第二十話 本当の殺し合い
最初に異変に気付いたのは、チコだった。痩身の中年賞金稼ぎは、決して警戒を怠らなかったが、小さな羽虫が口に入った程度のことにまで気は回せなかった。
当然、それがトゥーコの、新参勇者パーティの面々に喝破された「簡単に潰される程度にまでは小さくなれない」という心理的な弱点を意地で克服したことによる、静かなる襲撃の
そうであっても、彼には、“覚悟”があった。
胸の辺りにチクリと刺さるような痛みが走った瞬間、チコはこう叫んだ。
「奴だ! 俺の中に! ―――グボァ!!?」
「チコ!」
体内に入ったトゥーコが、その内臓に深刻なダメージを与え、チコが吐血し、仰向けに倒れた。
「待って、下手に動かすと危ない」
ロホが急いで抱き上げようとするが、ボニーに制される。
「チコの身体をよく観察しろ。虫の子一匹逃がすなよ―――ん?」
『ビリーさん! トゥーコが!』
ビリーが、魔法による思念伝達でマコトからの切羽詰った通信を受け取った。
「ああ、分かってる。落ち着くんだ勇者殿。急いで教会の方に戻れ」
『申し訳ありません! 私の、私のミスです!』
マコトの、
ビリーはその声に、こう返した。
「いや、ビンゴ。ビンゴだ、勇者殿」
彼はその髭の覆った口元を吊り上げると、倒れたチコに向け、コルトを構えた。
「勇者殿、トゥーコは、このチコの中にいる奴だけか?」
『……はい、間違いありません』
「そうか。焦ったな、円卓の十勇者殿。ボニー、ロホ! 顔と尻に警戒しろ」
いつもの飄々とした口調とは正反対の、鋭い声を相棒と仲間に飛ばす。
口を閉じたチコが、黒い血を吐き出しながら目で訴える。魔法など使わなくても、伝わった。
「ああ。そのつもりだ。で、今どこにいる?」
震える指で胸を指し示す。
「オーケー、チコ。骨は拾ってやる」
「……!!」
それを聞いたチコは、血まみれの口元をニヤリと歪めた。
(ここでビリーの狩りと、この村に住むロホの息子を始めとする子供らを助けられたのなら、俺の人生は御の字だ。あいつらにも、あの世で多少は顔向けができるってもんだ。いや、俺は地獄行きか……へへっ)
チコの覚悟。
目を閉じ、あいつら―――かつてトゥーコによって奪われた、今は亡き妻と子の笑顔と、慎ましくも穏やかだった生活を思い返した。
※※
一方、トゥーコの方は完全に心乱れていた。
「弾の補充は十分だ。中で分身しても構わないが、的が増えるだけだから、やめておいた方が良い」
こいつ、本気で撃つ気か? 仲間ごと俺を仕留める気か? イカレてやがる!
「いいか、よく聞け腐れ勇者。これが本当の殺し合いってやつだ」
痩せぎすで小柄な中年男の肉体を突き抜けてきた声が、チコの心室に留まったトゥーコに届く。
「チコはある程度、こうなることを覚悟していた。お前は、いつ何時も、一番弱そうな奴から狙う。子供か、女、でなければ、力の弱そうな男か老人。勇者らしい勇気の無さだな」
侮辱に怒りを覚える暇さえない。
どうすればいい? どうすれば、この窮状から脱出できる?
「お前に何らかの覚悟があったか。影からコソコソと、自分だけは死なないように姑息な算段をつけて―――自分が殺されるなんて思いもしないで殺し続けたお前に」
―――ダメだ。
完全に警戒されている中で、気付かれずに出ることなんてできない! こんなところで、俺はまた死ぬのか。全部他人に邪魔され続けた人生が、ここでも?
「お前にほんの少しでも覚悟があるのなら、出てきたらどうだ、臆病なひきこもり野郎」
どこまでも利己的な思考と、ビリーの意識的な悪罵が共鳴し、卑劣な勇者の怒りが爆発した。
違う! 俺が外に出られなくなったのは、
―――断じて。
「俺は、臆病者じゃ、ねぇ!!」
飛び出した瞬間に、岩竜に変身すればいい。流石の銃弾も、岩の身体を貫けはしないだろう。奴の早撃ちか、俺の異能発動か、勝負してやる。
「ああ」
このときのトゥーコには、確かに覚悟のようなもの、勇気のようなものはあった。
「お前は、臆病者じゃあない」
だが、
片や、人間の限界に迫るまで努力を積み重ねた神業。
片や、これまで一度も研鑽などしてこなかった異能。
それが、この修羅場でぶつかったところで、そもそも、同じ土俵にすら、立てていない。
「ただの馬鹿だ」
彼の覚悟は覚悟などではなく、見え見えの挑発に乗った、ただの
また、断じて勇気などでもなく、
「ばかじゃな」
小蝿の羽音の如き反論は途切れた。少しは工夫しチコの鼻から出た瞬間に、トゥーコはあっけなくビリーの魔弾に撃たれたからだ。
なお、チコに銃弾は当たらなかった。
それがまさに、怠惰な異能と、研ぎ澄まされた神業の、明快な差であった。
「ビリーさん! トゥーコは!?」
勝負が決したところで、マコトたちが戻ってきた。教会から、クリーフとジュンヤも現れた。
「よう坊主、多少はできるようになったようだな」
ビリーはギルド長からの最大級の賛辞を聞き流す。血相を変えてこちらに駆け寄ってきたマコトの頭二つ分下の目と向き合った。
その眼鏡の奥の瞳は、少し充血していた。少々の涙で洗われたようで、ビリーの髭面が鮮明に映っていた。
「……ビリーさん、本当にごめんなさい。任せておけ、などと偉そうなことを言っておきながら、この醜態―――」
が、その謝罪を、ビリーは彼女の黒髪に手を乗せ、
「ま、これが『本当の殺し合い』ってやつだ。次に生かせ、諸君」
そして、マコトの後ろに控える四人の仲間にも言った。
「勉強になっただろう。これが勇者を狩るってことだ。よろしくて?」
そこには、チコとトゥーコの血で塗れた“戦場”が広がっていた。
勝負に勝った爽快感も、敵を倒した歓喜もない。
どこまでも淡々と、生と死が支配する修羅場。
ケンジ、ピリス、フー、コーザは、それぞれに、無言で頷くしかなかった。
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