第二十三話 レッスン

 早朝。


 ブロンディの村に、一軒だけある宿屋の一室。


 ベッドの上で、一組の男女が激しく絡み合っていた。


「……っ! ボニー、そう朝から激しく締め付けるな」

「あら? で相棒のベッドに潜り込んできて、もう音を上げるの。情けないわね」


 今、ビリーはその女にのしかかられて、身動きが取れなくなっている。汗ばんだ顔を苦しそうに歪める。


「ちょっとは、自分で動けるようにはなったみたいだけど、まだまだ満足できないわね。もっとからだのツボを理解して。ほら、私みたいに―――」

「ウッ……、これはまずい、ボニー、降参だ。緩めてくれ」

「だ~め。何度目だと思ってるの。少しは成長してくれないと、私も愉しめないじゃない。今日は追加でもう一発よ」

「そいつは嬉しい限りだ」


 ぴったりと絡みつくボニーの肢体が、ビリーの均整の取れた肉体を這い回り、“二回戦”を告げようとする。


 そのとき、寝室のドアが開いた。


 その音を聞くや否や、ボニーが電光石火で“体位”を入れ替えた。「おいボニー」とビリーは抗議するが、彼女の手にかかれば抵抗は無意味だった。


「ボニーさん、少し早いですが朝食に―――」


 眼鏡を掛けた女性が、右手にと鳴る錫杖しゃくじょうを持ち、の部屋に入ってくる。いつも白いローブではなく、寝間着であろう黒い地味なドレス姿だった。


 マコト・サイガ。向こうの世界での享年は19歳。


 前世から男性とは縁なく、転生したクリサリアでも勇者としての業務に邁進してきた。


 そんな彼女だから、ベッドの上で全裸になっている男女を見た瞬間、不覚の機能停止フリーズを決めてしまったのも仕方がない。


 その、いろいろと免疫のついていない瞳には、女性の部屋に上がり込んで上から覆いかぶさっているとしか思えない、髭面のガンマンがしかと映っていた。


 ビリーは、可及的速やかに、ボニーの寝具から退避する。


 彼は、今までで一番面白い顔をしている女勇者と向き合った。


「あー、勇者殿? これには訳がある。説明させて―――」


 その言葉は最後まで放たれず、最強の女勇者が振るった錫杖の先端が、素っ裸の賞金稼ぎの顎を撃ち抜いた。


※※


「申し訳ございませんでした」


 宿屋一階の食堂で、マコトが深々と頭を下げる。白のローブによく映える、真っ赤な顔だった。


 朝食を食べる面々はそれぞれ、ボニーが笑顔、ビリーが渋面、コーザが膨れ面。フーはまだ眠いのか、パンの乗った皿に齧りついて、ピリスにたしなめられている。


「マコちゃんはさんだからさ、許してやってよ」


 ニヤニヤ顔のケンジが、ビリーに言う。


「別に勇者殿には怒っちゃあいない。それよりも、この痴女だ」


 ビリーは、クスクスと笑い続けている金髪の相棒を指差す。


「ふふふ、ごめんなさいね。私ら、こんな仕事だから、寝込みを襲われるなんてザラなの。こうやってたまに、互いを抜き打ちで訓練してるわけ」


 つまり、今朝はビリーが暴漢役で、ボニーが襲われる役だったということだ。


「何ではだかンぼだったの?」


 しばらく皿をガジガジとやっていたフーが、素朴な疑問をぶつけてくる。


「ボニーは、相手の服を利用して締め上げるのが得意でな。まぁ、パンツまで脱ぐことはなかったか」


 ビリーが、苦笑いしながらこめかみをポリポリと掻く。変態にしか見えない行動にもそれなりに理由があったようだ。


「じゃあ、ビリーがボニーに襲われることもあるの?」


 またも無邪気で素朴な質問。どうやらフーには、まだ男女が営む種の保存を目的とした行動が頭に設定されていないようだ。


「あるけど、無理ね。この髭面は、まず部屋に入ろうとする足音で目を覚ますわ。そして、鍵をこじ開けている間に銃を構えるか、窓から逃げ出す。全敗よ」


 へぇ、と、驚嘆を声に変換しつつ、ケンジが言った。


「はぐれメ〇ルみたいな人なんだねおじさん」

