真っ赤なリンゴ
カゲトモ
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「おや、松本さん。こんな時間に珍しいですね」
「こんばんは、えへ。ちょっと、ね」
小柄な身体にお団子にした髪と大ぶりな眼鏡がよく似合うこの女性は、オフィス街でファッション雑誌の編集として働く松本さんだ。仕事が忙しいことが多くてもっと遅い時間に来店することが多いのに珍しく今日は早い。定時上がりだったのか?
「マスター、ごめんなさい、急いで来たから、とりあえずお水、いただけませんか」
「えぇもちろん」
よく見れば髪も少し乱れている。どうしてそんなに急いで。早く俺の作った酒を飲みたかったから、とか? そんなまさか。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
透明なグラスを両手で持ち、松本さんはゴクゴク喉を鳴らしてあっという間に飲み干した。
「っはぁ」
「どうしたんです、そんなに急いで」
「あ、や、まぁ、その」
訊ねてみても、松本さんは歯切れ悪く答えるだけだ。何かから逃げてきた? とか。
いやいやまさか、松本さんに限って仕事の失敗から逃げるなんてことないだろう。そんな無責任な人じゃないし。
「お水、ありがとうございました。えっと、オールドファッションド、お願いできますか」
「よろこんで」
にっこりと微笑み返すも、松本さんの表情は晴れやかでない。落ち込んでいたり、疲れているようには見えないけれど、どこか困ったような、焦っているような、そんな感じ。
これからデート、とか? 確か年下の男の子に告白されたとか、前に言っていたと思うけど。もしかしてその彼と? 上手くっているのかも。
「お待たせ致しました、オールドファッションドでございます」
「ありがとうございます」
一瞬にこりと笑ってそれを受け取ると、一口飲んでからキュッとライムをスプーンで潰した。
オールドファッションドはお客様が完成させるカクテル。ウイスキーが入ったクラスに、苦味酒のビターズを垂らした角砂糖、それからオレンジ、レモン、ライムのスライスとチェリー。それらを潰して好みの味を作ってもらうカクテルだ。松本さんのお気に入り。
「・・・」
だが、松本さんは一通りグラスの中でスプーンを動かしたかと思うと、一点を見つめて固まってしまった。どうしたんだ、せっかく作ったのに飲まないの? と思って視界に入りこんでみてもぼぅっとしているだけだ。
やっぱり何かおかしい。
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