第2幕「友人と情報」

 思ったより凄かった。


 それが、落花の簡素だが感想だった。

 何が凄かったかと言えば、昨夜の大放出サービスのご奉仕である。あれだけの量があれだけ飛ぶとは思いもしなかった、ああ初見です、本当にありがとうございます。まさに自然の神秘。そんな新品の神秘同士が交わることを考えると胸熱ですがなにか? と、興奮のあまり、ネットスラング乙という感じだ。

 もちろんこんな事、朝から周りの友達に話すわけにもいかず、校門をくぐっても悶々としている。できるなら、こんな話題で盛りあがり、友達の経験の核心を本心から問いつめたいと思っている。

 これはもしかしたら、自分に余裕ができたせいかもしれない。なにしろ、ここまでくれば初体験もカウントダウン。高校一年生という年齢ならば、わりと早い部類には入れるのではないか。今まで我慢していたが、自慢できることではないか。


(初体験……えへへ……ご主人様とか……。でも、なんか不思議な感じ!)


 出会ってまだ数日だというのに、一緒に住み始め、互いの裸も見せ合い……というと語弊があるが、とにかくしっかりと互いに裸体を目に焼きつけてはいるはずである。さらに、落花の方は、詠多朗の決定的瞬間をマッチポンプ気味だがスクープしてしまっている。少し前の落花からは考えられない大イベントだ。


(ご主人様の決定的瞬間を見られるなんて至福……。あっ! でも、ご主人様に見させてもらったんだから、ボクも見せるべきなのかな? 同じ事を見せる……って……ボ、ボクのを……ご主人様がしてくれるってこと!?)


 落花は、暴走した妄想に頭を抱える。そしてそのまま、自分の机に顔を伏せた。

 なんとはしたない。早朝の学校で一体自分は何を考えているのだ。そんな心の声が、落花の中で安っぽく天使の姿をとって叱ってくる。


――ハレンチよ、落花!


 しかし、それを陳腐な悪魔が否定する。


――そんなことねーよ! 素直になれよ! してもらいたいんだからいいじゃんか!


 そしてまた、それを天使が否定する。


――してもらいたいって、ご主人様に奉仕させてどうするのです!


――あ……そりゃ、そうだな。奉仕させちゃダメか。


 ならば今度は、悪魔が否定すると思いきや、なんとすんなりと肯定した。


――ご主人様にしてもらうより、自分でしているところを見せた方がエロいもんな!


――確かにっ!!


(って、なに認めてんの、天使!)


――バカだな、落花。天使のヤツもわかってんだよ。


(なにがよ?)


――自分でしているところを見せるのは……最高にエロいってさ!


――こっ、これ悪魔よ! わっ、わたくしはそんなつもりは……


――なに言ってんだよ、天使。最高にエロいってことは、ご主人様が襲ってくれる確率マックスってことだぜ? つまり愛が育まれる可能性確定じゃんか!


――あっ、愛!? ご主人様の愛が……。


――そうさ。落花はご主人様のことが好きなんだから、愛が育まれるならいいことじゃないか!


――そ、そうね。愛なら仕方ないわよね!


(チョロいぞ、私の中の天使!)


 ツッコミを入れるも、結局は頭の中で満場一致。落花は、今夜の決行をいとも簡単に決意する。さっそく、さてどうしよう、どこでしようと今夜のことを考えはじめる。と、心臓がバクバクと音を鳴らし破裂しそうになり、早くも下着の下で体が準備をし始めてしまう。神秘の泉が潤い始める。


(こんなの……初めてだ……)


 さすがに、ここ数日の自分はおかしいと思う。テンションが異常だ。もちろん、理由はなんとなく察している。ここまで大胆に、そして急激にいろいろと行動できるのは、あのエンディングカードの所為なのだろう。わかっている。彼女自身もわかってはいるのだ。


 だが、だからなんだ。

 だから、どうした。

 どうしたもこうしたもないではないか。

 落花自身、今は幸せな気分でいっぱいなのだ。楽しくて仕方ないのだ。恥ずかしいことをすることも、詠多朗相手ならば嬉しくて仕方ないのだ。


(たぶん……凉子さんも……)


 ふいにこのことを考えると、凉子のことを思いだす。否、忘れていたわけではない。詠多朗に負けてからも、ずっと心の中に凉子への想いはあった。だが、優先順位が変わってしまっていることは確かだ。凉子の事件に関する心痛よりも、詠多朗への恋心の方が遙かに大きくなってしまっているのである。

 これこそが、落花にとってエンディングカードの弊害だろう。


(ああ、もう! こんなのはダメだ! ボクは凉子さんを助けなきゃいけないんだから……でもなぁ……)


 ここ数日、何度も考えていた。自分と同じように、こんな素敵な気分を凉子から奪っていいのだろうか。

 もし自分が今、詠多朗を殺されたらどう思うだろうか。もちろん、殺した相手を殺しに行くだろう。意外なことに、その思考に罪悪感はない。当たり前だ。一寸の迷いもなく殺害し自害する以外、思いつかない。詠多朗のいないこの世界は無価値で無駄で無意味だ。

 それと同じ想いをもっていたとしたなら、凉子は必ず落花を殺しに来ることになる。その時、落花はどうすればいいというのか。ずっとずっとずっと考えている。

 だが、答えはでない。


(ああ、もう! せめて相手の男が、詠多朗みたいにいい奴だったらなぁ……)


