 幽霊の簪……? 確かに、その幽霊は簪をつけているとは言っていたけど、どうして簪がそこまで気になるのだろう?

 意味がわからず風を見た。

「昔、母である皇后が生きていた時の話だ。皇帝陛下と皇后、それに貴妃である暁雨(シュウユイ)、三人が食事をしていた時、ある事件が起こった」

「ある事件?」

 宮女見習いだった私には、もちろん初めて聞く話で、なにがあったのかと風の次の言葉を待つ。


「俺も詳しくは知らないが、皇后と暁雨が言い争いになり、怒った暁雨が皇后の簪を池に投げ捨てたらしい。それも、皇帝陛下の目の前で」

 後宮で妃賓同士が揉めるのは聞いたことも見たこともあるが、まさかの陛下の目の前で繰り広げられるとは。


「その時、投げ捨てられた簪は、某国からの献上品で同じ簪は存在しない。それは、純黒の闇と称され、艶やかな黒い石が散りばめられた簪だと聞いた」

 ……それは、とても高価そうだ。値段などつけられない品物だろう。

 その場面を想像すると、私が怖くなる。

「そんなに貴重な品を捨てて、暁雨様は罰を受けなかったの?」

「ああ、なぜか罪は不問にされた。なにがあったか聞いても皇后は教えては下さらなかった。だから、気になるんだ……幽霊が身に付けている簪も純黒だと聞いたからな」


 なるほど。風は純黒の簪から、その幽霊が皇后様かも知れないと思ったんだ。


「でも、その幽霊が皇后様だとしても、縁も所縁もない南財宮に現れるの? 皇后様なら自分の宮か皇帝陛下の元へ行くんじゃない?」


 この南財宮の主人であった瀏妃は、皇后様の家とは血縁関係はなかったと思う。それとも、この南財宮と皇后様は関わりがあったのだろうか?

「そうなんだ。だから、皇后の幽霊とは思ってはいない。姉上も亡くなってはいるが、あの人は華やかな人だったから黒い簪は持っていなかったと思う。それに、幽霊になって出てくる姉上ではないからな」

 風の言葉に、目を閉じ天に祈りたくなる。

 まさか姉上は幽霊になって、いつも見ているなんて口が裂けても言えない……。


 ちょっと寂しそうに笑う風に心が痛むが、今回の幽霊騒動は、風の姉上であるリィリィではない。

 そのリィリィは、今夜は用事があるとかで私の傍にはいない。幽霊の用事がなにか気になるが、何処に行くのか聞く前に姿を消してしまった。

「それにしても、今日は満月ではないのに光が強い」

 風につられるように空を見上げる。

 淡い月の光が赤い芙蓉を照らし輝いているようにも見えた。そして、ぼんやりと人影が視界に入った。


 ……なに、あれ。白い、人? 人よね……男の人のように見えるけど。


 いつの間に来たのか、欄版の中に入り、芙蓉に手を伸ばし愛でている白い衣を来た男性は、黒い髪を結うこともせず、そのまま流している。

 その姿は、今にも消えてしまいそうなほど儚げに見えた。


 男性には滅多に使わないが、――美しい。

 その言葉がとてもよく似合う。


 でも、人とは思えない無機質な美しさが怖くなり、思わず風の腕に縋りついた。

「どうした……雪。何か……あれは――」

 私の怯えた様子に風も気がついたらしい。すると、しっとりとした女性の声が耳に届いた。


「――浩然(ハオラン)、綺麗に咲いているわ。今年もまた美しいわね」

 風に声を出すなと耳元で囁かれ大きく頷いた。衝立の影から、そっと中庭を伺う。

 そこには、私よりも随分と年上に見える、司衣庫(しいこ)の女官の衣を身に付けた女性が、あの白い男性と向かいあって話している所だった。

 幽霊ってこの人達のこととか? 幽霊の正体は、二人が逢瀬を楽しむために、宮に人を近づけないための嘘だったの?


