第20話 ヨーク

 その日の夕方、再度校門前に立ち少年たちを観察したエバンズだが記憶の少年は現れなかった。

 おかしいな。

 休んでいるのか?

 それとも僕の記憶が悪いだけなのかな。記憶力には自信があったんだけど。

 エバンズを不審に思った生徒が教師に訴えたらしく、学校から校門に向かって歩いてくる男性教師の姿を見つけたエバンズはどうしようかと、迷ったがそのまま立っていた。


「なにか当校に御用ですか?」


 肩幅の立派な背の高い教師は威圧的な態度でエバンズを見下ろした。


 ベアーと同じくらいの身長だな。横幅は彼よりあるな。


 委縮しながらエバンズは、自転車を置き去りにしたままの少年がここの生徒だと思うのですが、名前が分からなくて。と答えてみた。

 自転車をお預かりしています。このまま、どうしたものかと。


「そうですか。それはわざわざ。警察にでも届けてくださればよいかと。……当校の生徒は裕福なご家庭のご子息ばかりです。もしかして、その生徒は自転車を捨てたつもりでいるのかもしれません」

「あ、あ、そうですか。そうかもしれませんね」


 言葉を濁しながらエバンズは相槌を打った。

 お引き取り下さい、との教師の言葉に、はい、とエバンズは従った。

 もう、ここで立つことは無理だと思った。――



 ―――――――――――


 夜になり、エバンズは自家用車でレナ川に向かった。

 橋の付近には東オルガンだけでなく、隣のミスカ州から来る客もおり、車が列をなしていた。

 列の後方に車を止めたエバンズに、立ち並ぶ女性たちの中から一人のミニスカート姿の女性が近づいてきた。


「どう? おにいさん三時間……て、巡査じゃん!」


 車の窓からのぞきこんだ女性はよく知っている顔の女性だった。


「ちょっと? ひやかしかなんか?」

「いえ。……ヘンな客には気を付けて」

「パトロール? まったく、もう」


 彼女は三十近いと思う。たしか、五歳の息子がいた。


「息子さんは?」

「ママのところ。いつも預ける。もう、紛らわしいからどっか行って!」


 手を振って顔をしかめながら彼女はエバンズの車から離れ、前の車に行った。

 ミニスカートからのぞく脚が寒々しい。

 もうすぐ晩秋になろうかというのに。

 夜中に立ち尽くす彼女たちは、さぞ冷えるだろう。


 客がどういう男かなんて、確かめようがない。

 彼女たちは本当に危険な商売をしていると思う。


 エバンズはゆっくりと車の列の間を運転し、橋を渡った。

 自分がこのへんをウロウロしていたとしても、なんの意味もないのだが。

 ため息をつきながら、エバンズはハンドルを回した。


 売春が合法化されているのは、この国の忌むべきところだと思う。

 15歳以上なら売春行為は認められる。

 しかし、もし、法律で禁止されたとしても。

 それでも決してなくなりはしないだろうし、この仕事に従事している彼女たちが苦しくなるだけだということは分っている。

 サラのように、他の仕事では生活していくのが難しい女性は多くいるのだ。


 しばらく、頭の中で存在が小さくなっていたゼルダ人の彼女をエバンズは久々に思い浮かべた。

 ゼルダではそんな職業に就くしかなかった彼女。

 この国に来ても、彼女は同じような仕事を選んだ。

 一度、その世界に入った彼女たちはもう、外には抜け出せないのだろうか……。


 久々にシアン=メイが恋しくなって、今日は彼女の写真と寝よう、と決めたエバンズは車を帰路へと方向を変えた。


 そのとき、前の道に女性が飛び出してきた。あわてて、エバンズはブレーキを踏む。

 一人の男が飛び出してきて、続いてもう一人男が飛び出してきた。

 痴話げんかか何かか?