 それでも、認めてはいけないはずだ。落花はある意味で意思を歪める力を自らの意志で受けとめた。凉子の敗北が、落花と同じように納得した上でのものではない限り、凉子の心は殺されたも同じだ。

 だから、許してはいけない。


「おまえ、なにさっきから百面相してんだ?」


 と、正面の席の椅子に座りながら、馴染みの声が思考に割りこんだ。

 途端、周囲の喧騒も耳に入ってくる。教室にはすでに多くのクラスメイトが登校してきていた。席に座って荷物を整理する者、本を読む者、友達同士でおしゃべりする者。日常の風景が広がっている。

 そして目の前には、黒いポニーテールで、落花と同じぐらい焼けた肌の女の子が座っていた。


「あ、おは。美波」


「おはじゃなくてさ、なんで顔真っ赤にしたり、睨んだりしているんだって聞いてんだが?」


 少し小柄な美波は、眉を顰めてジッと落花を見つめてくる。

 その小顔に収まった細い双眸が、より細められている。


「なんか変質者みたいだったぞ、おまえ」


「失敬なヤツ! ちょっと悩み事があっただけだ」


「おまえが悩むなんて……その事実のがゲキ怖いわ」


「てめぇ~……ボクだって悩むことはあんだぞ!」


「ほー。なんだよ、それ。聞いてやろうじゃないか」


「そっ、それは乙女の秘密だ!」


「なにが乙女の秘密だ、バーカ。おまえが乙女ってガラか? だいたい色恋沙汰の悩みなんてありえねーじゃん」


「なんでだよ! ボクだってな……」


「だって、落花の理想高すぎるだろうが。そんな男、今時の少女漫画の王子様でさえいねーだろうって感じだしなぁ。それとも、リアルにいい男でもいた?」


「…………」


 その言葉に、思わず落花は詠多朗のことを話しそうになる。だが、あまり話せるような関係じゃないことも重々承知している。その為に一度開いた口は、すぐに閉じられてしまう。もちろん話したいのだが、もう少し整理してから話したい。


「……え? なに? マジにいい男でもいたの? でも、やめとけやめとけ」


「……なんでよ?」


「あたりまえだろう! 粗暴なおまえに寄ってくる男なんて、みんなおまえの体だけが目当てにきまってんじゃん。体だけは女っぽいしさ」


「……まあ、美波より胸はでかいし、腰は締まっているしね」


「――くっ。このぉ……」


 悔しがる美波を落花は鼻で嗤って返す。

 だいたい詠多朗が相手なら、体目当てでもちっとも嫌ではない。自分の体を好きになってくれるなんて嬉しい限りじゃないか。

 などと言うことも話せないため、落花は話題を変えることにする。これ以上、話していてボロがでても困る。


「それより美波。今日の部活やるんかな?」


「ん? ああ、なんか季節外れの嵐とか言ってかんなぁ。さっきも酷かったし」


 美波が自分を両手ではたくような仕草を見せる。タイもむすばず、胸元がだらしなく開けているセーラー服がファサと音を立てて波打つ。


「朝練で引かれていたラインの粉が飛んできてさ~。いや~、まいった、まいった」


「そんなにかーぁ」


「おうよ。白いのがドバーッと!」


「し、白いのが……ドバーッと?」


「あんなに飛ぶとは思わなかったぜ」


「あんなに飛ぶ……」


「暑い中さぁ……汗臭いのに砂がつくし」


「熱い……くさい……はぁ、はぁ……」


「……なんで、顔真っ赤にして鼻息が荒いんだ?」


「――なっななな……なんでもないわよ!」


 まさか昨夜のことがリフレインしているとは言えず、落花は顔をそらすしかできない。いやはや、頭の中が本当にピンク色だと、落花は我ながら恥ずかしくなる。


「おまえ、マジ大丈夫か? 頭、いかれた? 私のフルネームは言えるか?」


「あんたは芳川美波。ボクと同じ陸上部の友達」


「ああ。やっぱいかれてんじゃん」


「なんでだよ!」


「だって、あたしあんたの友達じゃないし」


「ひどっ! マジひどっ! マジ友達やめたる!」


「アハハハハ! ま、なんか知らんけど、元気出たみたいでよかったけどな」


「……え?」


「おまえ、ここ最近、なんか暗い顔で怖かったしさ」


「…………」


「友人としては心配してたわけだ」


「……あ、ありがと」


 美波がニヤリと笑う。それだけだ。それ以上、彼女は変に理由を突っこんで聞いてこない。こちらから相談を持ちかければのってくれるが、彼女は勝手に深く入ってこない。たぶん、それが彼女の優しさなんだろうと思うし、だからこそ落花も彼女との友達関係は気にいっていた。気兼ねなく、でも気づかいをしてくれる距離感。それが大好きだった。


「……あ。そうだ。友達で思いだしたけどさ」


「ん?」


「昨日、出かけてた先であの人、見たわ」


「誰だよ?」


「ほら、落花が一度だけ紹介してくれた年上の友達いたじゃん」


「……え? まさか、凉子さん?」


「ああ、そうそう。その凉子さん。おまえとちがって、彼氏らしき男と腕を組んで歩いてたぜ」


「どっ、どこで!?」


 思わず立ち上がるのと同時に、落花の心拍数が急激に上がる。

 それと同時に、一気に凉子に対するプライオリティが復活し上がってしまうのであった。


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