 まさかの展開だ……これは後宮では許されない。後宮は皇帝陛下や皇子、許可を得た妃賓の家族以外は男子禁制。

 見つかればただではすまない。

 じっと二人を観察していると、女性は男性に微笑みながら、芙蓉を一輪手で折った。


「あの女性が幽霊の正体か? 確かに黒い櫛を見につけているようだが……。そこまで高価な品とは思えない。簪は期待外れだったようだな」

 淡々と話す風に疑問が沸く。


 あれ? 後宮に男性が居るのに風は何も言わないのかな? 幽霊の噂の真意を確かめるためだから目を瞑るとか?

 そう思っていたら、隠れていた衝立からいきなり風が動くと、中庭へと歩いて行った。


「――そこを動くな。逃げると司衣庫に罰を与える。なにが目的でこの宮に来た? 幽霊の噂と、どう関係がある? 答えよ」

 私達が姿を現すと、女性は驚き逃げようと身を翻すが、風の言葉に立ち止まり、項垂れるように跪く。

「……申し訳ございません」

「この宮は立ち入りを禁じている。そのことを知っているだろう?」

 私も急いで風の傍へと近寄った。


「はい。存じております。ですが、どうしてもこの芙蓉が見たかったのでございます。どうしても……」

 青ざめる女性は、縋りつくように芙蓉を見つめた。その女性の肩を抱くように、白い衣の男性も跪き頭を垂れる。

「報告はするが理由を聞こう。幽霊が出ると噂まで流して、なぜここへ来る?」


「……思い出でございます。芙蓉の思い出に縋りに来たのでございます。この南財宮は十年使われておりません。人と会うには都合のよい場所でございました」

 逃げられないと思ったのか、女性が観念したように話し出す。

 やはり、ここで待ち合わせをしていたようだ。その隣にいる男性と。

「後宮であるここでか。相手はどこの者だ?」

 風が深い溜め息を吐いた。


「……太医院にございます。私とその方は幼馴染で、結婚の約束をしておりました。もう少しで、私の務めも終わり、お暇を貰う約束でしたが叶いませんでした。その方が突然、姿を消したのです」

 私達ではなく芙蓉を愛おしそうに見つめる女性は、目に涙を浮かべている。

 そっか、白い衣は太医院のものだ。


 あれ、今、叶わなかったって言ったよね。話が変だ。じゃあ、隣にいるその男性は一体……。


 そう言えばと、あることに気が付いた。

 ――男性の影がない気がする。

 月の光に照らされ、女性は影が見えるが、男性は……ない。

 嫌な予感がして、すっと風の後ろに隠れた。


 風は女性に純黒の簪の話を始めた。

 二人が話し出すと、こっそりとまた白い男性を見る。すると、目が合い男性がにっこりと微笑む。

 生きている人間なら、見惚れるような美しさだけど、ぞくぞくと背筋が冷たくなるような悪寒に、思わず風に抱き付いた。


「――っ、どうしたんだよ、雪。幽霊じゃなくて人間だぞ」

 呆れたように私を見る風に「幽霊がいる」と言いたいが、恐怖が募り声にならない。

 しかも、風には、あの幽霊が見えないようだ。

 どうして私にしか見えないの! 幽霊はリィリィだけで十分なのに。

 

 このまま気絶したふりをしようと目を瞑ろうとした。すると、その白い幽霊が芙蓉の一部を指差したあと、スッと姿を消した。


 ――本気で気絶しそうだった。


「あ、あの芙蓉……」

 芙蓉を指さし、幽霊の存在を伝えようとすると頑張るが、口が上手く回らない。


 風に抱きついたままでいると、何を勘違いしたのか、女性が「あ!」と短く叫びとんでもないことを口にする。

「気がつかなくて申し訳ございません。お二人もここで約束をされていたのですね。誰にも言わないとお約束致します」

 深々と頭を下げた女性は大きな勘違いをしているようで、急いで出て行こうとした。

 

 どうやら私達も逢瀬を楽しんでいると思ったらしい。


 その言葉に風の口調が強くなる。

「ああ、今後ここへの立ち入りは禁止する……。と、言っても、お前は二度と後宮にはいられないがな」


 えっ?……。

 どう言う意味だろうと不思議に思っていると、風が抱き付いている私を引き離し、素早い動きで、逃げ出そうとした女の動きを封じた。


 なに、これ? どうなってるの……?


