ビターチョコ*ゆづとサラの過ごしたバレンタイン
久里
ビターチョコ*前編
ああ……。
人酔いしそうだ。
「そんなお顔をしないでくださいよ~! ほら、あれなんか楽しそうですよ?」
露骨に不機嫌な顔をしていたら、にこにこと上機嫌なお気楽幽霊が、はしゃぎながらとある方向を指差す。
ふてくされながらも視線を向ければ、そこにはメルヘンな音楽と共に回っているメリーゴーランドがあった。
白馬に乗って意味深にアイコンタクトを取り合うリア充。
ゴージャスなソファにもたれてじゃれあうリア充。
ソコは、端から端まで綺麗にリア充共で埋め尽くされている魔境だった。
何組もの幸せそうなカップルを乗せてきらびやかに回るメリーゴーランドを前に、死んだ魚のような瞳になってしまったのは不可抗力といえよう。
「ゆづ君も乗ってきたらどうですか?」
ただでさえイライラしていたところに、サラの何にも考えていない能天気な言葉が、ついにボクの堪忍袋の緒を切った。
「リア充の巣窟に何が哀しくてぼっちでメリーゴーランドに乗るんだああああ!」
道ゆくカップルたちが、突然のボクの咆哮に驚いてぎょっと振り返る。
幽霊のサラは、彼女に取り憑かれているボクにしか感知することができない。だから、傍から見たらボクは一人で遊園地に来ている上に、突如、喚き始めるかなりヤバい奴だ。でも、あまりのやるせなさに、もはやそんなことすらも気にならない。
はぁ……。
サラの我儘なんて、聞くんじゃなかった。
どうして朝のボクは、はた迷惑な幽霊のあんな突拍子もないお願いを聞き入れてしまったのだろう。
きっと、バレンタインデーにぼっちで遊園地にいく馬鹿者なんて、世界中のどこを探してもボクくらいだ。
*
事の発端は、澄み切った夜空を切り取ったような黒い瞳をいつになくきらきらさせた、サラの突拍子もない発言だった。
「ゆづ君! 今日、遊園地に行きませんか?」
ボクは盛大に眉をしかめた。
今日も、いつも通り予定なんてものはない。だから、特にこれといってすべきことはないのだけれども……今日は、普段以上に出かけたくない理由がある。
「断る」
「えええっ! どうしてですかっ」
大げさにのけぞって、あわあわするサラに冷めた一瞥をくれる。
このお気楽幽霊は、本気で今日が何の日か分かっていないのだろうか?
小さくため息を吐いた後、唇を尖らせる。
「どうしても何も、今日はバレンタインデーじゃないか。どこに行っても混んでるに決まってる」
そう。
今日は世のリア充共のためのイベント、バレンタインデーだ。
今年は休日だけれども、学校のある平日だったりすると、学校中が浮き足立つような日だ。女子がスクールバッグに忍ばせたお菓子からほのかに甘い匂いが立ち昇って、教室中を香るのだ。
まぁ、そわそわしている男子や女子を冷めた目で傍観しているボクには、一切関係のないイベントだけれども。
バレンタインデー、か。
『ゆづ。これ、あげる』
ふいに、雪の頬を朱色に染めて、恥ずかしそうに赤いリボンに包まれた小さな銀の箱を差し出す
中学時代のボクは、全身が心臓になってしまったみたいに鼓動を高鳴らせて、彼女の小さな白い手から、その銀の箱を受け取った。
そうしたら美桜は、はにかんでますます頬を赤く染めた。
あの時の彼女はすぐにでも抱きすくめたくなってしまうくらいに愛おしくてたまらなかったけれど、人前でそんなことをしたらいよいよボクの心臓が破裂してしまいそうだったから、そんな大胆なことはできなかった。
でも。
もう、幸せだったあの頃には戻れない。
天使のように愛らしくボクにはにかんでくれていた美桜と、冷え切った、見る者を凍えさせるような絶対零度の視線でボクを見つめて立ち去った美桜が交差して、頭が熱くなる。
ダメ、だ。
これ以上、思い出したら、ダメだ……!
頭がぐらついたその瞬間、目の前のサラの少し怒ったような口調に、現実に引き戻された。
「ゆづ君は冷め過ぎですっ! 折角のバレンタインデーなんだし、たまには外に出かけてみるのも良いじゃないですか」
……この幽霊は、本気で言っているのか?
バレンタインデーなどというリア充のために存在しているような日に、いかにもリア充の巣窟となっていそうな遊園地に行け……だと? サラの姿はボク以外の人には見えないわけだから、体裁上は一人で行くということになる。
何が哀しくて、バレンタインデーに一人遊園地!
サラは、ただでさえ引きこもり気味のボクが、本気でそんなたわけたことをするとでも思っているのだろうか?
