拾参日目
――――――。
希望の――朝が、来た。
こう思えたのは、きっと初めてだろう。確かな成長を感じられて、僕自身嬉しく思う。
昨日帰ってきて気付いたが、もう春休みが2日しかなかった。
さて――この窮屈な部屋を味わうのも久しぶりに感じてしまう。
もしかすると、この空間が味わえるのも、あと2日かもしれない。
だが、少し違うところもある。
足元にある、小さな白い頭。――何を隠そう、新しい相棒の新だ。
うん。やはり子供はこう、可愛らしくあるべきだ。
だが――僕の足を離してはくれなさそうだ。
右足はナイトメアに――そして左足は新につかまれていて、ナイトメアの時と違い、全く動けない。
これを悩みというのなら――いささかな悩みだろうが、とある種の方たちからしたら、これは悩みではないのだろう。そう思うと、可愛らしい悩みだと思う。
が、しかし。
僕には、しなければいけないことがあるのだから。
なに。今まで――というか2日間ほど行けなかった神社参りに行かなければならない、というわけだ。
――だが、動けないわけで。
一体どうしようか。というか何でこの子たちは僕が立ち上がった瞬間、僕の足を掴めるのだろうか。いやはや世界には分からないことだらけだ。
――一体いつまで待てばいいのだろうか。また、何時間単位で立たされるのだろうか。
ナイトメアは離してくれないだろうから、希望を託し新にそっと耳打ちする。
「手を離して、くれるかい……?」
そう言うと、手を放せてくれた。やはりものは言いようだ。
もしかして、と思い、ナイトメアにも耳打ちしてみたが――僕の足を掴んでいない方の手で、顔を叩かれた。地味に痛かった。
30分粘った結果、ようやく放せてもらえた僕は、少し遅めの朝食をいつも通り――ではなく、しっかりと感謝し、食した。
新は、あの神社以外のご飯を食べたことがないのだろうから、少し警戒していたが、1口食べた瞬間、電撃が走ったように――そして、人が変わったようにどんどんご飯が口に入っていった。――もうここまでくると、ご飯が自ら新の口に入りに行っているみたいだ。
そんなこんなでようやく覚醒した新とあいさつを交わし、ようやっと神社を決める段階に来れた。とても長く感じてしまった。
さて、今日はどこに行こうか。
――――。
魔裟斗さんのところにでも行こうかな。
この前行った時は、魔裟斗さんに邪魔されたし、しっかりとお参りしておきたい。
靴を履いて――新もついてきて、一緒に神社に向かった。
さて、着いたはいいが。
新は何か願いとかあるのだろうか。
「ねえ新」
「ん……?」
出会った当時に比べたら、丸くなったなーと読み取られないように思いながら――まあそんな器用なことができるわけもなく読まれてしまったわけだが――聞いてみた。
「新のお願いことって、教えてくれる?」
「え……? え、え、え……と……?」
顔がみるみるうちに赤くなっていく。
新はたまにこうして顔を赤くする。なんでかは相変わらず分からない。
「あの、さ? 無理しなくても」
「ん……! そう、いう、のじゃなく、て……その――」
彼女は、一度あちらの方角を向き、深呼吸をし、そして意を決したように口を開いた。
「え、と……ね……? ――アキトと、もっと、一緒に……いたい、な、って……」
――――。
「――。ん……?」
「もおぉぉぉぉおお! お前ってやつはぁぁぁあああ!」
うれしいじゃあねえかよお! 可愛いな本当にもう!
僕はデレた新を抱きかかえ、ずっと頬ずりしていた。
幼女最高。これまじで。
「2人とも何をしているの?」
後ろから唐突に聞こえてきたその声に。
僕と新は、驚いた。
新は――今さっきまでと違って、体を震わせている。
恐怖に似ているそれは――ある種、威嚇にも見えた。
相手を恐怖のではない、ただこれだけ言える、何かを以て睨み睨んでいる。
「あいつ――いや、な……や、つッ……!」
「いやな奴って……」
「失礼だな~全く」
魔裟斗さんもいつも通りではないか。
もしかして――僕が帰ってきた時に、魔裟斗さんだけ何とも思っていなかったのを、僕をどうでもと思っている、と勘違いしているとかだろうか。
「あい、つ……嘘、ついて、るッ……!」
――は?
