第20話先輩という存在④
「だーいじょーぶ! ちゃんと整えてあげるから!」
自信の漂う物言いの通り、雛嘉は手際よく切り刻んでいく。
プロジェクターに映る姿を細かく確認し、定霜を呼びつけ相談して、睦子に頼んで漫画を開き、相談しては切っていく。
形が決まれば、スプレーで固定して完成だ。
「まだ微調整は必要でしょうけど、一旦はこんなトコかしら。ハイ次、啓ちゃん! いらっしゃい!」
外したケープの髪を下に落として、雛嘉が招く。
このめが窓に映る自身の姿を暫く唖然と眺め、次いで吹夜が作り上げられていく様をぼんやりと眺めているうちに、朱斗の複雑に跳ねる白髪も出来上がった。
「俺って案外白もイケるんだな」
この幼馴染は、こんな時でも自信家だ。
「どうせならこの状態で、衣装着てみるか」
吹夜の提案でこのめ達は、再びいそいそと着替えを始めた。この頭で体操服は脱げないので、その上から重ねる。
着替え終わる頃には杪谷も出来上がっていて、長い青髪を首横に纏めた姿で嬉しそうにやって来た。
「髪、重くないすか?」
「重いね、変な感じ。そうそう、みてコレ。取り外し出来るんだよ」
指差す先をよく見れば、垂れる長髪はヘアクリップ式で上手く固定してある。
こんな構造になっていたのか。
「まだ取らないでよ、成映!」
紅咲をつくる雛嘉に叫ばれ、杪谷は「うん」と頷く。それからこのめ達に向き直り、
「いいね、僕も着替えよ」
「あ、手伝います」
「髪、引っ掛けないようにしてください」
「ゴメンね、ありがと」
普段は透き通った水晶のような雰囲気を纏う杪谷だが、濃い髪色と着付けた衣装の青と黒で、普段には無い剣呑さがどことなく漂う。ただ表情はいつも通り穏やかなままなので、海底で踊る水面を映した陽光のようだ。
吹夜は反対に白を多分に纏っても、常の鋭利さを保ったままなので妙な威圧感がある。
これが演技となれば共に豹変するのだから、『演じる』とは奥が深い。
長い金髪を結上げ簪を固定しなくてはならない沙羅の髪は、造りが複雑で随分よ苦戦していた。
何とか仕上がった頃、製作者三人は実に満足気だったが、紅咲はじっと座っているのに疲れたようで、ふらついた足取りでこのめ達の元へと向かってきた。
「だ、大丈夫? 凛詠」
「お尻痛い……腰痛い……。……僕も着替える」
全体の仕上がりが気になるのは同じらしい。このめと吹夜、杪谷も参戦して紅咲を着替えさせていく。
後方からは、「なんで俺なんだよ!」「じっとなさい! ほらネット!」「お願いします迅くんっ」と騒ぐ声が聞こえる。どうやら雛嘉の代わりに、定霜が獏のウィッグを被っているようだ。緑の塊が頭に乗っている。
教室の扉が開いたのは、沙羅の装飾に四苦八苦している最中だった。
「……なんだコレは」
『わー異世界』
怪訝な表情の濃染の後ろから、文寛兄弟がヒョコリと顔を出した。
「壮」
「琉斗先輩、琉生先輩も! 放送部は終わったんですか?」
「ああ、如月か。今日はミーティングだけだったからな」
「衣装合わせ?」
「いいなー、たのしそー」
『俺達も着たいー』
「お前達は舞台には上がらないだろうが。それと如月、明日はお前達の練習に顔出す。SEの確認をしたい」
SE、とは音響効果の事だ。
なんだかいよいよ本格的になってきたぞと、このめは頷きながらゴクリと喉を鳴らした。
間もなく訪れる六月からは、公会堂の大ホールを使用した練習が始まる。
文化祭で大ホールを使用した催しを申請し、許可された団体で日程を振り分けて使用するのだ。
そしてその振り分けは、まさしく今行われている。会議には武舘が出席中だ。
(日数が限られてるから、ちゃんとプラン立てないと)
啓、と言いかけて、こんめはハッと口を噤んだ。
今までの癖で、流れのように相談しようとしてしまったが、何でもかんでもこの幼馴染に頼るのは止めようと決めたのだった。
「どうした?」
「えっ? あ、シゲちゃん先生、遅いね。そろそろ終わってもいいと思うんだけど」
「……そうだな」
幸い、中途半端に向けてた視線も疑われずにすんだようだ。