 茫然としていると、風が声を上げると、黒い装束姿の男達が現れた。

 そして、風が捕えていた女性を引きずるように連れて行く。

「そこの芙蓉を切れ。下に……ケシが埋まっているはずだ。こんな場所で栽培するとは盲点だった。すぐに女を調べろ」

 風に言われ、残った男達が芙蓉を剣で薙ぎ払い始めた。

 

 ……何がどうなってるの?


 尻餅をついて茫然と見守っていると、風が私に近づき、動けないでいる私に手を伸ばす。


「大丈夫か? いつ、気が付いたんだ? あの女が後宮でケシを栽培していると。芙蓉の下にケシがあるとどうやってわかったんだ? 雪にしては冴えていた」

「ケシって……。あの幻覚を起こすって言うあのケシ?」

 座り込んでいた私を抱き起こしてくれた風は不思議な顔をした。


「気づいてなかったのか?……そうか」

 苦笑する風は、あの女性が来ることを最初からわかっていたらしい。知らなかったのは私だけだったようだ。

「教えてよ。あの女性はなんなの? 幽霊の噂って関係なかったの?」

「あの女はケシの栽培人だ。ここ数か月、後宮と宮中で、急に暴れる者や幻覚を見る者が増えて調べていたんだ。そして、一カ月前に、この宮の取り壊しが決まった。そしたら急に幽霊の噂が広がった。……どう考えても不自然だろ?」


 ……知らなかった。怠けているように見えて、風はちゃんと働いていたんだ。

 感心していると、風が話を続ける。


「どうして、ここだと思ったの?」

「長年使われていなくて、四方を囲まれ人目につかなく、栽培しやすい中庭がある。それで……」

風が私に説明をしていると、黒い装束の男が一人近寄って来て風に耳打ちをする。


 ……いでたちから私兵みたいだけど、後宮にまで入れる私兵? 風の私兵なのかな?

 首を捻っていると、風から「ここにいろ」と指示される。

 どうしたのかと思っていたら、芙蓉が全部、無残にも切られていた。その中にはケシも含まれている。


 だが、風達は、さらに土を掘り起こし沈黙した。

 何かあるのかと近づくと、風が慌てて止めに入る。

 「見るな」と言われ、風が進路を塞ぐように目の前に立ちはだかったが、見てしまった。

 土の中に埋まっている白い服を――。


「あれって……」

 青い顔で呟けば、風は頷いた。

「あの女の話は、真実も含まれているのかも知れないな。太医院で、一人見習いがいなくなったそうだ。五年前に――」


 えっ。じゃあ、あの男性の幽霊は本物? 芙蓉を指さしたのは自分を見つけて欲しかったから? でも、女性に寄り添うその姿は憎んでいないように見えた。

 とても穏やかで、女性を見る目は慈愛に満ちていたのに。

「好きだったのかな……」

 ボソリと呟くと、風には、よく聞こえなかったようで聞き返されたが「なんでもない」と首をふった。


「でも、どうして、芙蓉の下に眠っているってわかったの?」

「芙蓉が赤すぎる。ここまで赤い芙蓉なんて見たことないだろう? 最初見た時から不自然だった。それに、長く使われていないわりに欄版も手入れされている」

 確かに、欄版の中には水がうっすらと入れられ配管も整備されている。全然気がつかなかった。


 後味が悪い展開に落ち込んでいると賑やかな声が聞こえた。

『どうしたの? 雪。幽霊にでもあったの?』

 ふと声の主を見ると、宙に浮いているリィリィの姿。

 用事があると言っていたリィリィが、なんでここにいるのかと思っていたら、生前、リィリィが好きだった江(ジャン)の姿が見えた。


 ……リィリィの用事って、もしかして江を見に行くことなの? そういえば、いつも夜にいなくなることが多い気がする。

 まさか、江も幽霊に毎日見られているとは思わないだろう。

「雪、帰るぞ」

 リィリィと話していると、江と話していた風に呼ばれた。


 その時、足元に、ふわりと白い芙蓉が舞い落ちてきた。それを拾い上げ、迷った末に欄版の中へとそっと置く。

 すると、「ありがとう」と男性の声が聞こえた気がした。

 

 何とも言えない気持ちになっていると、風が手を伸ばしてくる。その手をとると一緒に歩き出す。



 来世は、二人が道を違えずに一緒の道を歩めるようにと祈りを込めて――。


 

 

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