第19話 張り込み
ーーガラナ族は、数十年前までミスカ州の一部であった自治区に居住していた少数民族である。
今では自治区は崩壊し、ガラナ族は離散した。
彼らの特徴は、黒髪、黒目、突き出た額、鷲鼻、そして他の追随を許さない誇り高さと勇猛さである。
多民族への攻撃的な態度は、キエスタ南部人と近いものがあった。
罪人や捕らえた敵の皮を剥ぐという風習をもつ民族がキエスタにはいるが、ガラナ族には同様の相手の手を切り落とす風習があり、惨忍な民族として恐れられていた。
過去大昔に、メイヤ教の使徒メイヤーがガラナ族との会合の際に彼らの怒りを買い、片手を切り落とされた話は有名だ。
独自の文化は他の民族には理解し難く、ガラナ族が永らく敬遠される理由であった。
現在彼らを始めとしたいくつかの少数民族出身者で結成されるファミリー『ガラナン』がグレートルイス北部の主な犯罪組織であり、ガラナ族と犯罪のイメージは切っても切り離せない状況にあったーー
傷害事件から一夜明けた翌日、エバンズは制服を着てサラの家に行った。
エルザに関する情報とロザリーの件の報告だった。
ベアーは、テス教の朝の集会が終わってからサラの所に寄ると言った。
サラはロザリーという女性のことは知らない。彼女は、ロザリーが消えてからこの東オルガンに来たからだ。
ロザリーの事件のことはニュースで知ったらしく、かわいそうな女の人だね、と眉をひそめてサラはつぶやいた。
でも、エルザじゃなくて良かった、あの子全くどこで何してんだろ。はやく、見つけてね、巡査。
しばらく休職になったということは、エバンズはサラには言えず、頷いた。
紅茶を用意したサラはエバンズの前のテーブルに置くと、今日はエバンズが座っているソファーの隣に座った。
密かに嬉しかった。
ロザリーに感じたようなときめきを、以前からサラにもエバンズは感じていた。
彼女の体温が感じられそうな距離にドキドキしながら、エバンズは紅茶カップを口に運ぶ。
あ。
ふと気付いて、エバンズは昨晩少年が置いていったネックレスをポケットから取り出した。
「サラさんはこれをご存知ですか?」
どうして、昨晩ベアーがこれをサラに聞けと言ったのかは分からないが、エバンズは聞いてみた。
サラはエバンズがぶらさげたシルバーのアクセサリーに目を止めた瞬間、表情を強張らせた。
数秒間静止していた彼女だったが、ふ、と息を吐くとともに表情を和らげると、エバンズに視線を戻した。
「やだあ、あの儀式のマークじゃん」
「あの儀式?」
「ずっと昔になくなったけど、ガラナ族の成人の儀式のマークだよ、これ。女の子のね」
サラは顔をしかめ、エバンズからアクセサリーを手に取った。そして、円の中に手足を広げた人型のようなデザインのペンダントトップを指先でなぞる。
「おばあちゃんが昔あった嫌な儀式だって言ってた。繁栄の象徴のマークなんだけどさ……ガラナ族の女の子は妊娠して一人前の女に認められるんだ。嫁にやっても大丈夫な身体です、ていう証明だね。年頃になったら、女の子は強制的に妊娠させられる。親族の男たちに相手にね。……わかる? 父親や兄貴や弟や親戚のおっちゃんの相手をしなければならないってこと。信じらんないよね」
「親族相手に?」
「そう。このマークを描いた部屋でクスリでハイになりながらそれをする、てこと。大昔は妊娠するまでしたらしいよ。それで生まれた子の末路は悲惨だって言ってた。女の子の場合はまだ嫁にいけるけど、男の子の場合は一生その家か、母親の嫁ぎ先で飼い殺し。ずっと、召使扱い。……テス教徒の人たちはその風習に反対して、そういう子たちをひきとって育てたんだって。そういう子はしっかり教育うけて、大きくなったらしっかりした職業につくでしょ。それを面白く思わないガラナ族の連中もいて、だからテス教徒とガラナ族は何回かもめたんだよ」
「へえ」
エバンズは、知らなかった歴史に感銘を受けた。ただ単に、ガラナ族はけんか早くどの民族にも牙をむくような一族だという印象があったのだが。やはり、何事もそれなりに争う理由というのがあるのだ。
