第10話 ギール

「……どう思いますか?」


 教会から帰る途中、ハンドルを切りながらエバンズは隣の助手席に座るベアーに話しかけた。


「どうといいますと」

「エルザは彼女自身の考えで姿を消したのでは? ダニーの家は代々医者の家系で有名です。……ダニーの将来を考えて身をひいたのではないかと」

「……一人で子供を育てるつもりで?」

「それはどうでしょう。堕胎して、新しい生活を始めるつもりかもしれませんし」

「彼女が姿を消したのは、ダニーとの待ち合わせ場所に向かう途中に何らかの事件に巻き込まれた可能性もあるとは思いますが」

「はい。それもあるとは思います。もちろん、その可能性も忘れたわけではありません」


 エバンズはため息をついた。


「それにしても、最近の子は。学校で教わらなかったのかな。僕がハイスクールの時は授業で避妊をしっかり教わったのに」

「まったくです」


 ベアーが当然といった感じで応じた。

 ちらり、とエバンズは横目でそんなベアーを見た。


 彼がいうとなんだか腹ただしいな。

 エバンズは一言いってやりたい気持ちにかられて、言ってしまった。


「あなたは、完璧に避妊していらっしゃる?」

「はい。私には種がありませんので」


 ベアーの答えにエバンズはドキ、としてハンドルを思わず握り締めた。


「パイプカットしてますが、病気は防げませんので避妊具も着用してます」

「あ、そ、そうですか」


 しどろもどろにエバンズは相槌をうった。


「そ、それはまたなんで」

「いろいろトラブルがありまして。懲りたといいますか」


 彼の過去の女性関係はそんなに激しかったのか。

 ……それはそれで想像するとまたむかむかしてくるな。

 エバンズは心の中で舌打ちして話題を変えた。


「……彼、ダニーがギールとアネッテを引き合いにだしてくるとは思いませんでした」


 エバンズはダニエルの最後の表情を思い出す。熱っぽい一途な眼差し。


「あの年代の子たちは、歴史上や映画の中の人物に自分を重ねて、相手を愛しているとなかば自分で暗示をかけているようなものかもしれませんね」

「あなたはどうだったんですか、エバンズさん」

「……え?」


 ベアーの問いにエバンズはとぼけた声が出た。

 ベアーは苦笑する。


「エバンズさんがハイスクール時代に交際していた彼女とは」

「あっ」


 エバンズは息をのむ。


「あ、はい……はい。いえ、僕も彼女も割とリアリストだったんで、そうでもなかったです。はい」

「そうですか」


 心の中でため息をついてエバンズはハンドルを握る手に汗をかいているのを感じる。


「ギ、ギールは生涯独身を通したそうですが、あの時代の聖職者はそれが普通でしたでしょう。アネッテが追放されずとも、彼女とギールが結ばれることはなかったと思うのですがねえ。僕はそう思いますけど、ベアーさんはどうです?」

「……二人とも結ばれることはないと承知の上での愛情だったのだと思います。もしくは、近すぎてそういうのを超えてしまった関係だったのかもしれない」

「えーと、師弟関係のようなものでしたっけ、二人は」

「そうですね。でも、アネッテの方が年が上だったそうです」

「そうなんですか? ……じゃあ、アネッテから見るとギールは出来の良すぎる弟、みたいな」

「ギールにとっては世話のやける可愛くてたまらない姉、のような」

「ははあ、なるほど」


 上二人に姉を持つエバンズは得心がいった気がした。

 使徒ギールを助けるために十人の男の相手をして父親の分からない子供を宿し、国外へ追放された悲劇の女性アネッテ。

 が、その先キエスタで彼女は実におおらかで奔放な女性へと姿を変える。

 美と快楽と豊穣の化身、キエスタの女神ネーデに生まれ変わってしまった。

 その変身ぶりが、エバンズには納得いかなかったのだ。

 だが、アネッテがもともと薄幸の美女ではなく、頼りになるおねえさんという人物だったとしたら、そのほうが自然だと思った。


「アネッテを失ったギールはたしかに一生悔いたと思います。償っても償いきれないと」

「アネッテは追放先のキエスタで、ラミレス?……でしたっけ。彼と結ばれたから、めでたしめでたしではないですか。むしろ、残されたギールの方が私は哀れでならなかったですよ。迫害を受けながらも、必死に孤児を育てあげて」


 ギールはその後、王家から壮絶な迫害を受けることになる。

 敗戦した敵国の戦災孤児をひきとって育てたギール一派を、王家は危険とみなし辺境の地へ追いやった。

 山奥や半島の端の海岸沿いにテス教徒が多いのはそういうわけである。


「あの時が一番王家からの迫害がひどかった時代ではないですかね。メイヤ教の使徒たちも彼らの存在を無視した。テス教徒を無実の罪で刑に処して財産を奪ったりだとか、テス教徒の兵士たちは戦場の最前線に送ったとか、テス教徒の女性から子供を奪い、メイヤ教徒にしたりとか。ならず者のメイヤ教徒がテス教徒の若い娘をさらって、……子供を産ませたり、というのも聞いた事があります」


 ひどい話です、とエバンズは車を自分の家の前で止めた。

 父と母が自分に残してくれた一軒家。

 両親二人は、グレートルイス南部の暖かい土地に家を買い、老後はそこで暮らすと去年出て行ってしまった。

 姉二人はこの近くに嫁いでおり、時々は子供を連れて遊びにきてくれるが、独身の身には広すぎるさみしい家である。


「少し遅くなりましたが、昼食を一緒にどうですか。たいしたものはつくれませんが」


 エバンズはベアーを誘った。


「いいのですか?」


 ベアーはおどろいて目を見張ったあと、少し考えている素振りをみせた。


「もし、よろしければ私に昼食を作らせていただきたいのですが」

「え? かまいませんが」


 変わった男だな、とエバンズは思った。

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