第92話 1分だけだぞ

「・・・いいのか?」

「構いません。自業自得です・・・」

 そう言うと舞は少しだけヨロッとしたが、すぐに姿勢を正した。そしてまだ涙目ではあるが真っすぐ俺の方を見て

「拓真先輩・・・好きです・・・付き合ってください」

それだけ言うと舞は涙をボロボロと流し、そのまま俯いてしまった。その後は肩が小刻みに揺れて明らかに声を出して泣かないよう必死に堪えているが分かる。

 俺は舞にどう返事をすればいいのか迷った。結論だけ言えば「ごめんなさい」の一言で終わりなのだが、その返事を聞いたら舞は俺たちの前から離れていってしまうだろう。

 藍はその方がいいに決まっている。さっきまでの態度がそれを証明しているし、俺を狙うライバルが減る事は藍にとっては好都合だ。

 だが、俺はここで気付いた。舞がいなくなるのは避けねばならない・・・それは唯が不安定になるからだ。二週間前、唯は舞が一緒に登校しなかった時に不安げな顔をして本気でいなくなる事を怖がっていた。あいつは誰かが自分の前からいなくなるのを極端に恐れている。だから明日から舞が俺たちの前からいなくなる事は唯にとってはマイナスだ。

 藍の機嫌をとりつつ、舞を今まで通り俺たちと一緒に登校してもらう方法があるのだろうか?普通に考えれば有り得ない。だが、それをやらねばならない。しかも長々と返事を待たせるのは舞に失礼だし、藍も怪しむ。

 何か手はないだろうか・・・いや、一種の賭けだが1つだけ方法がある!!

「・・・いいよ」

「「へ?」」

 舞は驚いたような声を出し、顔を上げた。当然だが藍は「聞き間違いじゃあないの?」と言わんばかりの顔をして俺の方を見た。

「た、拓真先輩・・・い、今、たしか・・・」

「ああ、いいよ。でも、1分だけだぞ」

「・・・せんぱーい!」

 舞は涙目のまま俺に抱き付いてきたが、そのあとは大声で泣き始めた。藍は半ば呆れたような顔をしていたが怒ってないようだ。俺は舞を慰めるように頭を軽く撫でてやった。

「う、うぐっ・・・うわーーーん」

 そのまま暫く舞は泣き続けたが、やがて落ち着いたようで、時々肩をピクッと動かしているが、さっきまでのような号泣ではなくなった。

「・・・たくまくーん、いくらなんでも1分が長すぎないかしら?どう見ても3分は経過してるわよー」

「あー、わーかったー・・・舞、落ち着いたか?」

「・・・はい、もう大丈夫です」

 そう舞は言うとニコッとした笑みを浮かべ、俺から離れた。その顔に曇りはなく、泣いた事で気持ちの整理が出来たというような顔に思えた。

「・・・拓真先輩、短い間でしたが幸せでした・・・最後の最後に1分だけでしたけど彼女にしてくれてありがとうございました」

 そう言って舞は頭を下げ、そのまま後ろを向いて俺の前から立ち去ろうとした。藍も別に怒った表情は見せず、かと言ってクールな目も見せず、普通の顔をしている。

 だが、俺が言いたかった言葉はまだ言ってない!

「・・・舞、一つ聞かせてくれ」

 その言葉に舞は立ち止まり、再び俺の方を振り向いた。

「・・・拓真先輩、何か御用でしょうか?」

「・・・お前、中間テストの結果はどうだったんだ?」

「へ?」

「だーかーら、中間テストの点数はどうだったんだ?A組の平均点を上回った教科があったのか?」

「拓真君、どういう意味?何の話をしているの?」

「藍はちょっと黙っててくれ!」

 俺は藍の方を見て怒鳴った。藍はまさか俺が怒るとは思ってなかったらしく驚いたような顔をしていたが、話の腰を折ったのが自分だと分かっていたから素直に黙ってくれた。

「・・・舞、結果を教えてくれ」

「・・・拓真先輩、国語だけが1年A組の平均点を上回りましたが、他は駄目です。でも、全教科で学年の平均点を上回る事が出来たのは拓真先輩が励ましてくれたからだと思ってます。ありがとうございました」

「・・・そうか」

「じゃあ、これで失礼します」

 舞は俺に軽く頭を下げた。話は終わったと言わんばかりの表情で、もう既に舞自身の気持ちの整理はついていると目が訴えているようにも見える。

「おーい、舞。俺の話は終わってないぞー。ちょっと待て!」

「えー、まだ何かあるんですかあ?もう何も話す事はないですよー」

「いや、俺の方はある。だから聞いてくれ」

「・・・はいはい、1分だけとは言え元カノですから、それ位の頼みは聞いてあげますよ。何でしょうか?」

「・・・あの時、お前に約束した件だけど・・・俺は『今回の中間テストで』とは一言も言ってないぞ」

「へ?」

「だーかーら、あの言葉はまだ無効になってないし今回の中間テスト限定の勝負ではないって話だ」

「じゃ、じゃあ、期末テストで達成できたら・・・」

「ああ、構わんぞ。さすがに再来年の3月には卒業するから舞が2年生の時の学年末テストは無効にせざるを得ないが、2年生の2学期の期末テストまでは有効と認めざるを得ないからな」