「君の……おばあさまがガラナ族の人なの?」
エバンズは聞きながら、サラの顔立ちを観察した。
少し奥まった目、高い鼻筋。美しいサラの顔立ちは、そういう意識を持ってみると確かにガラナ族の特徴をもっていた。
「うん……だからあたし、ここにいるの」
答えて静かに微笑むサラにエバンズは何と言っていいか分からず、口をつぐんだ。
「こういうのって隠しててもどこからか分っちゃうんだよね」
東オルガンで見るガラナ族の末裔は、女性ならメイド、男性なら肉体労働者がほとんどだ。
あからさまな差別はここ東オルガンでは見ないが、隣のミスカ州ではガラナ族出身の新任教師が初授業の際、生徒がボイコットした事件がつい最近もあった。
そんなサラのルーツを、ベアーは知っていた。
彼とはそんなことを話す仲なのか。
エバンズは、ベアーに軽く嫉妬した。
「でも、びっくりした。どうして、私がガラナ族の末裔だってわかったの? 巡査。やっぱり、私の顔から?」
サラがエバンズの顔をのぞきこんだ。
至近距離のサラの美貌にエバンズはどきりとする。
「東オルガンに来て、あたしこのこと誰にも言ってないよ。バレたの巡査が初めて。巡査、人を見るの優秀なんだね」
え?
エバンズは面食らった。
ベアーに彼女が話したわけではないのか? じゃあ、なぜベアーは彼女がガラナ族だとわかったのだろう。ーー
「……巡査の目って、綺麗だね。すごく、澄んでる」
サラが声の質を変え、目尻が大きく切れ上がった独特の目でエバンズを見つめた。
ネコ科の野生動物に狙いを定められた小動物のような反応で、エバンズは固まった。
そんなことを言われたのは初めてだ。
こんなに美しい女性から容姿の褒め言葉をもらったのも。
「唇はかわいいね。小さい男の子みたい。ピンク色でぷくぷくしてる。リップクリームちゃんと塗ってるんだ?」
乾燥肌のエバンズは、母親に幼いころから始終リップクリームを塗るようにしつけられた。
今では塗らないと気持ち悪くて、ひと月に一本は使い切る。
サラの目が濡れて輝きを増したようにエバンズは感じた。
……制服を着てるけど、今日は非番だ。いや、停職中だ。
いいわけするかのようにエバンズは考える。
彼女には今日、私用で会いに来たのも同然。ーー
サラの顔が近づいてきた。
コン。
入り口のドアがノックされた。
エバンズまで距離は寸分違わず、というところでサラは動きを止める。
ち、とかすかにサラは舌打ちしたあと、ソファーから立ち上がってアクセサリーをテーブルに置き、ドアへと向かった。
……ベアーか。
我に返って、エバンズは気持ちを落ち着けようとテーブル上のカップに手を伸ばし紅茶を口に含んだ。
今になって急に胸が早鐘を打ちだした。
「エバンズさん」
サラにドアを開けてもらい、中に入ってきたベアーは今までサラが座っていた位置に座った。
「遅れました。今日はハーディー神父の話が長引きまして」
いえ、もっと遅れてきてくれても良かったですよ、とエバンズは心の中で若干ふてくされて答えた。
それよりも。
「ベアーさん……ベアーさんはどうして、彼女がガラナ族の末裔だと知ったのですか」
キッチンでベアーのために紅茶を用意しているサラを気にしながらエバンズはベアーに寄り添い、小声で聞いた。
「……あー、それは彼女の言葉からです」
エバンズもささやき声で返す。
「行為中の。民族によるとらえ方の違いだと思いますが。……私たちは行く、と表現しますね。でも彼女は、来る、と」
エバンズは口に含んでいた紅茶を吹いた。
あわてて、ポケットからハンカチを取り出して口周りをぬぐう。
「ガラナ族出身の作家の本を以前、原文で読んだことがあります。そのときのことを覚えていまして」
どんな内容の本ですか、と問いただしたくなるのを、紅茶をもってきたサラの姿を見てエバンズはこらえた。
ありがとう、とベアーはお礼をいい、湯気が漂うカップを優雅に持ち上げ口に運ぶ。
その品のいい彼の様子に、ずるい、とエバンズは文句をいいたくなった。
