第19話先輩という存在③

 これだけ意気込みが揃えば演じる場面はひとつだ。このめはノートパソコンを操作し、流れる映像を五人でのアクションシーンに合わせ、再生した。この舞台の、一番の見せ場だ。


 皆で覗き込み確認し、マスキングテープで縁取った仮想舞台で、ひとつずつそれぞれの動きを合わせていく。

 誰がどこに立ち、どう身体を動かし武器を交え、どんな台詞を告げるのか。繰り返し重ね大方が決まれば口頭でテンポを取り、徐々に演じる動きを早めていく。

 不都合があれば都度修正。一場面を流したら、また修正。


「このめくん、ここ、もっと踏み込んできていいよ。啓くんも、もっと被っていいから」

「はい!」

「あざす」

「眞弥先輩、この『衝突、パーン』の部分、弾いた扇の腕をこう右に振り抜きたいんで、肩左に寄ってもらってもいいですか」

「ソコね……こんな感じかしら?」


 舞台での動きは派手だが、やはり地道の積み重ねだ。

 梅雨に近づき、気温の上がってきた外気に汗を滲ませながら、このめ達はただひたすら演技とアクションを重ねた。


***


 教室を根城にしていた睦子に集合を言い渡されたのは、音楽をつけての本格的な演技練習となってきた頃だった。


「すみませんが、暫く廊下で待っていて貰えますか?」


 どこか興奮気味の睦子はいつもよりも圧がある。言われるまま素直に廊下で立っているのは、このめを初めとする演者陣だ。

 定霜は「絶対に覗くなよ」とドスを効かせ、睦子を手伝うべく教室の中である。

 ドアからも距離を取り、手持ち無沙汰に待つ。壁の向こうからはガタゴトと無機質的な音が届いてくる。


「お待たせしました」

「いいぜ」


 くっと顎をしゃくった定霜の前を通り、このめを先頭に足を踏み入れた。


「っ、コレ……!」


 机を寄せてつくられた台座の上。白い詰め襟と袖の覗く紺の着物には、舞い散る桜模様が描かれている。腰元から合わせるように置かれた灰色の袴はストライプ柄。その足元には焦げ茶のショートブーツが鎮座していた。


 このめの演じる、翔の衣装。

 隣には淡い水色のグラデーションで染められた、金糸柄の白い着物が並んでいる。吹夜の演じる、朱斗の衣装だ。


 更に隣には、赤地に鮮やかな数色で花柄の描かれた着物と帯。次いで青地に黒文様の着物と、深緑の着物の裾をたくし上げ、下にズボンを重ねた衣装が並んでいる。

 それぞれの足元には、下駄を重ねたようにデザインされた足袋。沙羅、碧寿、獏。


「衣装、なんとか形になりました。皆さんからの要望も、出来る限り取り入れたつもりです。あとは、実際に着ていただいて、まだ改善出来る所を直していけたらと思っていま――」

