第76話 閃いた

“ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ”

 ここでキッチンタイマーが鳴った。どうやら時間になったようだ。俺はわざと時計を見てなかったからあっという間に授業が終わったように感じたが、高崎先生は無事に模擬授業を終えて心底ホッとしたような顔を見せた。

「おーい、佐藤拓真。お前、授業中に何かを思い出したかのような表情を1回だけ見せたが、何かあったのか?」

 山口先生が授業が終わった途端、俺に向かって言ってきた。

 俺は言うべきかどうか迷ったが、言わないと高崎先生の為にならない。だから正直に言う事にした。

「あのー、こう言ったら山口先生に失礼かと思いますが、授業そのものは山口先生が担当した時よりも分かり易く感じました。ただ、高崎先生は背が低いので黒板を上下に広く使う事が出来ません。上は届かないので使う事が出来ず、かと言って下の方は、前側の生徒など一部の生徒しか見えないというのが分かっているので使う事が出来ず、結果的に全体の3分の1から4分の1位のスペースしか使う事が出来ないのです。ですから、何度も黒板を消さないと新たな字を書けないため、そのための時間ロスがかなり大きいと思います」

「たくまー、高崎先生の授業の方が分かり易いと言ってくれるのは複雑な気分だが、正直な感想を言ってくれて助かるぞ。たしかに昨年秋の実習の時に比べたら格段の進歩だと先生自身は思うぞ。でも、高崎先生は背が低いから黒板を大きく使えない。結果的に多くの文字を書こうとすると字が小さくなってしまう。これは授業を受けようとする側からすると非情に辛い。佐藤姉妹の方はどう思った?」

 山口先生は、高崎先生の模擬授業を聞いて、俺と同じ感想を受けたようだ。さらに藍と唯も俺と同じ感想を持ったようだ。高崎先生は『山口先生より分かり易い』と言ってくれた事には非常に喜んでいたが、さすがに背が低いというハンデはどうしようもないと言って少々凹んでいた。

「あのー、私から一つ提案があるんですけど、いいですか?」

 ここで藍が手を上げた。山口先生は「いいぞ。言ってみろ」と言って藍に続きを促した。

「たしか体育館の器材庫には高さ20センチ程度のステップがいくつかありましたよね。それを1つ教室に持ち込んで使う訳にはいきませんかねえ」

「うーん、それはいいアイディアだが全部をカバーできないし、だいたい、誰が持って行くんだ」

「あー、それなら日直か男子に頼めば?だって、高崎先生は特に男子には物凄い人気があるんでしょ?だから「運んでね」と言えば、男子が張り切って運ぶんじゃあないかなあ」

「おいおい、佐藤唯、随分簡単に言ってくれるなあ。まあ、『A組の姫様』が頼み込んだら男子は嫌と言わずに引き受けるだろうから、お前らしい発想だな。たしかにそれはそれでいい案だから、ステップを用意するという案は先生の方で教頭先生に伝えておこう」

「あー、山口先生、ありがとうございます」

「任せろ!」

 たしかに藍と唯の提案はいい案だと思う。ただ、それでも黒板を広く使う事が出来ない点は変わらない。何かいい案はないだろうか?

 俺は、ふと教師用の机の上に置いたファイルに目が行った。

「あのー、高崎先生。机の上に置いてあるファイルを時々見ながら授業を進めていたけど、そのファイルには何が入っているんですか?」

「あー、これですかあ。何ならお見せしてもいいですよー」

 そう言って高崎先生は俺の所にファイルを持って来て、それを俺に見せてくれた。藍と唯も俺の机の所にきて、そのファイルを覗き込んだ。

 高崎先生が持っていたファイルに入っていたのは、今日の模擬授業の進め方を自分なりに作った、いわばオリジナルテキストだ。さっきの1時限目の範囲でやった内容はA4の紙2枚で作られていて、重要な所をピックアップした冊子になっている。藍や唯はそのオリジナルテキストを見て「要点が整理されている」とか「これなら私でも教えられそうね」とか口々に言って感心していた。高崎先生は「いやー、それほどの物でもないですよ」と謙遜していたが、山口先生も褒めていた。

 俺はこれを見て、ある事を閃いた。

「あのー、俺、中学2年の社会の授業を思い出したんだけど、その先生は教科書を基本的に使わず、オリジナルテキストを毎回用意して、それを生徒に配布していたんです。そのオリジナルテキストに従って授業を進め、ポイントとなる部分だけ黒板に書いていったんですよ。だから教科書も黒板も使う事はあまりなく、むしろオリジナルテキストだけで授業を受けたような物でした。この高崎先生が作った最初の2枚は、今日の1時限目の模擬授業の内容をピックアップして作った物ですよね。だったら2時限目は、これを生徒用に作り替えた物を用意し、オリジナルテキストを使って進めてもいいのではないでしょうか?」

 俺の発言に対し、山口先生が「あっ」と声を上げた。

「たしかに言われてみればその通りだ。副教材としてプリントを配布する事は他の先生もやっている事だから、決して悪い事ではないし、実習生がプリントを配布してはならないという決まりもない。だから、高崎先生が授業を始める前にプリントを全員に配布し、それを元に授業を進めれば、無理して黒板に書く必要もなくなる。拓真、いい事を言ってくれたな。感謝するぞ」

「あー、それ、唯も経験あるよー。唯が中学1年の時の国語の先生がそうだったよ。唯の場合、ノートに書き写さずプリントに注釈をどんどん書き込んでいったから、中学1年の時は国語のプリントをファイリングする為の物を自分で用意した位だったからね」

「うーん、私はそういう経験はないわ。でも、そういう授業も有りだと思うわよ」

 唯は懐かしそうな顔をしながら話をしていたが、藍はそのような授業は受けた事が無いと言った。それでもプリントを使う授業があってもおかしくないと肯定的な意見を述べたから、高崎先生は思わぬ所で褒められて謙遜していたが、俺たちが自分のやり方を肯定的にとらえてくれた事で結構やる気が出て来たみたいだし、さっきまでの緊張した顔が嘘みたいに自信満々の顔になっている。

「あのー、この自作のテキストは私の鞄の中のUSBにはいっているので、それを元にして生徒用のプリントを作って、そのプリントを使った授業で2時限目をやってみるという事で山口先生もいいでしょか?」

「高崎先生がそれでいいと思うならやってみてくれ。とりあえず職員室にあるパソコンを使って構わないからやってくれ」

「じゃあ、お言葉に甘えてパソコンをお借りします」

「佐藤きょうだいは、プリントが出来上がるまでは休憩という事でいいか?」

「俺たちは構いませんよ」

「じゃあ、折角だからお前たちも職員室に来い。お茶とお茶菓子くらいなら職員室にあるから、それで休憩しながら待つとしよう。高崎先生も少し休憩してからやってくれればいいぞ」

「あー、そうさせてもらいまーす」

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