22:命の値段

 警察無線が激しく飛び交った。事件現場から一キロほど離れた小さな公園のトイレ、あちこち刃物で切られたような傷跡をかばうようにして転げていた少年。彼はどうやら、あの河川敷でのバラバラ遺体遺棄に関わっているという。事件は急激に展開していく。パトカーの車内、めまぐるしさに振り回され面食らう水田を余所に、沢口は無線を聞きながら無言で運転する。

 断片的に伝わってくる無線の端々を繋いでいくと、少しずつ警察の持っている情報が見えてくる。水田は公園までの道のり、情報を整理することに努めた。

 犯行メッセージをマスコミに送信した形跡のあった都内の高校、そこに通う少年らのグループがバラバラ殺人を犯していたということは、連日のマスコミ報道で誰もが知っていた。公園で保護された少年はその犯行グループの一人。そして湊斗ミナトの家に押しかけ母親に乱暴を働いたのも彼らであると、少年の供述でわかったらしい。彼らは極度の興奮状態に陥り、そこに飛び込んできた湊斗と激しく殴り合ったのだ。包丁を持ち出し、様子の急変した湊斗から走って逃げたが、逃げ切れたのは保護された少年一人で、他の少年らは今どこにいるのかわからないらしい。警察は関係した少年らの携帯電波の発信元を探っている。


「警察は、あのバラバラ殺人の犯人をある程度特定してたんですか」


 思い切って尋ねる水田に、沢口は吐き捨てるように答えた。


「特定できても証拠が揃わないと逮捕できねぇんだよ。未成年とくりゃあ、より慎重にしなきゃならん。面倒な法律のおかげでな」


 面倒な、というのは『未成年保護法』のことだ。例えどんな状況においても、少年の人権と命を尊重する。超少子化時代、守らなければならない貴重な未成年を保護するために作られた法律だが、時にはこうして警察を阻む。治安悪化の影響の一つとも言える悪法だと一部声を上げるものもいるが、この超高齢社会を支えるためには致し方ない面もある。


「もし、全国に散らばるナノの保有者が一斉に狂いだしたとしたら、日本の警察は機能しきれるんですかね」


 またもや水田の無責任な発言。

 沢口はフンと鼻で笑う。


「ナノの保有者が必ずしも犯罪者になるとは限らねぇ。厚労省の調査チームの報告によれば、戦闘用ナノは日常生活を送るには何の影響もないほぼ無害なものだと言うことがわかってる。不安をかき立てるわけにはいかねぇんだよ。何事もなかったようにナノの駆除が出来ればそれに越したことはねぇ。だが、駆除用ナノを作るには莫大な費用が必要で、今回の調査結果でわかったナノ保有者全てに駆除用ナノを投与するには、何億円かかるかわからんらしい。政府はその全てを救済したいと言うが、現実問題無理だと俺は思っている」


 そこまで言った後、沢口はアッと声を上げた。水田の口車に乗せられ、とうとうナノの存在を認めてしまったのだ。ハンドルを左手に、こんちくしょうと半分白髪の交じった頭をかきむしる。


「お前、喋りがうまいな」


「まぁ、接客業ですからね、一応。で、その駆除用ナノってなんです」


 また沢口はアアッと声を上げ、頭を抱えた。禁句だったらしい。


「喋っちまったもんは仕方ねぇ。ナノの効果を消し去ったり、体内から強制排出させるためのナノが存在するそうだ。該当のナノのプログラムがわからねぇと作れないらしくてな。政府系研究機関で今必死に、流行しているナノのプログラム解析をしてるんだよ。解析して駆除ナノを作るのに更に数ヶ月から数年かかる。それまでの間は警察が必死に動き回るしかねぇってことだ。――これ以上、喋らせんでくれ。首が飛んじまう」


「今更何言ってんです」


 互いににやっと笑った。

 少年が見つかった公園が間近に見えてくる。パトカーが数台、小さな公園を囲うようにパトランプを回して停車していた。



 *



 柳澤はわざとらしく綺麗な手のひらサイズのアルミケースを二人の前にかざした。左手の中で輝くシルバーの箱、白衣の内側から取り出したそれに、勇造と川嶋は目を奪われた。


「もしかしたら一連の事件は田村の撒いたナノマシンのせいではないかと、数カ月前に沢口刑事がいらした時から私は薄々感づいていました。運良く、私は彼が研究してい戦闘用ナノのこともよく知っていましたし、それに対する知識もあった。――そこで、政府がこのナノの具体的な情報を知る前に、独自に駆除ナノを作れないか色々試していたのです」