「その魔物を俺は知らないが、そんな大層なモンじゃあない。下水道のネズミと一緒さ。神経過敏で、臆病なんだ」

「賞金稼ぎには必須の要素よ。まぁ、私が襲われ役の時はいつも結果的にビリーを組み伏せてるから、フーの言うことも当たらずといえども遠からずってところね」


 ボニーの言葉が正しければ、ビリーは取っ組み合いでいつも女性に負けていることになる。少々残念な視線が注がれる。


「おいおい、人をそんな目で見るもんじゃあない。確かに、普段は少しばかり萎びちゃいるが、本番になれば」

「それはもういいッスよ兄貴」


 ジュンヤが、初対面の時と同じことを言い出した兄貴分のセリフを止める。


「それにしても、マコトさんも酷いッスね。別にいいじゃないッスか。恋人同士なら一緒に寝てたって」

「それは……そうなのですが、裸のビリーさんが近付いてきて、つい頭が真っ白に……」


 マコトが、ジュンヤの追い打ちのような指摘に、さらに身を小さくする。彼女に助け船を出したのは、意外な人物だった。


「え? 別にそんなんじゃないわよ」

「「「「「え?」」」」」


 ボニーがあっけらかんと言い、マコト、ピリス、コーザ、ケンジ、ジュンヤの五人が疑問符を浮かべた。


「ん~、ビリー、話しちゃってもいい?」

「好きにしろ」


 ビリーが、巨鳥の魔物クワトルの卵で作った大量のスクランブルエッグの詰まった口を、モゴモゴと動かして答える。


「私たち“先発組”の賞金稼ぎはね、それぞれ、悪魔と契約した掛け金を払ってるの。一応、人それぞれに選ばせてもらえるんだけど、大抵は決まってる。男は“精液”で女は“子宮”」


 テーブルの気温が下がるが、ボニーは構わず話を続ける。


「ビリーの魔弾は、一発ごとに彼の精液を奪い取る。だから、定期的にしてるのよ。一緒に寝たり、キスしたり、ね」

「それは、つまり、ボニーさんはビリーさんのやる気を出させる当て馬ってことッスか?」

「うふふっ。そういうことね」


 明け透けすぎるジュンヤの評に、ボニーは破顔して言った。


「しかし、いいのか? あんたら」


 口を聞いたのはコーザだった。食事の量は、他の面子と比べると少なめに盛られている。減量するつもりなのだろう。


「勇者という敵に、賞金稼ぎの弱点を教えることになるんじゃないのか」

「ハッ!」


 一声大きな笑い声を立てたのは、ビリーだった。


「鎧くん、君たちが知った賞金稼ぎの弱点とやらを、一体誰に教えられると言うんだい? シリズに密告でもするのか。「賞金稼ぎの村で、賞金稼ぎ自身から聞いた話ですが」と。それを、あの王様が信じるとでも?」

「あり得ませんね。先ほどの話が真実である証拠がまったくありません」


 マコトの返答に、コーザが押し黙る。


「その通りだ。鎧くんだけじゃあない。勇者諸君はよく聞け。

 “狩り”の教訓その一。『物事を敵か味方かで判断するな』だ。クリーフのおやっさんがアンタらをギルドの一員にしたのは、その方が利用価値があるからであって、味方になったわけじゃあない。

 そして、教訓その二。『騙された方が悪い』だ。この世界は、誰もが息をするように嘘を吐く。単なる仕事仲間にほだされて背中を撃たれるなんて間抜けに、同情の余地はない。よろしくて?」


 また一段と沈み込んだ空気に、パーティのリーダーが口を開く。


「はい。まだまだ、我々は未熟です。これからも厳しいご指導をよろしくお願いいたします。ビリーさん、ボニーさん」


 その殊勝なセリフを聞いたビリーは口調をがらりと変え、こう言った。


「それにしてもだ、勇者殿。あんた、一度俺を裸に剥いただろう。何を今さら恥ずかしがっていたんだ?」

「あ、あれは治療の一環です! あのような同衾どうきんをするためではありません」


 今まで聞いた中で最も大きな声に、パーティは一瞬静かになり、ややあって、遠慮がちな笑いの輪が広がった。

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