こいとあい 習作

すみかわ

恋人未満のバレンタイン

「チョコレート、あげる」

 私が所属しているサークルのたまり場であるラウンジに行くと、突然先輩は私に小振りな紙袋を差し出してきた。今日はバレンタインだ。

「わー、ありがとうございます! 私も持ってきたんですよ、はい、これ」

 私はシックで高級感に溢れた紙袋を受け取ったのと反対の手でトートバッグの中を漁って、適当に一掴み分のチョコ菓子を取り出した。こんなこともあろうかと思い、市販のファミリーパックをかなりの量を用意しておいたのだ。先輩は春先に芋虫でも見つけたような顔をして、今にも手のひらからこぼれそうなチョコを受け取る。

「ありがと。うわぁ……情緒も何もないね、花ちゃん」

 せめてもっとこう……ラッピングしてみるとか、などとぐだぐだ言いながら先輩は両手でろくろを回している。先輩の座っているベンチの隣に私は腰を下ろした。

「いやだなぁ、義理チョコなんだからこれくらいでいいんですよ。変にラッピングしたりいいやつ買ってったりするほうがもらった人に重くなっちゃう」

 先輩が私の挙動に文句をつけるのはいつものことなので、笑顔で返す。いい加減私だって慣れている。費用対効果で考えたら、会う人会う人に安いチョコをばら撒いているほうがいいに決まっているのだ。特に「本命」がいるわけでもないのに気合いを入れたって仕様がない。

「むしろ先輩、みんなにこんなの配り歩いてんですか? サークルのみんなにゼミの人とか入れると結構数があるんじゃ」

 この紙袋、先日百貨店で見かけたお高いやつでは、としげしげ中身の小箱を覗いてから先輩に視線を向ける。

「おやー、俺にそういうこと言うー?」

 言葉尻に笑みを含ませつつ、先輩は私から受け取ったチョコの一つを開封して口にほおりこんだ。なんだかんだ言いつつ食べるんだよなぁ、この人は。

「普段バイトして、たいした趣味もないとくれば、暇な大学生にとっちゃこれくらい安い安い」

 確かに大学生活も後半に入り、さして熱心に活動しているわけでもない私たちのサークルに所属しているとなれば、納得できないわけじゃない。先輩のバイト先、どこだったっけ。カテキョだっけ。よく覚えていない。なんにせよ、えらく羽振りのいい話である。

「そりゃあいいですねー。私はそんな余裕はないので、お高いチョコは自分用のものしか買ってないですよ」

 先輩がくれた紙袋のブランドもその時に見かけたのだ。人ごみにさらわれて値段は確認していないが、そこそこするんだろう。多分。

「自分用には買ったのか」

 今度は溶けかかった雪だるまみたいな顔をした先輩があきれたように言う。

「そうですよ、こんな時でもないといいチョコレートなんて食べようと思いませんからね」

 場の空気に流されて、というやつだ。面白半分で覗きに行ったあの百貨店のイベント会場の熱気はただ事ではなかった。きりっと決めたお姉さま方が義理チョコだかなんだかのためにお札が何枚も飛んでいくお値段のチョコをばかばかと買い込んでいた。バイト先の後輩を連れてイベント会場でただ流されていた私も、多少あてられたのだろう。気が付いたら普段買わないようなメーカーのチョコレートの小箱がいくつか手元にあった。