このめは外れた視線にコッソリと安堵の息をついて、少しの逡巡を挟んでから、杪谷の側に寄った。
「成映先輩。大ホールでの練習予定立てたら、確認をお願いしたいんですけど……」
「僕に? うん、いいよ。大ホールなら音響入れるだろうから、壮にも加わってもらったほうがいいね」
「俺がなんだ?」
「ほら、もうすぐ大ホールでの練習始まるでしょ? だから壮達の予定も――」
杪谷と共に濃染の了承を取ったこのめは、湧き出た達成感で微かな靄を打ち消した。
***
「ちょっと飲み物買ってくる。啓、付き合って」
雛嘉のウィッグも完成し、乱れた自身の髪を気にしながらも濃染や文寛兄弟と音響照明の確認をしていた定霜は、教室を出た紅咲を「お気をつけて!」と見送った。
吹夜が一緒ならば問題ないと判断したのだろうか。
日中、授業時間以外は従者のように側に控えているが、気づけば部活中ならスンナリと離れるようになっていた。
それは単に『役割』が違うというのもあるが、このめ達に対する意識の変化が主だろう。ガッチリと引いた線の内側に入れたのだ。
信頼。いい事だ。
廊下を進み、階段前に置かれた自動販売機にコインを入れる。
指名した際に「俺か」と呟きつつも付いて来た吹夜は、手持ち無沙汰にポケットに指をかけ、窓の外を眺めていた。
ガコン、と響かせ落ちてきたお気に入りのレモンティー缶を取り出しながら、紅咲はそっと口を開いた。
「あのさ、このめと何かあった?」
吹夜は少しだけ驚いたような眼を向けたが、直ぐに「いや、いつも通りだな」と平坦に言う。
当事者がそう言うのなら、ただの杞憂だったのだろう。だが紅咲はいまいち納得出来ずに、切り口を変えた。
「……最近のこのめ、なんか啓に余所余所しいっていうか、我慢してるっていうか、変じゃない?」
「……一応『部長』だかんな。人数も増えたし、文化祭も近づいて来てるし、肩張ってんだろ」
「それはっ、わかるけど。……けど、成映先輩達には懐いてんじゃん」
「懐くって、犬か」
苦笑気味に嘆息した吹夜は紅咲の手から缶を奪うと、勝手にプルを開け、一口を流し込む。
「あっま」
「人の奪って勝手に飲んどいて、それはナイでしょ」
眉間に皺を寄せ返された缶を受取り、紅咲も喉に通した。
慣れた味。のはずなのに、舌上に残った渋さがザラつく。
「……犬ってより、ハムスターっぽくない? 必死にカラカラ回してる感じ」
目標がドコなのかこちらからは分からないが、自身の納得いくまで走り続ける様が似ている。
想像したのか、吹夜は小さく吹き出した。
「折角ひまわりの種をやっても、直ぐに食わねーで大事に隠して、結局忘れるとかな」
「そうそう。なんかそーゆー、ちょっとぬけてるトコも似てる」
大事なモノを大事にしようと意気込むのは構わないが、詰めが甘い。だがそんな『うっかり』も、嫌いではない。
クツクツと笑った吹夜は、静かに視線を流した。届く教室の明かりを拾って、黒い瞳に白が瞬く。
「……俺達にとって、『先輩』って存在が身近になるのは初めてだからな。優しい人達で良かったよ。俺だって、憧れるし」
「啓……」
「……別に、好きにさせといたらいいんじゃないか」
突き放すような言葉とは裏腹に、声には寂しさが滲んでいる。
ストン、と。まるで自身の胸中を代弁されたかのような納得感に、紅咲は虚をつかれた。
このめにだろうか、それとも定霜に。いや、考えるだけ無駄か。
結果として、現状に『寂しさ』を感じている。
それとほんの少しだけ、八つ当たりのような怒りも。
だからといって「もっと頼れ」だの、ましてや「寂しい」だなんて、面と向かって告げるような柄でもない。
それはきっと、吹夜もだ。
「……そうだね」
ままならない歯がゆさを、レモンティーと共に押し込む。薄暗い廊下は気持ちを引っ張るから駄目だ。
薄く笑い肩を竦めた吹夜に並んで、紅咲は足早に教室へと歩を進めた。
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