第24話拗れた糸の不協和音④

「はい?」

「舞台観てて、気になることねーか?」


 睦子は面食らったように目を丸くする。


「いえ、僕はただただスゴいなって思うだけですけど……。迅くんは、何か気にかかっている事があるんですか?」

「……」


 ほんの些細な、微かな『違和感』だ。

 睦子の言う通り、舞台は十分精度が高く、現状、最後の仕上げに取り掛かっている。

 沈黙を肯定ととったのだろう。不安そうな眼で「なら、皆さんに伝えたほうが……」と紡ぐ睦子に、定霜は舞台を眺めたまま、


「……いや。俺の勘違いで、余計な負荷をかけたくねえ」


 まるで自身に言い聞かせるような声色に、睦子はただ、何も言えずに視線を落とした。


***


 悪戦苦闘しながら突入した六月の後半。この日はとうとう、本番と同じ様に頭からノンストップの通し稽古となる。

 衣装とウィッグを身に付け、やっと手に馴染んできた武具を拠り所のように握りしめた。

 舞台上に輪を描くようにして集まっているのは、この部に名を連ねる全員だ。勿論、顧問の武舘も含んでいる。


「何度も言ってるけど、しっかり集中して、怪我のないようにな!」

『はーい』


 それぞれ首肯すると、部員達の眼がこのめに集まった。

 なんだろう、と首を傾げると、隣の紅咲に「なにキョトンとしてんの」とつつかれた。濃染が呆れ顔で、メガネを押し上げる。


「部長はお前だろう。こういう時の『一言』は、部長の役目だ」


 濃染兄弟が引き継ぐ。


「そーゆーコト」

「だからこのめっちが代表してー」

『意気込みをどうぞ』


 なるほどすっかり忘れていた。「じゃ、じゃあ……」と背を正したこのめはコホンと咳払いをひとつ。と、「ザックリでいいのよ! ザックリで!」と雛嘉に突っ込まれてしまった。

