8章:水上の町

8-1.

 ユクレス行きに続いて今回も魔導車を出してもらい、第三王子一行は早朝から湖畔の道を景気よく進んだ。

「スモーラって、どんなところ?」

窓から顔を出して風に当たりながら、イブキが訊ねる。

「変な形してて、面白いぞ。口で説明するより、見たほうがいい」

ユクレスには、失礼ながら若者向けの水着が売っていなさそうだったので、今日行くのは、噂の観光に力を入れているほうの町だ。


 「……見えてきた」

防風林が途切れた途端、広がっていたのは海と見紛う砂浜だった。そして、

「うわぁー! 何あれ、水の上に町がある!」

イブキが予想通りの歓声を上げた。

 湖に突き出した太く頑丈な桟橋の上に、木造の住宅が載っていた。それも、一つや二つではない。町の大半が水の上だ。

 陸地にあるのは、縦にも横にも大きなリゾートホテルばかりで、湖に向かうにつれて建物の背が低くなっていた。桟橋の間を小舟が行き交い、舟の上の人々も、桟橋を歩く人々も、大半が水着だ。

 馬車や団体の観光客を運ぶ大型の魔導車が、ずらりと並ぶ駐車場の隅に車を停め、徒歩で町へ向かう。

「ニイナ、そんなに後ろのほうにいなくていいって」

ラインが、遠慮がちに最後尾をついてくるニイナを手招きした。今回はイブキの水着を買うことが目的のため、ニイナに同行を頼んだのだ。こういうとき、男親だけでは不便だ。

 変身魔法で女に化けることもできなくはないが、サイやラインの前で大げさな魔法を使って、優秀な彼らが習得してしまったら、いよいよ兵士たちが苦労する。それに、仕草や口調を変えるのは面倒くさい。

 「ニイナさん、一緒に歩こう」

イブキはすっかり、ニイナに懐いていた。風呂で背中を流してくれるのが嬉しいらしい。

 ちなみに今日のニイナは、エプロンとロングスカートの制服姿ではなく、周囲に溶け込むよう、涼しげな膝丈のワンピースを着ている。少ない休日を過ごすための私服だった。

「……失礼いたします」

イブキに手を引かれて、ニイナは恐る恐る隣に並んだ。

「制服じゃないと、別人みたいだなあ」

ラインが物珍しそうに眺め、ニイナは居心地が悪そうに視線を泳がせる。注目されることに慣れていないようだ。

「うんうん、お姉さんって感じ。ニイナさんって、何歳?」

「来月で、十九になります」

まだ十代だった。落ち着いているので、もっと年上かと思っていた。

「もうすぐ誕生日なんだ! お祝いしないといけないね」

「いえ、そういうつもりで言ったわけでは」

「えーっ! 早く言ってくれよ。今まで放ったらかしてたじゃん」

一際大げさな声を上げたのは、ラインだった。

「なんでお前が驚いてるんだ」

「ニイナって、普段は俺付きのメイドなんだ。もう何年も世話してもらってんのに、誕生日も知らなかったとか、最悪」

どうして今まで思い当たらなかったのかと、ラインは肩を落として自己嫌悪に陥っていた。

「ライン様のお手を煩わせるようなことではないかと存じますが」

「そういう問題じゃないんだ。とりあえず、誕生日当日の休暇申請は出しとくように!」

「はい、ご命令ならば……」

どこまでも堅い態度を崩さないニイナ。命令とかじゃないんだけどなあ、とラインは悔しそうに唸った。


*****


 やがて、陸地から湖へ伸びる巨大な桟橋へ差し掛かった。間近で見ると、町の作りの特異さが顕著にわかる。

「水の上にある建物は、なんか涼しそうだね」

水面に反射する日差しに、眩しそうに目を細めたイブキが、開放的な形の民家に興味を示した。

「床下から湿気が来るから、通気性を良くしてるんだろう」

衛兵たちは少し離れたところから警戒し、目に見える保護者は俺がするという役割分担で、腐食止めを施された木材――ミゼットの技術だ――を踏みながら、町を見て回る。

「冬は板で、家の窓とか隙間を塞ぐんだってさ」

「なんで、そこまでして水の上に住もうと思ったのかな」

「さあ……」

以前は、この辺りにこんな町はなかった。いつの間に作られたのだろうか。と思っていたら、

「……昔、ここを領地にしてた貴族が傲慢で……。土地に掛かる税金を釣り上げたんだ」

ぽつりと、サイが話し始めた。

 不当な徴収に、貴族が治める以前から住んでいた平民たちは苦しんだ。悩んだ末に『水の上なら土地ではあるまい』と開き直り、最低限桟橋を架けるのに必要な地上部分のみを共有地として金を出し合い、湖の上に貴族に統治されない町を作った。

「……貴族は収入が減って自滅して、残った面白い景色と広い土地に商人たちが目を付けて開発して、今」

国の歴史は、王子たる者の必修教育ということか。珍しく長文を喋ったサイの話を、イブキはもちろん、ラインも意外そうに聴いていた。

「……あ、水着、売ってる」

当のサイは、いつものぼんやりとした喋り方に戻り、服屋のショーウィンドウを指差した。


 「これ、かわいい」

「ええ、よくお似合いだと思いますよ。最近の人気はこちらの柄で――」

服の善し悪しはわからない。流行りはもっとわからない。店に入るなり寄ってきた女性店員に、イブキを丸投げした。ニイナは静かに側に付いているだけだ。意見を求められた時だけ、短く簡潔に受け答えをしている。

「お客様には、スタイルが際立つこちらの形などいかがでしょう」

と思ったら、にこやかに若干際どい形の水着を勧められていた。

「いえ、わたくしは付き添いですので……」

「気に入ったのがあったら、ニイナも買えばいいじゃん」

ラインがすかさず口を出す。なお、二人がイブキの水着代は自分たちが出すと言ってはばからなかったので、イブキには言わずにそういうことになっている。

「ですが……」

「お姉さん、似合いそうなのいくつか持ってきて」

「かしこまりました!」

「ライン様?!」

珍しくニイナが声を荒げた。


 やがて、イブキはもとよりニイナも、いくつか候補を持って試着室へ案内されていった。男三人で男性用水着売り場を適当に物色するふりをしていると、別の女性店員が寄ってきた。

「いらっしゃいませ。そちらのお嬢様は、水着は御入り用ではありませんか?」

言わずもがな、店員の視線はサイに向いていた。今日は三つ編みではなく、簡単に結って肩から垂らしている。

「……俺、男……」

「えっ! あっ、申し訳ございません……」

取り繕うようなごゆっくりどうぞ、という声と共に、速やかに去る店員。幾度となく繰り返される勘違いに、ラインが腹を抱えて大笑いし、

「笑いすぎ……」

サイは、小さくため息をついた。

「お待たせ! ……どうしたの?」

満足げに紙袋を抱えて戻ってきたイブキが、首を傾げた。

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