「ありがとう瑞樹ーっ!」

「わっ!」


 感動のまま抱きついたこのめの衝撃と重みに瑞樹がよろけ、


「ちょっとこのめ!」

「っぶねーだろ!」


 紅咲と定霜がその身体を支えた。

 吹夜は呆れ顔でこのめを瑞樹から引き剥がす。


「お前のその後先考えず飛びつく癖、なんとかならねーのか?」

「ご、ごめん、ついテンション上がっちゃって。大丈夫、瑞樹?」

「はい。凛詠さん、迅くん、お手数おかけしました」

「ったく、いい加減このめの奇行も読めるようになってきたぜ」

「慣れってコワイねー」

「あ、あはは」


 頬を掻いて誤魔化したこのめの背中側からは、「わあ、スゴいね」「随分しっかりしてるじゃない」と感嘆の声が聞こえる。


「で、でさっ!」


 しきり直したこのめに、視線が集まる。


「コレって、もしかしてもう着ていいの?」

「はい、是非。着替えのお手伝いしますので、手が必要な方は遠慮なく声かけてください」

「凛詠サン! お手伝いします!」

「うん、よろしく」


 各々自身の衣装を手に取り、その造りを興味深く観察しては、体操服を脱いで袖を通す。

 あの日このめが抱えて運んだ布も、見違える程に立派な衣装へと変貌していた。


 桜舞う着物を手にジンと痺れる感動に浸っていると、「いつまでにらめっこしてんだ」と吹夜に急かされる。

 練習着の浴衣で慣れたのか、着物を羽織り帯を巻きつける吹夜の手は躊躇がない。

 このめの衣装も難しい造りでは無いため、睦子には杪谷と雛嘉のサポートに専念してもらい一人で着替えを終わらせた。

 部分部分のネジレや皺は、先に着替え終わっていた吹夜が直してくれた。


 一番苦戦していたのは紅咲だ。

 派手な衣装もそうだが、装飾も多い。アクションを意識して所々縫い付けてあるようだが、最後の留めは着用後に行う仕様になっている。

 だがそこはさすが定霜というべきか、睦子と共に衣装に携わっていただけあって、テキパキと紅咲の周囲を動いて完成させていた。


 着替えの終わった全員が並ぶと、教室内が一気に華やぐ。

 現実には存在しない非日常の装い、という高揚感もそうだが、何よりそれを纏う演者陣が衣装に負けていない。

 相乗効果。自分はせめて、『馬子にも衣装』の枠に入れればいいなと願いながら、このめは着付けを終えた睦子の側に寄った。


「なんか、圧観だね。本当にお疲れ様、瑞樹」

「ありがとうございます。けど、まだ終わりじゃないですよ。武器も残ってますし、衣装も、言うなればこれからが本番ですから。演技の妨げになっては、あの子達も不本意です」


 輪をつくり、それぞれの姿を品評する部員を眺めながら、睦子が微笑む。

 あの子、と称す辺りに睦子の込めた心がチラつく。慈愛に瞳を細めたその顔面には疲労も滲んでいるが、意気込みの方が濃い。

 大事に着よう。

 ふと、雛嘉が振り返った。


「ねぇ、瑞樹ちゃん。ウィッグはまだ準備中かしら?」


 途端に睦子の顔が曇る。


「そのことなんですが……ウィッグ自体は手元にあるんですけど、僕、髪を切るってしたことないんです。もうちょっと勉強してから挑もうと思ってますので、すみませんが、もう暫く待って頂けますか?」

「アラ、そーゆー話しなら、アタシがやってあげるワよ?」


 腰に手をあて告げる雛嘉に、「え?」という声が重なる。

 杪谷だけはニコニコとして、


「眞弥は髪のセットとか、得意だから。僕もたまに切ってもらうし」

「ちょ、そんな特技あんのかよ!?」

「そーよお。なんならアンタの髪も切ってあげるワよ? 迅ちゃん。その中途半端に伸びた毛先、ずーっと切ってやりたくてウズウズしてたんだから」

「こ! れは! この長さが気に入ってて!」

「ま、今はアンタの髪よりウィッグね。ホラ、瑞樹ちゃん、出した出した」

「は、ハイ!」


 パタパタと後方に駆けた睦子は、机上に置いていたダンボールを一箱抱えてくる。

 下ろされた中には長さの違うカラフルな髪が、それぞれ透明な袋の中に縦長に収められていた。

 まるで巨大な毛虫だ。


「それぞれキャラの長さに近いものを選んでます」

「ならやりやすいワね。スプレーはある? 髪固めるの」

「はい。……コレですね。動いても乱れないように固めるには専用のモノがいいとネットで見たので、評判が良さそうなのを選んだんですが……」

「花丸よお。さ、チャチャっとやっちゃいましょうか! ……て、これじゃ折角の衣装が毛ダルマになっちゃワね。全員脱ぎなさい」

「ハア!? もう脱ぐのかよ!」

「迅、うるさい。さっさと手伝う」

「サーセン凛詠サン! 了解っス!」


 睦子が慌てたように「あ、ケープありますよ」と付け足したが、「こんなに綺麗につくってあるんだもの、変に汚したくないワ」と雛嘉に却下されてしまった。

 このめ達にも異論はない。再びジャージ姿に戻り、ヘアセット大会が始まった。


 一番に指名されたのはこのめだ。

 理由は、翔の髪が誰よりも単純で、早く出来上がりそうだから。


 椅子に座るこのめを囲むようにして、初めて触れるウィッグネットの付け方を指導される。

 プロジェクターで投影したスクリーンには翔を演じた役者のアップシーンが一時停止で映り、定霜の手にはDVDのパンフレット、睦子の側には、このめの持ち込んでいた漫画がスタンバイ中だ。


 首にケープを巻き、地毛を纏めたウィッグネットをヘアピンで頭頂部に固定され、その上から黒髪の短髪が被せられる。

 ボサボサに乱れるそれも専用のクシでとかれると収まってきたが、机上に置かれた鏡に映る見慣れない自身の顔に、このめは思わず「うわ……」と漏らした。

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