 止めなきゃ、と車を下りたエバンズは唖然とした。


「ベアー! サラさん!」


 女性と男性の一人はサラとベアーだった。

 もう一人の小柄なずんぐりとした男性は、サラに必死にしがみついている。

 ベアーは彼をサラから引き離そうとしていた。


「どうしたんですか!?」

「ああっ! もうっ!」


 サラが勢いよく、小太りの男を振り払った。

 右の手の甲を舐めて、素早く指でこすり、サラは男に手の甲をつきだして叫んだ。


「あたしは、魔女じゃない! 偽物よ! これはお絵かき!」


 男が立ち止った。

 一瞬ののち、男は声を上げて泣き出した。

 おいおいと。子供のように。


「だっ、だましたああ……!うそ……つきいいいっ……!」


 びっくりしてエバンズは男の泣き顔を凝視した。

 彼は、奇形だった。


 左右の目はとんでもないほど高さが違っており、生まれつきの変形か頭蓋はいびつで左額がこぶのように突き出ていた。

 背中の骨も曲がっているようだ。

 思わず彼の顔に見入ってしまったエバンズだったが、我に返ってサラに目を移した。


「一体、何事です?」


 サラはふてくされたように、泣く男とエバンズを交互に見た。


「こいつがいきなり私につかみかかってきたのよ。最初は、一緒に遊ぼうだとか、お菓子を食べようだとか子供みたいな事言うから適当に相手してたら、すごい力でつかんで」


 エバンズはもう一度、泣く彼を観察した。

 彼の精神的な幼さは、実際より彼を若くみせているようだが、年齢は50を超えているかもしれない。


「あなたのお名前は?」


 エバンズは彼の隣に立ち、やさしい声をだした。

 男は泣きじゃくるままだ。

 エバンズはポケットからキャラメルを出した。


「いかが?」


 ちら、と彼の目だけが横を向いてエバンズの手の平を見た。

 次の瞬間、彼はさ、と手を伸ばしてエバンズの手からキャラメルをとった。


「あり……がとう」

「あなたのお名前は」


 すん、すん、と鼻を鳴らし、彼はキャラメルの包み紙を開けながら答えた。


「ヨーク」

「ヨークさん?」

「そう」


 ヨークはキャラメルを口に入れ嬉しそうに顔を歪ませた。


「あなたのお家は」

「メテオどおり135ばんち」


 反射的なほどの速さでヨークは答えた。しっかりと答えられるように何度も練習したかのようだ。


「お家に送りますよ。車にのって」

「……もう、かえっていいの?」


 ヨークは素直な瞳でエバンズを見上げた。


「ヨークさんはどなたかといっしょに来たのですか? お一人ではなく?」

「おにいちゃん」


 ヨークはあどけない声で答える。


「おにいちゃんときた。そこでくるまでまってる、って」

「おにいさんの車はどこに?」


 エバンズの問いにヨークは建物と建物の間のある一点を指したが、そこに車はなかった。


「おにいちゃんのくるまが、ない」


 ヨークはまた泣きそうな気配をした。


「大丈夫です。私がお家まであなたを乗せていってあげますから。おにいさんとはお家で会えます」


 ヨークの肩に手を置いて、エバンズは彼を安心させた。

 彼が、こくりと頷くのを確認すると、エバンズは自分たちを見守っていたサラとベアーに向き直った。


「サラさん」


 サラは、エバンズが自分に向ける視線がいつもとは違うことに驚いたようだった。


「手の甲を見せてください」


 エバンズの言葉に、しぶしぶといった感じでサラは手の甲を見せた。

 指でこすって一部は消えかけてはいるが、それは薔薇の模様だった。


「ベアー」


 エバンズは隣に立つベアーをにらみつけた。


「あなたの入れ知恵ですか」

「……いなくなった彼女たちがテス教徒かもしれない、という憶測を彼女に話したことは間違いでした」


 めずらしくベアーはうなだれ、巨体の彼は小さく見えた。


「ええ、そうですね。……ともかく、二人も車に乗ってください。話はそれからです」


 まるで教師に怒られた生徒のようにサラとベアーはその場所に立ったまま、お互いを盗み見た。


「はやく!」


 怯えてサラは身じろぎすると、ベアーとともにエバンズの車へと向かった。






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