「ということは、それは」


 生唾をゴクリと音を立てて飲み込み、勇造は目を見開いて柳澤の左手を注視した。


「これは、試作品です。田村が以前研究していたナノと今回湊斗君の血液から見つかったナノは同一だ、そう確信できたからこそ世に出せる、世界でたった一つの駆除用ナノです」


「世界でって、それは何でも言い過ぎ」


「いや、そんなことはありませんよ」


 真顔で冗談をと鼻で笑った川嶋を、柳澤は一蹴する。


「戦闘用ナノは、前に言った通り、最前線の兵士らに使用するためのもの。駆除など最初から必要ないのです。一度投与されたら、それは死を意味する。死ぬまで殺しあいをしろという暗黙のルールがある。そのナノを強制駆除できるとしたら、逆に恐ろしいことが起こりますよ。一時的に戦闘用ナノを投与し、都合悪くなれば駆除する、そんなことが出来るようになれば、非戦闘員さえ戦闘に巻き込まれかねない。だから業界はワザと作ってこなかったんです。戦闘用ナノを駆除できるナノマシンを」


「ということは何ですか、こいつは本当に」


「そうですよ、社長さん。これは唯一の駆除用ナノ。しかし、試作品だ。効果はまだ試していません。戦闘用ナノを持った試験体が必要ですからね」


 細い目でにやりと笑い、柳澤はそっとアルミケースを開けた。

 ローテーブルの中央にそっと置かれたケースを、勇造と川嶋は身を乗り出して覗き込む。中にたった一粒、赤いカプセルが入っている。何の変哲もないただのカプセルにしか見えなかった。


「この試作品を湊斗君に使うことも出来ますよ」


 柳澤の言葉に、勇造はびくっとして顔を上げた。相変わらずにやにやと不敵な笑みをこぼす柳澤の言葉は、とても信じがたかった。


「但し、それ相応のリスクがあります」


 やはりそう言うことかと、勇造に続いて川嶋も顔を上げる。


「試作品のため、効果の現れないことも考えられます。自信はありますが、その時は責任を負えません。しかし、成功すれば間違いなく駆除できる。――もう一つ、このナノの効果に見合うだけの費用をいただきます」


 柳澤は手のひらを目一杯開き、勇造の眼前に突き出した。


「五?」


「いや、五〇〇万です。カプセル一つ、五〇〇万。これ以上でもこれ以下でもない」


 川嶋も提示された数字に驚き、無茶苦茶なと声を上げるが、柳澤はその手を動かそうとはしなかった。


「足元、見過ぎだぞ。どこにそんな金」


「ぼったくりなんかじゃありませんよ。私は真剣に言ってるんです。今現在、入手できる唯一の駆除用ナノの試作品ですよ。喉から手が出るほど欲しいはずだ。私どもは慈善事業じゃないのでね、それなりに対価はいただかなくてはなりません。開発費用、予測できるリスク、効果からしても、十分価値はあるはずですよ。欲しくないんですか」


 細い目で睨み付けてくる。蛇に睨まれた蛙のように動くことの出来ない勇造の額からは、冷や汗がぼとぼととしたたり落ちていた。喉が渇くが、ローテーブルのコーヒーカップには手が届かない。極度の緊張で身体が硬直してしまっていた。


「もっと、安くは出来ないのか」


 思わず冷静に自分の資産と事業の収益を考えてしまう。人型ユンボのローンもまだ返せていない、今月の給料日も近付いている。五〇〇万なんて大金は、とてもじゃないが用意できそうにないのだ。


「――命の値段、だと思えばどうです。戦闘用ナノがどのくらい脳に影響を与えるのか、実際の所はっきりしたデータはとれていない。ナノにより発症したら最前線で死ぬまで戦う、そのために体内注入するんですからね。春から今まで捕まった少年たちも湊斗君も、警察に保護されたとして、いつまた同じように発狂するかわからないんですよ。この試作ナノでその不安が解消できるとしたら、決して高い買い物じゃないと思いますがね。まさか、金が惜しくて従業員を見捨てるような、そんな人間なんですか、あなたは」


 そこまで言われておいて黙っていられるほど、勇造は大人ではなかった。

 この冷徹で抜け目のない、いけ好かない男に言われるがままというのは、本心ではない。しかし、だからといってここでおめおめと退散すれば、それまでのことが全て水の泡になってしまう。

 さっきまでの冷や汗が、急激に煮えたぎる怒りに変わっていった。計算式はどこかへ吹っ飛び、自分が湊斗を救わなくてはという使命感がふつふつと湧き上がってくる。

 尻のポケットから財布を取り出し、中から千円札を一枚取り出して柳澤が突き出した右手に握らせた。


「前金だ、受け取ってくれ」


 給料日直前、煙草代としてとっていた、最後のお札だった。

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