「そーかい。花ちゃんは結構流されやすかった、と」

「ま、そういうことですね。あれはすごかった」

 私はこくこくと頷き、膝の上にもらったばかりのチョコレートの小箱を取り出してみた。いざ、開封。

「ちょーっと待った」

 先輩が私の小箱を攫っていった。

「何するんですかー、いいでしょ、食べたっていいでしょー?」

 小箱を奪い返すため手を伸ばすが、届かない。この先輩、妙に手足がひょろ長いのだ。

「これ、コーヒーと合わせるとおいしいんだってさ」

 私の手が届かないところで悪戯っぽく先輩は小箱を振る。厭味か。

「ほう? 先輩も食べたことあるんですか、このチョコ」

 気になって手を引っ込めた。先輩が小箱を私に返してくれる。今度は奪われたりしないように、きっちりがっしり小箱をホールドする。

「いや? 売ってた人が言ってた」

「なるほど」

「だから、家かどっかでコーヒー淹れて食べたほうがいい」

 人差し指を立てて振りながら、そんなことを言う。今は午後の講義が終わったばかりで大しておなかが空いているわけでもないし、その提案に乗るのはやぶさかではない。

「別に私はそこまでこだわらないんですけども」

 なんとなく引っ込みがつかなくてぼそぼそと言い募る。

「だめです。コーヒーと食べましょう」

「先輩キャラおかしいですよ」

 普段からへらへら笑っている先輩らしくない口調に、そんなに生真面目な性格でもないでしょう、と思わず笑ってしまった。

「気にするな」

 ふと先輩のスマホのアラームが鳴りだす。

「お、バイトが呼んでる」

 鞄から取り出したスマホの画面を確認し、先輩がつぶやく。

「もうそんな時間でしたか」

 先輩はいつもこんな夕方からバイトに行ってたっけ、と考えてみるも、思い出せない。私と先輩の関係などは、そんなものなのだ。

「そうみたい。じゃ、俺行くわ」

「はーい。次の会議、先輩も来るんですよね?」

 来週に予定されている会議では、来年度の活動予定を詰める手筈になっている。

「その予定。なんかあるの?」

「いえ、予定外のことは特に。確認です」

「そ。じゃあね」

 そう言って先輩はいつも使っているメッセンジャーバッグを肩にひっかけてラウンジを出ていった。



 その日の夜、帰り道に奮発して買ったドリップコーヒーを用意して、件のチョコレートを開封した。ほう、と息が漏れる。整然と並んだ、帯留めみたいに繊細で華やかな造形のチョコレートに否が応にもテンションが上がる。よく考えたらこれをもらった時のひと悶着で結構振り回していた気もするけれど、影響はなかったようだ。一粒一粒が小振りであったことも幸いしたのだろう。

「い、いただきまーす……」

 そっと口に含めば豊かなカカオの香り。なのに、カカオ90%!みたいなチョコレートみたいに苦くない。甘ったるいのはあんまり得意じゃない私でも、いくらでも食べられそうだ。目を細めてゆっくりと口の中で溶かす。中からとろっとしたチョコレートのクリームが出てきた。なんだこれ、常温のフォンダンショコラみたいな? すごくおいしい。コーヒーを啜ると、これがまたいい。口の中が天国。今なら昇天できるかも。もらった時に食べなくて正解だった。私でも本当においしいものを食べると語彙って豊かになるんだな……なんてしみじみと思いながら、チョコレートを食べすすめた。ラズベリーの香りがするもの、ピスタチオの風味があるもの……チョコレートの可能性ってこんなにあったんだ。

 なんて悶えながらチョコレートを食べ終えてコーヒーを飲み干し、その勢いのまんま先輩にメッセージアプリで礼を言った。来週には会えるのだし、お礼はその時でもいいのかもしれないけれど、この感動が鮮やかなうちに、と思って、「もらったチョコ、とんでもなくおいしかったです! コーヒーと一緒に食べて本当に良かったですよ!」というメッセージと、目を輝かせているネズミのスタンプを送った。満足してベッドの上に転がる。

「そういえば」

 結局このチョコ、おいくらくらいだったのだろう……。こんなおいしいものをいただいてしまって、ファミリーパックのいつものチョコ菓子と等価、ってのはさすがにあんまりだろう。それくらいの良識は私にもある。充電器につないだスマホで、パッケージに書いてあるブランド名を検索した。ふむふむ、どうやら私が後輩と一緒に行ったイベントに出品していたブランドらしい。やっぱりか。もらったチョコと同じ写真を探し当て、その下に控えめに書いてある値段を確認する。

「え、うっそ」

 思わず声が口から声が飛び出した。諭吉1人じゃ足りないぞこれ。正気か。いや、正気なんだろうけれど。これを数人……おそらく十人以上も配っていたのか、先輩。金持ちってレベルじゃないぞ、金銭感覚が麻痺しているレベルだぞ。

「おかえし……どうしよう……」

 幸せな気持ちのまんま寝たほうが良かった。しかし見てしまったものはしょうがない。とりあえず寝てしまえ。明日の私が名案を思いつく可能性に賭けて、寝てしまおう。転がった姿勢のまま布団をひっかぶり、ごそごそと遠隔操作の照明のスイッチを切った。

 その日は、先輩にもらったチョコをひたすら食べ続ける、という夢をみた。すごく幸せなんだけれど、いつのまにか、隣に先輩が座っているのだ。いつものようにへらへらと軽薄に笑った先輩が、頬杖をついて私がチョコを食べるのを見ている。そして、「よく太ったころには、おいしく食べてあげるからね」、なんて言ってけらけらと笑うのだ。その口は大きく開いて、目は吊り上がり、幼いころに読んだ「ヘンゼルとグレーテル」の魔女みたいになっていく。けたけた笑う声がこだまする中で、私はチョコを食べ続けていた。我ながら食い意地が張っている夢である。目が覚めた私が思わずおなかのお肉をつまんだのは、無理のないことだと思う。

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