「・・・拓真君、この子と何の約束をしたの?どういう意味なの?今ここで説明して頂戴」

「おーい、舞。今の藍の言葉通り、藍は『A組の女王様』として君臨しているから男は自分に従うのが当たり前という態度を崩さない。唯は『A組の姫様』だから男は自分の頼み事を聞くのが当たり前という態度を崩さない。つまり、二人とも『自分が上だ』という立場を崩さない。だから藍も唯も絶対に自分から『あれ』をやるという事は有り得ない。でもお前は違う、いつも自分が下という立場を崩さない」

「・・・拓真先輩、それって・・・」

「それに、ああ見えても唯は相当嫉妬深くてなあ。この前の大喧嘩というのは嘘だが、ちょっとした事で俺に喰って掛かるのは日常茶飯事だ。いつ俺と喧嘩別れしてもおかしくないぞ」

「・・・という事は、わたしは藍先輩や唯先輩に敵わないのではなく、逆にわたしの方が有利だと言いたいんですよね?拓真先輩はわたしのようなタイプの子が好きだと言ってるんですよね!唯先輩と本当に別れたら、藍先輩よりわたしを選ぶって言いたいんですよね!!」

 舞の目が輝いている。そりゃあそうだろ、「ミス・トキコーと準ミス・トキコーが相手では敵わない」と思っていたのに自分の方が有利だと思えば、誰だって自信が出てくる。逆に藍は不機嫌そのもので今にも俺に罵声を浴びせかるかの如き顔をしているくらいだ。

「・・・そこはお前自身が判断しろ。俺は自分では言いたくないからなあ。藍は毎日観察できる立場にいるから、隙あらば唯を本気で叩き潰す気でいるのはお前も聞いた通りだ。だから、お前がいなくなると藍にとっては好都合になるし、お前も絶好かつ唯一のチャンスを藍に持って行かれる事になるぞ。お前がそれでいいと思っているならそれで構わんし、それがいやだと言うなら、唯に気付かれる事なく今まで通りに接していた方がお前にとってプラスになると思うぞ。与えられた情報から正しい答えを導き出すのは舞の方が上だというのは2年生ナンバー1才女の藍自身が認めているんだから、藍よりも早く気付けばお前が手に入れられる訳だ」

「・・・で、でも・・・」

「俺はこれ以上お前を問い詰める気はないし、仮に藍がお前を生徒指導室へ告発したとしても、俺は『知らぬ・存ぜぬ』の立場を押し通す。実際、唯はこの話を知らないし、俺が否定したら生徒指導担当の植村先生はお前を処分する事は不可能だ。それに証拠の手紙はビリビリに破って『燃えるゴミ』として他の燃えるゴミと一緒に市に出したから今頃は灰になっているぞ。何より、唯は誰かが自分の周りからいなくなるのを極端に恐れている。実際、2週間前の唯はお前が何の連絡もなく一緒に登校しなかったというだけで本気で怖がっていた。それ位に唯は精神的に不安定だ。その唯を助ける意味でも俺はお前の力を必要としている。お前にとっては辛い事かもしれないが、俺を助けてくれないか?」

「・・・拓真先輩はわたしの力を必要としているんですか?」

「そうだ」

「・・・一晩、考えさせてください。この場で答えられる自信がありません」

「・・・分かった」

 俺はできれば舞に「わかりました」と即答して欲しかったが、これは俺の勝手な都合だ。舞から見たら、自分の希望を奪い去った相手の為に力を貸せと言われたも同然だからな。それに、俺が唯と別れない限りあいつにとってはいい事は何もないから拒否されたとして俺は文句を言えない立場だ

「・・・藍先輩、色々とご迷惑をおかけいたしました」

「拓真君が気にしないと言った以上、もう私がとやかく言う意味がないわ。だから私もさっきの話は聞かなかった事にするわね」

「ありがとうございます」

「ただ、あなたに拓真君を譲る気はないわ。あとはあなた自身が判断して頂戴。私はどっちを選んでもあなたを責める気が無いと言っておくわね」

「・・・分かりました。では失礼します」

 そう言って舞は俺と藍に背中を向けて立ち去った。でも、その直前に一瞬だけ俺に目を合わせ、ニコッとした。

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