 微笑ましげに見守る杪谷の双眸に羞恥が登る。隣から聞こえた嘆息は、吹夜のものだ。

 このめは気を取り直して、


「えと、初めての通し稽古です。ミスは止めずに、本番だと思って上手く凌いでください。あと、シゲちゃん先生も言ってたけど、怪我には注意してください」

「かってぇよ」

「ゴメン、こーゆーの慣れてないから……」


 眉間に皺を刻む定霜は、このめの視線を受けると「で?」と先を促す。


「で?」

「『二.五次元舞台愛好部』、だとなげぇな」

「『にごあい』でいいんじゃないか?」吹夜が答える。

「あーまあ、そんなトコか」

「え? え? なんの話し?」


 何やら進んでいく内容が見えずに尋ねたこのめに、


「なにって、円陣の掛け声だよ。ウチの部の名前そのまんまじゃ、ぜってぇ噛むだろ」


 当然のように言われ、このめは思わず「円陣!? やるの!?」と訊き返してしまった。


「アラ、いいじゃない。やりましょーよ」


 促す雛嘉に、杪谷が頷く。


「うん、僕も賛成。合いの手は?」

「舞台ですし、こう、手を上下して『かい・まく!』とかどうですか?」

「さすがっス凛詠サン! そうしましょうそれしかないっス!」

「いくぞー! って感じで、いいですね!」


 嬉しげに睦子が手を打つと、吹夜が「んじゃ決定だな」と伏せた手を円陣の中に伸ばた。


『ハイ、皆てえー出してー』


 同じく手を差し出した文寛兄弟の言葉に倣うように、どんどん増えていく掌。


「お、先生もか?」

『当然。はやくはやくー』

「ほら、壮も」

「ったく」


 隣と肩が触れ合う程に押し寄った輪の中に、十本の腕が伸びる。


「このめ」


 吹夜に促され、このめは込み上げる熱い衝動に耐えながら、もう一本を差し出した。

 まるで、向日葵の花弁のようだ。


「……じゃあ、通し稽古。張り切っていきましょう」


 すう、と息を吸い込んで、


「にごあいっ!」

『かい・まくっ!!』


 高らかに天へと振り上げられた腕を通り抜け、眩しい白は笑顔を照らした。

 が。


「あ、このめくん。迅くんはビデオカメラがあるので、ストップウォッチは僕が持ちます」

「わかった。よろしくね、瑞樹」

「はい」


 睦子は舞台上からそっと視線を流す。

 客席中央へと上がっていく定霜の横顔は、覚悟を決めたかのような固さが覆っていた。


***


 準備や挨拶で費やす時間を考慮して、演目は四十分から四十五分の計算だ。

 演者全員で頭を下げ舞台袖にはけると、流れる音楽が一際大きく終了を告げ、余韻を残して消えていった。落とされた照明。


「っ、瑞樹! どう!?」

「四十三分五十秒です! このめくん!」


 ストップウォッチを手にした睦子が、座席から立ち上がって叫ぶ。


「ひあー、ギリギリっ!」

「まあ、悪くないんじゃない? まだ本番までもう少しあるし、慣れれば安定するでしょ」


 崩れるようにして座り込んだこのめ横に倒れ込みながら、紅咲がポンと肩を叩く。額には大粒の汗。舞台袖から中央へと移動し、同じく座り込む他の演者陣も同様だ。

 走り込みで体力をつけていたつもりだが、舞台上での消耗は比ではない。実際の舞台はこの倍以上あるのかと思うと、演者のスタミナにただただ感服するのみだ。


 それにしても。

 肩で息を繰り返しながら、このめは違和感に視線を客席に転じた。

 普段の定霜なら終わった瞬間「凛詠サン! お疲れ様っス!」とすっ飛んできて、タオルと水を差し出しそうなものだが、今日はどうにも大人しい。

 ハンカチで目元を抑える武舘に遠慮しているのだろうか。コントロールルームから出てきた文寛兄弟が、


「号泣?」

「号泣だねー」

『倒れるよかいいけどー』


 と嘆息している。

 そして違和感はもうひとつ。

 吹夜も、何だが『違う』。


 なにが、と問われると説明するのは難しいのだが、それでもこのめには『違い』を感じていた。例えばこうして、空白が出来た時。座り込む吹夜の位置はこのめ達から遠い。この違和感は数日前から続いている。

 気にしすぎだろうか。このめの疑問は音にならない。


(それより、今はこっちか)


 やっとのことで、荒い息も整ってきた。

 このめが立ち上がり「シゲちゃん先生」と呼ぶと、文寛兄弟に遊ばれていた武舘が視線を戻した。


「……どうでした?」


 緊張の面持ちで尋ねたこのめの声に、ピンと空気が張り詰める。


「ああそうか、悪い。いや、本当……二人から始まってここまできたかと思うと、感動しちゃってな。お前達のパワーに圧倒されるよ。集約した皆の熱量がまとめて胸に響くような、いい舞台だ。ただ……」


 武舘の顔が曇る。


「熱意が伝わってくるからこそ、定霜が言っていた『違和感』が目立つのも事実だ」

「え?」


 部員の視線が定霜に集中した。

 当然だ。違和感? これまで何度も指導を飛ばしていた定霜は、『違和感』なんて告げてこなかった。

 うつむく定霜が顔を上げ、苦悶の表情でこのめを捉える。その顔が尚更、このめの胸中に不安をもたらした。


「っ、迅?」


 なんだろう、息が苦しい。

 何とか紡いだ名前に、定霜が重々しい口を開く。


「……俺の勘違いなら、変にかき回したくねえって思ったんだ」

「どういうコト、迅」


 ふらりと紅咲が立ち上がった。


「なに、それ。お前、気付いときながら、ずっと黙って見てたの? 誰にも……僕にも言わずに」

「ちょっ、落ち着いて、凛詠」

「答えなよ、迅」

「……スミマセン、凛詠サン」


 苦々しく視線を落とした肯定に、グッと拳が握られる。

 奥歯を噛んだ怒りの気配に、このめは瞬間、紅咲が舞台を飛び降りていくのではないかと焦燥にかられた。


「り――」


 このめの制止よりも早く、


「『生きて』、ねぇんだ」


 絞り出された定霜の声が、耳奥に突き刺さる。


「あの舞台の映像を観た時、よくわかんねー俺でも、『ああ、生きてる』って思ったんだ。けど、オマエ達の演技からは、それが感じられない」


 静まり返った驚愕を引き裂き、悲痛な叫びが刃となる。


「っ、『モノマネ』なんだよ! オマエ達が演じてるのは、『キャラ』じゃねえ。その『キャラ』を演じてる役者を、なぞってるだけだ……!」

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