第一話 鳩宮さんのいないハマスタ

『本日予定しておりましたセリーグクライマックスシリーズファーストステージ・横浜ベイスターズvs阪神タイガース第三戦は雨の為、中止となりましたー』


 横浜スタジアム、通称ハマスタに何度も繰り返されるアナウンス。

 そして


「このまま勝ち抜けなんて許さへんぞー」


「明日は絶対試合してもらうからなー」


「そや! 阪神園芸呼べ、阪神園芸!」


 レフトスタンドに集まった阪神ファンからの怒声もまた幾度となく繰り返されていた。




「……と言われても、明日も絶対雨なんだよなぁ」


 そんな様子を球場のVIPルームで見ていた俺は、誰に言うわけでもなく呟く。

 傍らのテーブルにはノートパソコン。

 その画面に俺がシミュレートした二十四時間後の天気図が映し出されていた。


 俺は日ノ本太陽ひのもと・あぽろん。29歳。独身。

 仕事はイベント気象予報士をしている。


 え、イベント気象予報士って何なんだ、って?

 そうだな、簡単に説明すれば、野外のスポーツやライブなど様々なイベントに纏わる極地的な天候予測を仕事とする者、ってところか。

 天気を予測し、開催が可能かどうかを見極める……その判断次第で選手や観客、さらには勝負の流れにも影響を及ぼすのだから、かなり重要な仕事だ。

 

 まぁ、それだけにやり甲斐がある仕事だけどな!


「さて、明日の試合中止に向けて――」


「おい、アポロン。出かけるぞ」


 職員に今のうちから準備するよう指示を出そうかと考えた時だった。

 突然部屋の扉が開かれ、部長が俺の名を大声で呼んだ。


「へ、出かけるってどこへ?」


「明日の試合、どうしても開催しろと上からのお達しが出た」


「えー、そんなこと言われても無理なものは無理……って、それで出かけるってことは何か策があるんですか?」


 まさか今からハマスタをドーム球場に改築するとか言うんじゃないだろうな?

 あるいは奥多摩にある人工降雨装置を発動させる?

 いや、でもあれは単にヨウ化銀を燃やしてその煙を上空に送るだけのシロモノだ。その付近で雨を降らし、こちらに雨雲を来るのを防ぐ事は出来るが、あいにくと今回は海の方から雨雲がやってきているから意味がない。


「あ、もしかしてヨウ化銀ミサイルを撃ち込む算段とか?」


 雨雲にヨウ化銀の入ったミサイルを撃ち込み、散布する事で雨を降らせる……北京オリンピックで開会式が雨にならないよう中国当局が当日周囲に対してミサイルを撃ち込み、強引に周囲で雨を降らせて北京には雲ひとつ寄せ付けなかったというのは有名な話だ。


 それならば明日の横浜を晴れにする事も可能かもしれないが、正直アレって単なる偶然って話もあるんだよなぁ。


「いや、ミサイルなんか打ち込まなくても天気を操れる人物がいるんだ」


「へ?」


 なにそれ?


「いや、正確には人物と言うかなんと言うか、とにかく会ってみれば分かる」


 だから行くぞと部長が俺の手を強引に引っ張った。

 いや、待って。天気を自由自在に操って、しかも人間と言うべきかどうかって、そんなわけわからないヤツと今から会わなきゃいけないって言うの?

 いや、ちょっと待ってマジ無理、怖い!

 



「え、それ本当ですか!?」


 適当にタクシーを掴まえ、目的地へと向かう車の中、部長は俺に「もし今回のことが上手くいけば、お前をオリンピックの専任気象予報士に推してやる」と言った。


 オリンピックとは言うまでもない、2020年に行われる東京オリンピックのことだ。

 そして今、スポーツ気象予報士の間で注目を集めているのが、その専任気象予報士の座だった。

 さすがに国の威信をかけた一大イベントということもあり、抜擢されるにはよほど優秀か、あるいは強力なコネが必要となる。

 俺は自分で言うのもアレだがかなり優秀だ。でも、残念ながらコネがなかった。


「あ、でも、このロン毛じゃマズいですかね?」


 ただ、正直なところ、そんなチャンスはまずないと諦めていた。

 加えてうちの会社は色々と自由な気風が特徴で、俺も入社した時こそきっちりしていたが、ここ数年は学生の頃みたいに髪の毛を伸ばしまくっている。


「大丈夫。すでにヘアサロンの手配はしてあるさ」


 が、そのロン毛スタイルも今日でおさらばのようだ。

 さようなら、俺のロン毛。

 そしてこんにちは、東京オリンピック専任気象予報士。


「それよりもいきなりのことで驚いてないか、アポロン?」


「え? あ、まぁ」


「だろうなぁ。そうだ、心を落ち着かせる為にこれを飲め」


 部長がなにやらカプセルの錠剤とペットボトルの水を渡してくる。


「精神安定剤か、なにかですか?」


 尋ねながらも俺は返事を待つ事もなく錠剤を口に放り込み、ペットボトルの水で飲み込んだ。

 部長は「その名で呼ぶのはやめてくれ」と何度お願いしても俺のことを「アポロン」ってキラキラネームで呼ぶし、悪戯好きだし、ウソをつかない聖人君子というわけでもない。

 だけど、こんな時に変な薬を渡すような人では――。


「くっくっく。飲んだね、アポロン」


 って、ええっ!? ちょっとなに、その邪悪な笑顔は!?

 まさか? まさか!?


「ちょ、部長……あ」


 やばい。

 抗議しようとしたのに、突然身体の力が抜けた!

 そして猛烈な睡魔が襲い掛かってくる……。


「ぶ……ぶちょ……」


 どんどん小さくなっていく視界。

 アスファルトを走るタイヤの音が子守唄のように聞こえる。

 

「安心しろ、アポロン。目が覚めた時にはきっと新しいお前に生まれ変わっているはずさ」


 最後に部長のそんな言葉が聞こえたような気がした。

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