「今日は休日でしたので、ダニエルに会いました」
一口飲んだ紅茶を置いて、ベアーはエバンズに向き直った。
「エルザだと思われる女性はまだ見つかっていないと、彼に告げました。彼はとても心配していました。ロザリーという女性の事件を新聞で知ったようです。彼女の姿がエルザに重なったのでしょう。……それから、ダニエルの通っているハイスクールも、例のハイスクールなのであの少年たちについて知らないか彼に聞いてみました」
「少年たち?」
大きなマグカップを両手で包みこんで、サラが床に座りながら聞いた。
ベアーが手短に昨日のことをサラに説明した。
ひどいね、それ。
憤慨した様子で、サラがエバンズの顔を見て何度も首を横に振った。
一人の少年から自分が受けた暴力を聞いたサラは笑うかと思ったが、サラは本気でその少年に怒ってくれた。
頬をふくらませたサラのその顔がとてもかわいくて、エバンズは心が癒されるのを感じた。
「以前から、家柄が高い少年たちを中心としたグループがあるとか。ダニエルは関わりがありませんが、不愉快そうな顔をしていました。彼らは時々、派手なホームパーティーをやらかしたり、万引きや恐喝なども行っているそうです。……彼らの両親が実力者なので、両親が金にものを言わせて公にならずにたいていはもみ消されると、ダニエルが言っていました」
だめじゃん、巡査。
サラの言葉に、まったくです、とエバンズはうなだれる。
まったくもって信じられないことであるが、昔から王族貴族が犯した犯罪は多少のことなら見逃すという暗黙の了解が、東オルガン市警にはあった。
「それで、例のシルバーのアクセサリーですが。あれは少年たちのグループの会員証みたいなものだそうです」
「あれがあ? 趣味悪いガキたちだね。意味わかってんのかな」
サラが声を荒げた。
「以前、ガラナ族等の少数民族ファッションが若者の間で流行ったことがありますね。その延長上でしょうか」
そういうベアーにこの人はなんでも知ってるんだなあ、とエバンズは感心しながら、最後の紅茶をのどに流し込んだ。
ファッションに無頓着な自分が恥ずかしくなるよ。
あ。
突然、昨日の少年の怯えた顔と言葉がセットになって、エバンズの頭に蘇った。
「昨日の、自転車の少年ですが」
エバンズはベアーとサラの顔を交互に見た。
「彼は私を見て、おびえて逃げ出したのかと思いました。ウォルフガングさんに暴力をはたらいた少年たちの一人かと思って、私は追いかけたのです。でも彼は、その少年たちの一人ではなかったのかも」
彼が自分を見て怯えて吐いた言葉。
「彼は私を見て弁解するように言いました。あの女が死んだのは僕のせいじゃない、僕だけじゃない、みんなもだと。やめよう、といったのだと。そのとき、私は何を言っているのか分からなかったのですが。……もしかして、それは」
昨夜の昼には、一昨日の夜、東オルガンで起こったあの事件はテレビのニュースで報道されていただろう。
夕刊にも出ていただろう。
「ロザリーという女性をさしているかもしれないということですか?」
エバンズの言葉を受けたベアーの答えに、エバンズは肝が冷えたような心地がした。
あの少年は、ロザリーのことを知っていたのか?
彼女の死を知り、動転していたときに僕に出くわしたのか?
だとしたら。
「ロザリーという女性は妊娠していて、出産時に死亡したのですよね」
ベアーが言った。
しん、とした沈黙があたりを包んだ。
「……じゃあ、こういうこと? 巡査。もしかして……考えたくないけど……いいとこのボンボンたちが、儀式に似せた遊びでロザリーさん相手にずっと乱痴気騒ぎしていたかもしれない、てこと?」
サラが、エバンズの考えを代わりに口に出した。
「そうだとは」
だとしたら、恐ろしいことを。
エバンズは総毛立った。
「……何らかの関与をしているのではないかと、思います」
あの少年を見つけ出さねば。
エバンズは決心した。
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