9-3.

 湖の中心部に小さな灯りが見えるのに、そう時間は掛からなかった。

「あれだ」

ティアーナの気配も、灯りの下から感じる。間違いなく、奴らの乗った船だった。

「確かに、昼間に航行許可を取り消した船です……。よりによってこんな時間に」

船の脇腹に書かれた名前を双眼鏡で確認して、保安員が呆れた。

「そこの船! 航行許可を得ていませんね! 船員は速やかに投降しなさい!」

速度を緩め、操舵室から拡声器で呼び掛ける声を聞きながら、俺は甲板に出た。後ろから三人がそろりと付いてくる。

「聞こえていますか! 速やかに投降しなさい!」

「二人とも、盾の魔術は使えるか」

「盾? 使えるけど」

ラインが答え、サイも小さく頷いた。まだアリアの授業では習っていないが、護身術として叩き込まれているだろうと思った。当たりだった。

「俺が合図したら、この船の前方に、でかいのを出せ」

「? よくわかんないけど、わかった」

いちいち理由を聞いてこないところが、彼らの賢いところだ。サイは静かに頷いて船を見据え、ラインは杖を取り出し、いつでも振れるよう握り込んだ。

「私は?」

「イブキは待機だ」

ティアーナの状況次第では、イブキの力が必要になるかもしれない。先ほど重傷者を治したばかりでもあるので、温存しておきたかった。

「もう一度警告します! 速やかに投降しなさい! 十数える間に投降しないと――」

「ああもう、うるさい! 聞こえてるっての!」

対峙する船の甲板に現れたのは、黒い服のフードを被った小柄な人間だった。声からすると女だ。

「許可なんか必要ないだろ! 華火フラムフラウ!」

「今!」

トイコス!」

女の持つ杖から、破裂音を伴う大量の火花が放たれた。しかし、サイとラインが展開した透明な膜が阻む。

「何よ、保安員が魔術なんか使っちゃって。生意気」

女がぼそりと呟いた。こちらに子供がいることには、気付いていないようだ。

「公務執行妨害です! 強行します!」

明らかに害意を持った魔術を行使した一団を確保すべく、船を近づけようとした時だった。

「動くな! この女がどうなってもいいのか!」

船内から現れて怒鳴ったのは、大柄な男だった。抱えていたのはもちろん、

「ティアーナさん!」

イブキが身を乗り出そうとするのを、サイとラインが引き留めた。

「ふえぇえん、痛いです、やめてくださいー」

体格差がありすぎて床に足が着いていないティアーナが、男の腕の中でばたばたと暴れる。怪我はしていないようだ。手にペンを持っており、小指の腹がインクで汚れているところを見ると、書き物をさせられていたようだった。何のために。

「大人しくしろ!」

ティアーナは杖の先を男に突きつけられて、ひっと小さく悲鳴を上げて静かになった。

「退却!」

「はい!」

こちらの動きが止まったのを見計らって、水中から船に上がった細身の男が操舵室に駆け込み、違反船は踵を返した。

「わかってるだろうが、追ってくるなよ!」

 一度はティアーナを見殺しにしようとしただけに、脅しがハッタリだとは断言できない。為す術もなく小さくなる船を見送り、歯噛みする保安員たちに、俺は言う。

「大丈夫だ、全員散り散りになっても追える。ティアーナも今のところは無事だ。逃げた方向は指示するから、追いかけながら対策を考えればいい」

「……はい」

保安員の目から、焦りが消えた。応援の要請や周辺の町への連絡など、速やかに必要な処理を進めていく。

「……どこに行くんだろ」

「闇雲に離れて行ってる動きじゃないよな。目的地がありそうだ」

障害物のない湖面を全速力で遠ざかる船の動きを見て、サイが首を傾げ、ラインが呟いた。

「この辺り、何かあるか」

船が一直線に向かう先を地図で差すと、

「その辺りは、岩場ばかりのような――」

宿直の保安員が首を傾げ、

「そうだ。確か、洞窟がありませんでしたか?」

昼間も話した保安員が思い出し、確かこの辺り、と地図上に印を付けた。

「他に何もないなら、行き先はその洞窟と見ていいだろうな」

「湖の調査中に見つけて、有事の際に逃げ込む算段を立てていたということでしょうか」

そこに洞窟があることは、地元民にもあまり知られていないのですが、と保安員は首を捻った。

「違反船は湖南西の洞窟に向かっている模様、応援部隊は至急向かってください」

通信器で陸と連絡を取り、慌ただしく襲撃の準備を進める大人たちの邪魔にならないよう、子供たちは隅のほうに小さく折り畳まって、様子を見ていた。

「……」

ふと見ると、ラインが口を歪ませて怪訝な顔をしていた。

「どうした」

「なーんか、変な動きだよな。成り行き任せな感じっていうか……。うちの衛兵を襲った時の、慣れた感じと噛み合わない」

何したって先生には追えるから意味ないけど、と付け加えつつ、ラインは歯の隙間に詰まった鶏肉の欠片が取れないような、不愉快そうな表情だ。

「そうだな……。何か策があるのかもしれない」

まだ子供でも、銀の槍シルバランスの名を継ぐ人間だ。そういう奴のそういう勘は、大事にしたほうがいい。俺は頷いて、徐々に見えてきた岩場を睨んだ。

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