第62話 心配して損したなあ

「ただいまー」


 藍が帰ってきたのだ。

 唯はこの声が聞こえた瞬間、顔が真っ青になったかと思うと、一転して真っ赤になった。

 俺もこの声を聞いた瞬間、我に返った。そして声が出た。

「唯、すぐに服を着るんだ!早く!!」

 藍はゆっくりと階段を上がってきた。そのまま藍は向こう側に行ったようで、足音が小さくなった。だが、急にドタバタと足音が俺の部屋に近付いてきて、ノックもなくいきなりドアが開いた。

「拓真君!唯さんは?」

「あー、ここで『ぷよんぷよん』してるぞー」

 そう、唯は俺のベッドの上でスマホをいじっていた。ブレザーは脱いだままだが、あーだこーだ言いながらスマホで『ぷよんぷよん』をしていた。俺も自分の椅子に座り、机の上に置いた4DSで『マリコカート』をしていた。

 藍は一瞬あっけにとられたような顔をしたが

「あーあ、何か心配して損したなあ。拓真君の部屋で泣いてるのかと思っていたからね」

「あー!お姉さんひっどーい!さすがに学校では凹んでいた事は認めますけど、今は大丈夫だよー」

「それにしても、ゲームに文句言うのをやめなさいよー。下手なのは仕方ないけど、対戦じゃあないならゲーム相手に文句言っても意味ないわよ」

「悪かったですね!どうせ唯はへったくそですよーだ、ぷんぷん!」

「まあいいわ。唯さんも元気になったようだからね。じゃあ、私は着替えたらお義母さんの代わりに夕飯作ってあげるね。冷蔵庫の中にある物で適当に作るけど、それでいいかなあ」

「あー、俺は構わんぞ」

「唯もそれでいいわよ」

「じゃあ、ゲームを楽しんでねー」

 そう言うと藍はドアを閉めて部屋を出て行った。


「「はー・・・」」

 俺と唯はドアが閉められた瞬間、思いっきりため息をついた。そして、藍の足音が遠ざかると、再びため息をついた。

「あ、危なかったあ・・・」

「間一髪だったな」

「もしお姉さんが直接たっくんの部屋のドアを開けていたら、あの時はまだスカート履いてなかったから言い逃れ出来なかったよ」

「そうだな。俺もあの瞬間、血圧が上がったからな」

「唯もだよー。焦ってたからブラウスのボタンが上手くはめられなくて相当時間が掛かっていたからね。ネクタイは緩めて外しただけだったから簡単だったけど、もし結び目を外していたら絶対に結べなかったよ」

「クローゼットには人が入れるだけのスペースがないから隠れる訳にもいかないし、かと言ってドアが開かないように押さえていたら、百パーセント藍にバレるからなあ」

「でもさあ、仮にクローゼットの中に隠れたとしても、靴が玄関にあって鞄がたっくんの部屋にあるのに唯が家の中のどこにもいないとなったら、結局はたっくんの部屋に隠れている事がバレるよ」

「たしかに・・・そう考えると藍がこっちに来なくて助かったよ」

「うん、まさかお姉さんがこんなに早く帰ってくるとは唯も思ってなかったからね」

「・・・俺たちが教室を出るのも遅かったし、唯の歩く速さがかなり遅かったからな。うちに着くまでの時間だって普段の倍くらいかかっていたから、相当な時間をロスしていたという事だ」

 その時、藍が階段を降りて行く足音がした。どうやらキッチンに向かったようだ。

 俺はふと唯を見た。唯はスマホでぷよんぷよんをしていたが、不意に顔をこちらに向けたので唯と目があってしまった。

 その瞬間、お互いに顔が真っ赤になった事に気付いた。そう、さっきまで俺たちがを思い出したからだ。

「あ、あのね、たっくん・・・さっきは、そのー、なんというか、ちょ、ちょっと自暴自棄になっていたというかー、あのね・・・」

「あ、ああ・・・お、俺も自分が何をしたらいいのか全然分からなくて、体が全然言う事を聞いてくれなくて、それでー」

「と、ところでさあ、まさかとは思うけど、唯の、そのー、胸、見えたの?」

「はあ?お前がホックを外したのは分かったけど、その瞬間に藍が帰ってきたから、ある意味、生殺しだぞ」

「そっかあ・・・いずれ見せてあげるから、今日は勘弁してね」

「あ、ああ・・・」

「じゃあ、唯は戻るわよ」

 そう言うと唯はスマホをスカートのポケットに入れ、ブレザーと鞄を持ってドアを開けた。そしてドアを閉める直前にニコッとほほ笑んで部屋を出て行った。

 俺は唯が部屋を出て行ったあと、ヘナヘナと机に倒れ込んでしまった。もう起き上がる気力もない位だ。

 俺はあの時、唯と最後までやった方が良かったのか?それとも、やらなかったのが良かったのか?どっちなのだろう・・・。少なくとも唯が自暴自棄になっていたのは間違いない。だが、それと同時に、俺は自分自身が藍と唯にした事がどういう物だったのかが分かった。相当に怖い思いをしたんだなという事は分かったし、俺自身もその事でかなりの罪悪感を未だに持っているという事も分かった。もちろん、俺がやった行為は決して許される物ではないという事も分かっている。

 ただ、今は唯を支えてやる方が重要だ。明日の実行委員会で宇津井先輩と本岡先輩はどういう提案をしてくるのかは分からないが、少なくとも唯が出場資格を剥奪されるような提案はしてこないと思う。でも、唯の参加を好ましく思ってない人が特に3年生を中心に多いという事も分かった。以前、唯が言っていた『不穏な動き』が、唯を『ミス・トキコー』に参加させない、もしくは自分から出場辞退させるようにする事だとしたら、あらぬ噂話や、唯への嫌がらせがある事も否定できない。このトキコーにはそのような事をする生徒は表立ってはいないが、負の感情は時として人の理解を超えた行動を取らせる事もある。そうなった時、俺は唯を支えてやる必要がある。それは俺自身の為でもあるのだから。

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