僕の耳元に届いたその言葉は、僕には理解し難かった。
新を疑うわけではないが、魔裟斗さんの態度はいつも通りだったからだ。
ニコニコ、いつものようにその笑顔をしている。
それが、嘘?
それこそ短い付き合いだが、あの笑顔が嘘だって?
「あはは~何を言ってるの~? 私はいっつもとおんなじ! 元気いっぱいだよ~」
「う、そッ……! ごまかしても、む、だッ……!」
「えーと? どういうこと?」
「その、わざとら、しい、言葉、遣いも……『やめる』ッ……!」
新の半ば命令のような言い方で、魔裟斗さんは――笑った。
いや、嗤った。
「へえ」
今までと違う音が聞こえる。
「僕に命令できるとは。とんだ上級の神様もいたもんだ」
声は魔裟斗さんのものでも、話し方が――全く違う。
まるで男の子のような、そんな話し方。
いや、男の子というより、男性。
「さて。僕の正体が分かったところで、君はどうするんだい、秋斗君?」
いつも通りの僕の呼び方。だがそれは、いつもとは明らかな違いがあった。
何とは言えない、具体例のない違い。
「どうするもなにもって……」
言われたところでどうしようもない。
「そうやって」
唐突に。
魔裟斗さんは――魔裟斗さんの形をした何かが、言い始めた。
「いつもみたいに、自分を殺して逃げるんだろう?」
嘲笑い、そう言う。
「は……? 何の、こと――」
「分かってんだよ、怪物もどきが。自分の住処を探すための努力もしないで、そうやってまた逃げていく。そうなんだろ?」
口は嗤い、しかし目は冷たく。
「楽だよな? 生きやすいだろうな? ――僕はそんな奴を見てこう思うんだ。――心底、ウザったい。消えてしまえばいい」
消えてしまえ、消えてしまえ。
まるで親の形見のごとく言い続ける魔裟斗さんを、今までの魔裟斗さんとは――重ねられなかった。
「で? これでも君は僕を今まで通り見れるというのかい?」
――――――。
僕は、それに答えられなかった。
「――そうして。そうしてまた、逃げるんだろう? 自分のことしか考えてない。自己中心的な奴め」
目が、ただただ冷たくなっていく。
「今まで通り、なんて――無理だよ」
当たり前だ。
ここまで来れば――もう、別人だ。
別人。赤の他人。
赤の他人を、かくまうことなど出来やしない。
だから――。
「今まで通りなんて――できない」
「それが、君の出した答えかい?」
その言葉に――頷く。
それがたとえ。何かを失うとしても。
答えを出さないのは――逃げるのは、ずるいと思うから。
「そうかい。――実はね。僕は君が答えを出せるようになって、嬉しいんだよ。今言うことじゃないとは思うけれど」
最後にようやく。
僕の答えに納得して、笑顔になる。
けど――そんな答えで、認められない。
僕は決めたはずだ。恩返しすると。
その中にはもちろん、魔裟斗さんも含まれる。
もし、今消えてしまうのなら。
また会えるようにすればいい。
「魔裟斗さんッ!」
魔裟斗さんが、振り返る。
「絶対――もう一度会いに行きますよ……! 本当のあなたと、もう一度――」
――友達に、なってみせる。
「しつこい、間違ってる。言いたければ、好きなだけ言ってもらえばいいです。でもッ! 僕は決めたんです。お世話になった人に、恩返しすると。もう――何もこぼさないと」
そう決めたから。
意志を示して、続ける。
「僕と同じように、あなたを待っている人がいるんです! あなたがいないって、そんな悲しいことを言うのなら――僕が、僕があなたを待ってるって思い出してください! あなたは必要とされている。それだけを」
覚えておいてください、と。
儚く笑う魔裟斗さんに言った。
「ふっ……まあ、その時はその時。もしそうなったら、よろしく頼むよ」
顔をこちらには向けず、歩きながら魔裟斗さんは言う。
そして、最後の言葉を言って――姿を消した。
「――――はあ……」
正直になれない。
この口が――憎たらしい。
恨むことしかできない自分が――憎むことしかできないこの自分が。
嫌いで。嫌いで。
きっと僕を待つものなんていないと思っていた。
嘘に塗れた『神様』を待つものなんて、いないと思っていた。
けれど。
嘘だとしても、僕を待つと言った少年がいた。
自身の答えを導き、自分の生き方を曲げない強い意志を、見た。