「サラ。それは何の冗談なの? 本気で言ってるんだとしたら、相当頭悪いよ」
「あたしはいつだって本気です! たまには、休日にお出かけしましょうよ~! そうやってずーっとお部屋にこもっていたら、きのこが生えてきちゃいますよ?」
「第一に、幽霊の君が遊園地に行ったところで、乗り物には乗れないじゃないか」
「うぐっ……そ、そこは、アトラクションを見て、乗っているような気分になるのですよ! 想像力でカバーです!」
おかしい。
目をそらしておろおろと答えるあたり、絶対に何か隠し事をしている。
どうして、突然遊園地に行こうなんて言い出したんだろう。自分は乗れもしないくせに。まぁ、サラが突拍子もない行動に出るのはいつものことだけれど……。
「ほんとにほんとに一生のお願いです!」
「……今までに、何度一生のお願いをされたことか」
「今度で絶対に最後にしますから! あっ、でも最後ってことはないかも……って、ああ! そんなしらけきった目で見ないでくださいよ~!」
何やらわめいているはた迷惑な幽霊はシカトして、本でも読もう。
隣に置いてあったバッグから読みかけの本を取り出して読み始めたら、サラがぷくーっと風船みたいに白い頬を膨らませる。
「無視しないでくださいよ~~! ゆづ君の馬鹿っ! 人でなしっ!」
ええと、どこのページまで読んだんだっけな……ああ、失敗した。栞でもはさんでおけば良かったな。
「行ってくれたら、お礼に良いものを見せてあげますから!」
良いもの……?
本をめくる指がとまる。
本から顔をあげてやかましい方に視線を向けると、サラがぱっとその瞳を輝かせた。
やっとこっちを見てくれた! と言わんばかりの大袈裟な喜びように、心臓が跳ねる。
「ね? たまにはお出かけしませんか?」
うっ。
そんな、向日葵が咲き綻んでいるような眩しい笑顔でボクを見つめないでくれ!
サラは、ボクから視線をそらさない。
その濁りのない大きな瞳で、じわじわとボクの心臓を圧迫していく。
「あーっ、もう! 仕方ないな! ……行って、あげないこともない」
ついに根負けしてその一言を放ってしまった瞬間、ボクは猛烈に後悔した。
サラは、大きな瞳をぱちくりとさせている。ややもして、みるみる内にそのきょとんとした顔に輝かんばかりの笑みが満ち溢れた時、背筋が冷やりとした。
どうしよう。
もう、後には退けないぞ。
「やったーーっ! ゆづ君、ありがとう!」
「……本当に良いものとやらを見せてくれるんだよね?」
「あたしが約束を破るわけがないじゃないですか~! えへへ、嬉しいなぁ」
心の底から喜びが溢れて止まらないといった様子のサラに、心がむず痒くなってくる。
満ち足りた笑顔でここまで素直に感謝されると、悪い気がしないでもない。
でも、同時にそこまで喜ばれてしまってはもう本当に後には退けないというプレッシャーも同時にのしかかってきて、ボクはなんともいえない複雑な気持ちになったのだ。
*
……と、こんなわけで、現在に至っているわけだけれども。
時刻は、夕刻。
辺りは、西日によってすっかり蜜柑色に染められていた。急遽、出かけることが決まってお昼過ぎに家を出たから、遊園地に着いた時間が遅かったのだ。
さて。
予想通り、行き交う人々はカップルのオンパレードだよこん畜生。
とりあえず、一人(に見える)ボクを指差して、ひそひそと語り合ってるそこのリア充は速やかに爆発しろ。
こんなところへ、一体、サラは何のためにやってきたんだろう。
まさか、ボクに対しての新手の嫌がらせだろうか? と疑り始めたところで、サラはうっとりと百合の頬をバラ色に染めながら、前方を指差した。
「あっ! 目の前の中学生くらいのカップルを見てください! とーっても初々しいですよ」
その細い指の先を辿ると、たしかにそこには中学生と思しきカップルがいた。
男の方は、セーターにうずめた手を出したりひっこめたりとかなり挙動不審だ。女の子にもそんな彼のぎこちなさが伝わっているようで、どこかそわそわしている。
あぁ、もうっ! 繋ぐなら、早く繋げよ!
あまりの煮え切らなさに見ているこっちが苛々しはじめてきたところで、隣のサラがうっとりとした恍惚の表情でそのカップルを見つめていて、ぎょっとした。
「ああっ、なんてかわいらしいんでしょう……あの男の子の今の心は、まるで木苺のパイみたいです! 甘酸っぱい果汁が瑞々しく弾けて、甘酸っぱい味が口の中に広がるの。初デートなんですかね~? 良いなぁ、青春だなぁ」
木苺のパイ?
はっ、もしや……。
ボクがとある可能性を疑い始めた間にも、落ち着きのない幽霊はぱたぱたと手を振りながら、お年寄りのカップルの座っているベンチの方へと吸い寄せられていた。
サラは、穏やかな慈愛に満ちた瞳で熟年カップルを見下ろした。
「この熟年夫婦の心からはやさしくて、あたたかい味がします。焼きたての、ほんのりと甘いスコーンみたい」
やっぱり、そうに違いない……。
ベンチの方に視線を向けたらサラはいつの間にやらそこから離れていて、ボクの隣に戻っていた。
そして、人前でも何ら躊躇うことなく堂々と腕をからませ、他人に見せつけるようにしていちゃついているカップルのことを思いっきり指差した。
「見て見て、ゆづ君! あそこの腕を絡ませてるカップル! あまーい黒蜜ををたっぷりとかけたあんみつみたい! 舌がとろけちゃいそうなくらいです! はわわっ、ちょっと刺激が強すぎて酔っちゃうかも……」
ここまできたら、もう確信しないわけにはいかなかった。
なんで、ボクとしたことがこんなに簡単なことに気づかなかったんだろう。
全ては、この世にも珍しい、人の心を喰べるという食い意地の張った幽霊の策略だったのだ。
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