そして――己の弱さを知った。
それから逃げていることも、知った。
「はあ……」
――また会う日が来るのなら、その日までに顔向けできるように、頑張らなくては。
全く。――否めない男だ。周りが好きになっていくのも頷ける。
だけど、僕のこれはきっと、好きとは違うような。
他の言葉でしっくりくるのは――あった。
「尊敬」
うん。その言葉が正しい。
僕の役目は終わった。
決意。
それが僕の役目だ。
人に決意をさせるものばかりと思っていたが、しかし。
これは、僕自身の試練でもあったのだと。
なるほど。どおりで――。
「待っていてくれよ。絶対に――」
絶対にまた、君と会おう。
今度は正しく。僕自身として、君の前に立とう。
魔裟斗さんと別れて、早くも20分が経とうとしていた。
ああ言って別れたものだがしかし、また出会えると、そうなるはずだと、僕の心はずっと思い続けている。
「お疲れ様……」
今のは誰にも向けられたものではない。
第一歩を踏み出せた自分を褒めたい。――そんな空気ではないことは承知だが。
――魔裟斗さんがいなくなったことで――この家の空気が、少しだけ暗くなった気がした。
――ほら、魔裟斗さん。あなたは、必要とされてましたよ。
心で呟き、言葉が届くことを祈る。
彼女が頑張って戻ってくるのなら、やはり僕たちも成長していなければ。
――お互いに、残念と思わないように、思わせないように、頑張る。
その決意を。
心に決める。
戻って来れるよう。ここが心の安らぐ場所でいられるように。
僕たちも成長していようと。
彼女が笑って帰る場所を、僕らは作ろう。
「秋斗?」
帰宅途中、不意に曲がり角から顔を出したお母さんが、そこにはいた。
そして僕は――先程の出来事を全て話した。洗いざらい、全て。
僕は知っていたからだ。この2人は、仲がいいことを。まるで旧知のように、親しんでいたことを。
だからこそ、悲しくなっても、伝えなければならないと思った。
それが正しいと思ったから。
「――――――。そう……」
どことなく儚いお母さん。その顔には、悲しみはなかった。
仕方ないという感情、それが、顔に表れていた。
もしかしたらお母さんも、こうなることをどこか知っていたのかもしれない。
もちろん、魔裟斗さんをまた連れ戻してくることも言ったが、笑われた。
――実際、どういう感情で笑ったかは僕には分からないが、それが少しでも気を楽にできたなら、僕はうれしく思う。
さて、そうこう話している間に、家の前にまで来たようだ。
気が付けばもう日が暮れる。1日が過ぎるのがとても速い。
今日が終われば、春休みもあと1日。明日で最後だ。
――――何故だか妙な胸騒ぎがするのは気のせいだろうか。
魔裟斗さんみたく、誰かがまた――いなくなるような、そんな気がして止まない。
いやいや。そんなことを考えていては――ましてや自宅の中でこんなことを考えるのは、流石にまずい。
「秋斗? 顔色が悪いようじゃが……」
「――ッ! ――いや、何もないよ……」
そう。
何もない。
何も、起きない。
そのはずだ。
この楽しい日々は春休みが終わっても続いていくはずなのだから。
なのにずっと。
胸騒ぎが――収まらない。
それどころか、更に速さを増していく。
何故、何故こんなにも胸騒ぎがするのだろう。
今、こうして目の前にいるナイトメアにも――何も起きないはず。
「ごちそうさま」
そう言い、席を立つ。
そして風呂場に向かう。
そう。
いつもの日常。
そう言えば、あれから鬼秋さんにも会ってないな……。今頃どうしているだろうか。元気にしているだろうか。
出るのが遅くなった月を、窓の開かれた風呂場から見ていた。
――少し、体が冷えた。
風呂から上がり、もう終えた宿題の山を一瞥し、自分の――もう慣れてしまった布団へと入る。
床の冷えるのを身体の側面で受け止める。これが妙に気持ちいい。
――――。
意識がまどろもうとしたとき、それは来た。
ガサゴソと。布団の中に入ってきて。
それが、布団から顔を出す。
目が慣れていなかったのもあり、初めは誰だか分からなかったが――いや、すぐにでも分かった。
これは――この、暗闇でもわずかな光を放つこの神の持ち主は、間違いなくナイトメアだ。
でも、何で?
「秋斗……起きとるか……?」
僕は、声を出さない。代わりに頷く。
それで通じたらしい。
「単刀直入に言うぞ……? ――――秋斗」
長いためを作って。
――――ナイトメアは言った。――告白した。
「わしを――選べ」
「は……?」
何が、どういうことだ?
何で僕は――ナイトメアから告白されているんだ?
「秋斗が選んでくれるのなら、わしはなんだってする……! お前が望むなら――身体だって差し出そう! だから、だから……」
わしを、選んでくれ、と。
少女の悲痛な叫びを聞いた。
「もう時間が、ないんじゃ……期限が、ないんじゃ……」
その言葉を聞いた瞬間、僕は気付いてしまった。
この胸騒ぎの根源は――ナイトメアだ。
きっと魔裟斗さんのように消えてしまうのだろう。
「ずるいと思っとる……でも。春じゃなく――わしを、選んでくれ……」
一言一言聞くたびに、胸が痛くなる。
僕が選ばなければ、ナイトメアも。
けれど、そうしてしまったら、春さんへの気持ちが嘘になってしまう。
僕は一体どうすれば――どうすれば、全部拾えるようにできるのだろうか。
僕はやっぱり――何かを落としていかなければいけないのか……?
そして僕は――苦渋の決断をする。
「ごめん、ナイトメア……僕は――」
「もう十分じゃ……」
そう言いナイトメアは憂い顔。
僕はそんなナイトメアの顔を見てられなかった。
本当にこれでよかったのか、分からない。
ただ――決断しなければいけなかった。それだけだ。
僕が愛する人か、僕が愛した人か。
僕にはそれは重すぎて。
忘れそうだったものを思い出させるような。そんな感覚を味わった。
決断が正しいかどうかなんて、僕には分からない。
でも――僕にはできなかった。
春さんを裏切ること。
仕方ない、なんて一言で片づけられるとは思っていない。
それこそ事態は複雑だろう。
でも。
――でも。
「――こうするしか、なかったんだよ……ッ!」
こうするしかなかった。
また1人――――救えなかった。
「秋斗……何で……?」
何で? 何で、って――何で?
何の話をしているのか、僕には分からなかった。
「秋斗……わしのために――泣いてくれているのか……?」
――え?
泣いている?
おぼつかない手つきで右頬に触れる。
そこには確かに――雫の存在があった。
僕が――今まで命にすら涙したことない僕が――。
ナイトメアも同じ事を思ったらしく。
「秋斗――お前さんも、成長したんじゃな……」
今までの憂い顔も、すっかり微笑みに変わって。
涙目で微笑を浮かべながら。
彼女は笑い――そして。
泣いた。
僕の胸の中で。
少なくともその時のナイトメアは――とても神様に見えなかった。
1人の、失恋した女の子。
「秋斗……秋斗、秋斗――――」
僕の名前を呼びながら彼女は。
僕の胸の中で――消えていった。
笑顔で。もうやり切ったという、後悔のない笑顔で。
――心がうずく。
これが恋と気付いたのは、いつのことだろうか。
とうに忘れて、思い出すはずのない代物が、今こうしてまた顔を出した。
あの少年に――秋斗に恋をしてしまった。
それはこの試練にはぴったりはまりすぎて、故に。
――お互いを傷つける結果になってしまった。
それが正しかろうと正しくなかろうと。
それがわしの試練。『決断』の試練。
「――つらいなぁ……」
もう、終わってしまったことだ。
だろう? 昔の思い人よ。
もう――。
「もう、泣いてよかろう……?」
月を見、こぼし。
そして泣いた。
初めて自分のために、泣いた。
しずくを月が照らす。
それが嫌に綺麗に写った。
「秋斗……」
一度、想い人の名前を呼ぶ。
――お前は、決断できたじゃろうか……。
余計なお世話と思われても仕方ない。
今は、この胸に残る温かみで、生きていける。
もう一度月を見、そして呟く。
「――――――――――――」
それを以て、彼女は――ナイトメアは姿を消す。
春休み終了まであと1日。
そして――期限終了まで。
あと――1日。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます